全国的にお盆休みですが、みなさまは、いかがお過ごしでしょうか?
私は仕事をしながら(!)、家のことをあれこれやっております。
床のワックスがけをしたら、へろへろになりました。
映画も見ました。2日で2本。
『ジェラシック・ワールド』を3Dで、
『インサイド・ヘッド』を甥と姪と一緒に。
『ジェラシック・ワールド』は、『ジェラシック・パーク』の焼き直しとか、
いろいろ言われていますが、ある意味、王道ストーリーだから、
ああ作るしかない一面もありますよねー。
あちこちに原作リスペクトを感じて、楽しく見れました。
一頭になっちゃったラプトル、大丈夫なのか?が一番気がかりです。
あと、ヒールで恐竜と走る勇気は、私にはありません。絶対、食われるし!
『インサイド・ヘッド』は、ちょっと眠かったかも。
ただ、ま、「悲しみが大事な感情」というのは、よいテーマですね。
映画を見ながら、明るくなったら、子供たちに言わなきゃ!とずっと
思い続けていました。
「私、悲しみじゃないからな?」
体型といい、髪型といい、眼鏡といい、似ているんですよ。やーん。
甥は「似ているなあ」で見ていて、姪は「言われたら、似ていた!」ですって。
青い服着て、青い髪型にすれば、コスプレ完成です。
この映画への眠さや違和感は、感情が記憶を持っていることかもしれませんねー。
感情が感情の持ち主であるライリーを母親のように慈しんでいるというのが、
いまひとつしっくり馴染まない気がします。
感情って、その一瞬のもので、自身の中に記憶をプールしているというのは、違う気がしますよ。
映画で出て来た記憶のボールに触れたとき、「よろこびが蘇る」のは、アリだけど。
それに、他の感情が、「よろこびが最上」、「よろこびがいればなあ」と肯定しているのも、変な話です。
「ビビリ」は、安全のためは、わかりやすい。
「ムカムカ」がおしゃれは、いまっぽい。
「いかり」は、まあ、見たまんま。
ただ、他の人の脳内では、パパの感情は全部男性、ママは全部女性だったのに、
なぜライリーは、男女混在なのでしょう? まだ、子供で未成熟だから???
水城せとなさんの『脳内ポイズンベリー』を読みたくなりました。