お守り、回収の巻

きょうは、実にマヌケな一幕がありました。

喘息の定期検診で病院に行ったのですけれど、病院の入り口でちょっとした
イベントをやっていて募金の人が立っていたのでした。

朝、ぼーっとしていて時間がなくなるパターンで、もう予約の時間だったので、
大急ぎで前を通ったら、「ヒロシマ、ナガサキ」というフレーズが耳に入ってきて、
それは大事!と引き換えし、お財布の中にあるコインを全部、募金箱に入れました。

「ワー、うれしい」

いやいや、コインだけですから。

で、上に上がって、ハッと気づきました。
「しまった! お守りまで入れちゃった!」

受付だけ済ませて、相当迷いました。
動物園の檻の中のクマのように、行ったり来たり……。

お守りの効用はキレたってことで、いいかなー?
いや、募金の人も驚くし、絶対私のだってわかっちゃうし!
(個人は特定できなくても、「ああ、あの有り金入れた!」みたいになっちゃうでしょ?)

恥を忍んで、回収にいきました。
「お守りも入れちゃって」
「あら、お守りも!」

当然、注目を集めます。
「どうしたの?」
「この方、お財布の中身を全部いれてくださったんだけど、お守りまで入れちゃったんですって」
「あらあら、ぜんぶ!」
「そうぜんぶ!」

やーん、もうやめてー!!! 1,000円も入ってないから!!!

箱をあけていただいて、中から無事に取り戻しました。

ふふふ、なんのお守りか気になるでしょ? ふ・ふ・ふ。
ふふふ、もちろん、内緒ですよ。ふ・ふ・ふ。

みなさまも、急いでいる時の募金にはお気を付けあそばせ。
そういえば、前にもそれが欲しくてわざわざ映画の前売り券を買って手に入れた
幸福のコイン、50円とまちがって使っちゃたんでした。
いつのまにかなくなっていて、知らないうちに贋金使いになっていたという!

まあ、無事に回収したので、めでたしめでたしでございます。

 

魅惑のコスチューム バレエ・リュス展

やっぱり気になったので、再び乃木坂を目指しました。

『魅惑のコスチューム バレエ・リュス』展。

1909年にデビュー、そして、一世を風靡したバレエ・リュス。
バレエ・リュス、私は、ニジンスキーだった気がします。入口は。
もっともバレエ少女ではなく、演劇少女だったので、市村正親さんの芝居から入っています(一日も早い回復を!)。
首藤康之さんがバレエ担当で出演なさっていました(バレエ通の友人に「いいもの見たね」とホメられました)。

一本の芝居がフックになって、バレエ・リュスは気になるキーワードとなりました。
過去にも関連の美術展を見た記憶があります(というか、ポストカードがうちにあります)。

要は、20世紀のロシアのバレエ団の衣装の展示なのですが。

ものすごく、ドラマチック。そして、カラフル、ダイナミック。

私は踊れないのでわからないのですが、結構重そうに見えますね。
イヤホンガイドを聞けば、その辺わかったかなー???

まあ、すてき!なものは、全部チラシに載っていて、今回の美術展の企画者さんとは気が合うなーと
ホクホクしました(よくわからない感想?)。

フリフリの「キアリーナ」の衣装とか、素朴に来てみたいですよ。いや、似合うルックスに生まれたらですよ?
「眠り姫」の衣装もあって、そうだよ、眠り姫だよ!と思いました。
マレフィセントのオーロラ姫は、なぜ眠らないのだ?(まだひっかかっているらしい)。

眠れる森の美女、眠り姫、いばら姫。
子供のころは、なぜいろいろな呼び方があるのかわかりませんでした。
いばら姫が強く残ったのは、バーン=ジョーンズの絵のせいですね。きっと。

つむで刺されることが、すなわち破瓜を表すとか、諸説ありますよね。
だいたい、100年後の王子と巡り合って、目覚めて果たしてうまくいくかどうか。
その前に、そもそも、100年眠れないですね。
そこも、おとぎ話だったりするわけで。

