五輪開催は勝利だったのか?

五輪開催がなければ、挫折と敗北の年になった……、そんな書き出しのネット記事を読みました。

閉会したから、もういいんだけど、
「なんでやったんだろう?」が私の中には残っていますよ。

いや、アスリートの方々を思うと、開催もアリなんですよ。
五輪出場なんて、人生の一大目標。

そして、甲子園の開会式を見て、
「そうか、五輪があったから、これもありなのか」で、
そこは素直によかったねと思いました。

やっぱり、10代の子供たちから時間を奪えないと思うから。

絶対反対ではないけれど、何かやりようはなかったの?は、ずっと残っていて。
五輪が中止になったって、別に挫折とも敗北とも思わないよ。
順当だよ、安全策だよ。
なぜに、敗戦と煽るのでしょうか?

第二次大戦について、やっといろいろな視点が出てきて、
「そうか、日本も原爆の研究をしていたのか」とか、
「特攻を拒否していた人もいたのか」とか、
なんだか「全体主義で潔く散る」一色だった世界が
人間味を帯びてきて、これを出すのに、70年以上かかったのかが、
感無量なのですが。

勝ち負けも大事。
だけど、プロセスも大事。

なぜ、今、煽るのでしょうね?
煽るとなにかいいことがあるのかな?

ひとつは、五輪を決行した人たちへのエール?
あとは??? わかんねー。

よくわかんないけど、意識を変えること。
私たちが考え方とか、思いこみとかを捨てて、自由になることで、
いろいろ変化すると思うんですよね。
ただ、どうすればいいのか、まだ、わかんない。

ひとつは、許すこと。認め合うこと、リスペクトすること。
ダメだったかもしれないけれど、ダメになっちゃった理由もあるから。
いいところも見ること。

批判や否定、拒否は子供のすることだ。その先の世界へ!

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2021年8月15日 | カテゴリー : 日々のこと | 投稿者 : 章月綾乃