今、自分の独り言に驚きました。
「よし、これで月曜日の支度は出来た」ですって!!!
要は、ノートを作ったというだけなのですけれど。
予習も兼ねて、事前にわかる部分は埋めております。
あれー? 私って、こんな用意周到キャラだっけ???
やっと、易経記号を出すやり方を覚えました。
ちょっと面白いのは、どうも私の中に先天八卦が入っている気配があることです。
今、習っているのは、基本からなので、後天八卦がベースなのですが、パッと浮かぶのは、
先天八卦なんですよ。別に習ってないのに。なぜか、体に残っています。
あ、先天八卦と後天八卦、並び方の順番が違うんですね。
数字の置き換えにイチイチ苦労しております。
あと、陰陽、雄雌の区別も。
12星座を長くやっていますと、水は女性の属性ってイメージなんです。
易だと陽に属するのですが、これがもう絶望的につかめません。
このところ続いている水害を思うと、暴力的なパワーもあり、男性的と言えなくもない。
海の神様も、人魚も両性どちらもアリなので、ここは、柔軟に受け入れていくしかないのですが、
イチイチ、「お箸持つ手は、よし、右!」みたいに、「水は、えっと陽!」ってやってます。
テキストの不自然な日本語にも、やっと慣れてきました。
もうイチイチ、直したくなるわけ(笑)。
ですますなのか、である調なのか、ちゃんとしろ!!!と突っ込みたくなります。
書き出しがですますなのに、唐突に倒置法、言い切りで終わったりするんですよー。
もう気持ち悪いったら! ホント、生理的にグエエエエってなります。
でも、直し始めると、全部書き変えたくなるので、グッと我慢しております。
書き換えると、どんどん手を入れたくなり、そうなると、意訳になってしまい、
違う意味がついたりしちゃうんですよ。
最初の1ヶ月は、この文章の座りの悪さ、気持ち悪さが一番のネックでした。
私も細かいんでしょうね。
「予期しない」は、「予期せぬ」じゃないとイヤとか、こだわりがあるわけですよ。
これは、意味がわかるかどうかではなく、音読したときの響きなんですけれどね。
予期しないだと語感がモタつくから、ここは、予期せぬだろーって思っちゃうの。
こういう我のようなものを抑え込み、とりあえず、「予期しない」世界に合わせて
染まっていくと、だんだん、テキストの精神がわかってきたりします。
これが、寄り添うということなのでしょう。
自分が正しい、どうしてこうしないの?って思っていたら、相手も心を開いてくれません。
まあ、テキストが相手なんですけれどね。
文体の統一がなってない書籍っていうのは、著者の文章力不足もありますが、
それよりも、編集が機能していないっていうのが大きいです。
人間だから、気を付けていても、文体が混じってしまうことがあります。
客観的なチェック機能は、まず、編集さん、そして、最後の砦が校正さんですから。
校正さん、編集さんは、言葉のプロです。
著者ももちろんそうなんだけど、言いたいことを伝えるが出来ていれば
それでよい……みたいな側面もありますよね。原稿が完璧ながら、それが最高ですが。
で、私が苦戦しているテキストは、編集が投げちゃってます。
おそらく、最初は赤入れていたんでしょう。でも、言葉を置き換えると、
怒られたりしたんじゃないかなー? それは違う……みたいに。
で、なにも言えなくなって、文体の統一もされないまま、世に出てしまって。
「予期しない」は、単に好みですが、語調の統一は、読み手への礼儀だと思うんですけれどね。
まあ、しかたないですね。
たとえば、ハリーポッターのシリーズ、あれも本当にもったいなかったですよねー。
私、翻訳のひどさで、挫折しましたもん。
言葉のセンスの悪さで、脳が拒絶するのです。頭に入らなくなります。
そう思うと、石井もも子さんのかわいい訳で、児童書に出会えた私たちは幸せだなと思います。
私も、読みやすい文章を書けるように頑張ります!
その前に、お勉強ですね。ふふふ。