久しぶりにクラッシックバレエを見たくなりました。
しかし、やはりこちらは1人で行ってよかったです。
むりやり友人を誘っていたら、温度差があり過ぎてダメだったと予測します。
バレエや服飾、20世紀初頭のアートが好きな人、ピカソやマティスファンくらい???
お客様の中にも、何人もピッとキレイに髪をまとめている方々がいらして、眼福な企画展でした。

余談ですが、バレエとフラメンコの客層って、違うんですよ。
フラメンコの客層って、とにかく強いんですよ! バレエは、客席もしなやかですねー。
で、ピッとしているのです。
私ひとりが調和を乱している気がしますが。まあ、いいや。それは、考えないでおきましょう。

説話社さんの本

 

 

説話社

説話社さんの本を2冊買いました。
一冊は、あとがきを読んで、「おおお、彼女が作ったのか!」で。
もう一冊は、あまりのマニアックぶりに驚いて。

前者は、「鏡リュウジの占い大事典」。よくもまあ、こんなに詰め込みましたでございます。
お疲れ様でございます。
後者は、「スペルズ 世界のおまじない事典」。こちらは、専門書価格ですね。

スペルズ、楽しいんですよ。世界のおまじない、わんさかなんですよ。
書店で見て欲しくて。でも、高くて、ちょっとためらって、やっと買いました。

星座切手

 

占いつながりで。
最近買ったもの。

星座のメモ帳に、星座の切手です。
誰か賢い人がいたのでしょう。星座シリーズ、今回から仕切り直しで、
蟹座3枚、獅子座3枚、乙女座3枚におまけ1枚という大変
実用的な組み合わせとなっております。

ホロスコープティー

 

こちらは、うっとりのいただきもの。
ホロスコープティーです。
宝石みたいな輝きですよね。素敵です。

「お誕生会に使ってください」っていただいたのですけれど、んー、
人数的に回らないかも~。
最近、新しい占いを考える会なるものが結成されたので、
そこに持って行きますかねー? 参加者は見事生まれ星座が
バラバラなのでちょうどいいかも。

占い好きな乙女心をくすぐるシリーズでございます。
え、乙女じゃないだろうって? ま、よいではないか。

 

加速する日常

見えないターボエンジン搭載とか、まあ、何かあるんだと思います。
睡眠時間は伸びましたが、何かと予定が入りやすく、「お休み」って感じになりません。
それとも、これが「お休み」なのでしょうか?

昨日、義実家に顔を出したら、お盆に来なかったことを責められました。
えっと、うち、新盆だったって忘れています???
言えばやりこめられたでしょうけれど、そこは、沈黙を選びまして。
ただ、耳を疑うようなことも言われました。
「だから、年寄り二人で暮らすなんて無理だと思わない?」
じゃあ、土地を離れるのですか?
まさか引っ越して来いとはいいませんよね?

義実家ドリームがありまして。
子供たちは、親の快適のために生きるものだという。
たとえば、旅行の帰りには、子供が駅に迎えに来て当然というのもあります。
同い年の義妹がいるのですが、もう嫁いで子供もいるのにですよ。
そこは、タクシーではダメなんですかね?

実際問題、舅と姑だけの暮らしは、危なっかしいことは確かなのですけれど、
同居なんてうまくいくわけがありません。
毎週のように、離れた場所に暮らす息子が顔を出して何かと気にかけてくれる
暮らし、季節ごとにどこかに連れ出してくれて、日ごろの疲れをいたわってくれる
暮らしを夢見ているようですが、それならば、まず、そういう風に育てなければ
いけなかったんじゃないかなー?と思います。
あなたたちの息子さん、相当な面倒くさがりで不出来なヨメがおしりたたかないと
実家に行こうとしませんよ?
不出来ヨメ、これでも必死で「ホラいくよ」と仕向けているんですよ?
やっと確保した「なにもない日曜日」を「ずっとやりたい家の掃除」を棚上げして
義実家孝行にあてる誠意を買って欲しいところですが、
まったく値段がつきません。むしろ、キズを責められます(涙)。

思えば、結婚したお祝いも何ももらってないんですけれど。
そりゃ、結婚式はやりたくなくてやらなかったけれど、それで出鼻をくじかれたのか、
一切、お祝いなしでしたねえ。
近所の中華屋で、ご飯奢ってもらったくらいでしょうか?
それだって、ちっちゃっかった姪に泣かれてだいなしでしたが。
親戚へのお披露目は会ったこともない親族の葬儀の席となるので、
結婚式はやったほうがいいですよ。
面倒くさくても、お金がかかっても、目立つのがキライでも。経験からそう思います。
喪服着て、挨拶まわりとかないから! 相当イヤですから。
若い時は思い至りませんでした。

時代が違えば、石女とか言われて離縁されるか、認めてもらえないか。
そういうレベルのことを平気でしていて、生活の便宜のために手元に置きたがるのです。

まあ、わかりやすいからいいんですけれどね。
義実家のドリームは、昔の日本のドリームかもしれません。

いまどきは、結婚しない人も多いし、40代後半になっても親がかりとか、ザラですし。
家族の在り方、雇用形態、社会の形が変わっていて、全体像がボヤけたまま、
目先の生活に背一杯で。

世界は世界で加速して、戦争とか、革命とか、キナくさい感じになっています。
ホントはひとつなぎなんですけれど、どうも遮断されていて、意図的に報道されないとか、
知らなくていいことは知らせないとか、知らないことを知らないでいると情弱とか、なんだか
もう生き辛いったらありません。

やれることをやればいいんじゃないですかね?
とりあえず、7月は義実家に顔を出したってことで、自分的には合格です。
それ以上言われても、キャパオーバーだし、仮に義実家ドリームをかなえたところで、
不平不満が今以上に爆発することは火を見るよりも明らかです。

舅や姑を見ていると、自分の住む場所が世界の中心みたいな意識があることがわかります。
それは、ハタ迷惑な発想ではあるのですが、個人を確立するのには、これ以上の安定は
ありません。
自分のいる場所が世界の中心。
多くの現代人が心からそう感じることが出来たら、たくさんの不安が消えるのではないでしょうか?
同時に、他者との協調とか、融合が難しくなるという一面はあるのですけれど。

義実家は海と暮らしていて、そこに人生がありまして。
きっと、多くの物語はいらないんですよね。海と風とおてんとうさまと。

さて、私も私の人生の中心を自分のいる場所に戻しますか。月曜日です。

空白の時間

今年は、やらなければいけないことに追われていて、軸が自分にないのでした。
正月早々に父の死、そこから吹きだす家族のことがひとつあり、
通常よりも手のかかる児童書占い本のお仕事が続いて、本当に時間がありませんでした。

ふと気づいたら、もう7月も終わりで、恐ろしい気がします。
この7ヶ月、私はどうやって生きてきたのでしょう? 記憶がハッキリしません。

後半戦という自覚もなく、もう折り返しを過ぎています。
ここ何年も書かせていただいたBLENDAの休刊もネットで知る時代、
忙しさにショックが紛れているだけで、あとから来たら怖い気がします。
いや、ショックをショックとして体感しないほうが怖いでしょうか?

季節をすっ飛ばしている気がするので、春から初夏の体験がほとんどなくて。
ああ、そういえば、華厳の滝を見に行ったのがひとつの区切りで、あれが5月、
アラスカ在住の友人が来るって言っていたな~で、そういえば、もう会ったんだっけ?みたいな
変なズレ方をしております。山梨に行ったこととか、全部夢の中の出来事のような気がします。

肉体は重く下降し、精神は、勝手に浮遊して戻ってこない感覚があります。

ようやく、空白の時間が巡ってきて、何をしたかと言えば、一日寝ました。
「スパに行きたいなー。一日岩盤浴で寝たいなー」と思いながら、とにかく寝ました。

きょうはどうしましょうか。ブログの書き溜めとかしたい反面、休みたい気持ちとせめぎ合っています。
ただ、休んだら、もう廃人になりそうで。

8月までのわずかな時間が、久しぶりの休息です。大事に使いたいと思います。

能楽講座「龍田」へ

今年初めて、能楽堂へ行きました。
前回の観世会の能楽講座は皆勤賞だったのですが、今年は父の死もあって、時間の流れが変、
もう「第四回」で、微妙に寂しい気持ちになりました。
もっとも行く前は「行くって言っちゃったけれど、調子が悪いなー。しんどいなー」でございました。

前日、丸一日外に出ていたので、メールもたまっていて、そこから片付けまして。
少し寝てみたら、かなりギリギリの時間ででも、ディフュ展はむりやりのぞきました。

渋谷が苦手なんですよね。なんか気が荒くて。
あと、道行く人とテンポが合いません。
「なんでタラタラ歩いているのだ?」と自分もたいして早くないくせに思います。
おそらく、マイペースで歩けないのがイヤなんでしょうね。

一昨日、ちょっと面白い話を聞きました。
「今の日本の空気、戦争前とすごく似ているんですって」

キナくさいなー。

なので、道行く若者たちをそういう目で見てみましたよ。
キャッチしているコとか、ね。
「あなたは、戦える?」って。
野性的でギラギラした人なんて、皆無ですね。顔が温和ですもの。
でも、いざとなったら、戦うかもしれません。戦うかもしれないけれど、
きっとそれは、相当追い込まれてからのことでしょう。

友達とかいっぱいやられて、もう自分が戦うしかないって気づいて、
それから「うわわわわー」って反撃しそう。反撃して、撃退はできるけれど、
でも、タイミングとしては、相当遅くて……みたいなストーリーが浮かびました。
藤原竜也くんあたりが主演しそうなサバイバル系漫画のパターンですが、おそらく
現実もあんな感じでしょう。

今の若い人は、違うものと戦っていますからね。
大人が全然、若い世代を大事にしていなくて。
でも、我が子だけは溺愛していて、そこに歪みがあって。

おっと、「龍田 移神楽」でした。
ゲストの千田稔先生によると、龍田は特別な場所だったそうです。
龍田山があり、大和川が流れていて、その北側に龍田大社があって……。西には、三室山。
龍田の神様が降臨なさった場所だそうです。
龍田越えという言葉があるように、別れの場であり、そこを越えて故郷に戻る場所だったと。
うーん、口の説明だけだと、すごくつらい。行ったことがない、知識がない場所をうまく想像できません。

万葉集には、龍田川(大和川)は出てこなくて、龍田山が登場するそうですよ。
龍田の神様は、もともとは風の神様。志那都比古神(シナツヒコノコノカミ)、志那都比売神(シナツヒメノカミ)。
シナは、息が長いの意味。風のこと。
その後、延喜式のころには、天御柱、国御柱となって、神様の在り方が変わっていくそうです。

三室、みむろの「むろ」は、後世の解釈では、室内とか洞窟とかになりますが、本来はもろ、
つまり、杜のことだそうです。チラッと先生、古代朝鮮とのつながりもおっしゃっていたけれど、
そこ、もうちょっと聞きたかったです。

司会進行役の松岡心平先生によると、能の「龍田」には、美しい紅葉、そして、龍田姫のイメージの
背景に、天逆鉾(アメノサカホコ)があるんだそうです。
天逆鉾とは、日本創世にまつわる神話、伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)が、混沌の中から
淡路島を生み出した国生みの物語に出てくる神具です。

最近、神様から遠ざかっているので、もうこの辺りで頭がグルグルしてきまして(笑)。
でも、サカホコが、「鉾」を逆さにしたものだというところに、ん?とひっかかったりしたわけです。
人を殺すための武器である鉾が、逆さに使われて、国を成している……と。

「逆さ」には、弱いのです。
事代主神の「天の逆手(アマノサカテ)」が気になって、わざわざ美保神社まで
青柴垣(アオフシガキ)神事を見に行っちゃうモノズキですから。私は。

天逆鉾が能の「龍田」に登場するのは、風の神はイザナギ、イザナミの子供で、縁が深い神様であること。
また、持統天皇のころは、吉野の大峰山が高天原だったからではないかという説明がありました。
でなければ、持統天皇の吉野行幸の回数の説明がつかないと。なるほど。

大峰山にあった高天原を葛城、金剛山に移したのが、役行者であり、葛城修験道だろうという考察で、
そこで、もともとは立田だった土地に、修験道の龍のイメージがついたのではないかというお話でした。

氷の中の紅葉、八という数字など、いろいろなキーワードがあるんですって。
物語の中で、巫女がお坊さんを強く止めるところ、女神の舞なのに強吟で謡われるところも珍しいそうです。

で、「龍田」は、観世流にしかない移神楽(ウツリカグラ)という形で9月7日に見ることが出来まして。
移神楽は、通常の型とは違って、三段から中之舞、キリへという形が、五段舞われるとのこと。
女神だから狂うというのは適切ではないけれど、非常に土俗的なものになっていくそうです。ふむ。

キリの中にある「ゆうつけどり」は、祓いなんですねー。
わからないから、そのままにしちゃいますが、それではいけないと。
かつて世の中が乱れたときに、ニワトリに木綿をつけて、都の四方で放って祓いをしたと。
でも、ダメです。松岡先生がボソッとつぶやいた「ニワトリタツタ」で検索をかけると、
竜田揚げのレシピしか出ません。ああ、これが現実です。

第五回の観世会能楽講座は、10月1日(水)18時30分から。
「井筒 物著」だそうです。

久しぶりに、頭の中に日本神話と能楽が戻ってきた一日でした。
なお、聞き取りで書いたものなので間違いがありましたら、ご指摘ください。よろしくお願いいたします。

デュフィ展へ。

デュフィ展へ行きました。

カラフルで、ごちゃごちゃ。
好きな画風ではないのです。

でも、ずいぶん昔に「デュフィが好き」と言う人がいて、記憶に引っかかっていました。で、駆け足で見物。鑑賞する時間はなかったんです。

今回わかったのは、「そこに何があるかを伝えるのが上手い人なんだ」ということでしょうか?
気取ったパリジャンのイメージでしたが、木版画は土着テイストだし、人物画はかなりエグいですね。色彩で、ごまかされていますが。

一枚たいそう気に入りまして、絶対、クリアファイルになっていると思ったのに、絵葉書にすらなってなくて、がっかりしました。
《パリ》 1937年。
夢のようなパリ!

袋小路の部屋も、好き。なぜかこちらは、ハガキになっていて、ナゾ。絶対、パリのほうが売れそうなのに。

テキスタイルデザインとか、壁画とか、一時代築いた方なのだと認識して帰りました。あ、青い庭は、可愛かったです。わりと好き♪

追記。20140726
気にいった1937「パリ」は、ポーラ美術館所蔵でした。
あれー? ポーラなのに、なぜグッズがないのかなー? ナゾ。
てっきり個人蔵で、グッズ展開しないのかなーって思ったんだけど。
所蔵品のレベルが高すぎて、ここまで手が回らないとか?

思えば、私がポーラ美術館を知ったのは、ザ・ミュージアムの企画展でした。
あれは、何年前なんだろー?

 

オルセー美術館展とヴァロトン展へ

 

国立新美術館で開催中の「オルセー美術館展」へ行ってきました。

朝10時に行ったのですが、すごい人!!!
シャレになりません。

忍耐で見ていたのですが、途中でひらめいて、「これは、最後の部屋だ!」とズンズン進んで、
後半から見ました。超快適!

やはり、モネの大作「草上の昼食」が眼を引きます。
でもなー、「大きい」とか、「分断されちゃって」ってことが強く残って、作品としてはどうだろうか???

むしろ、初めての奥様に迫る死の気配を描いた一枚「死の床のカミーユ」のほうが胸に迫るような?

最後まで見て、最初に戻ったら、まだ大混雑で。
大きい企画展だし、夏休みに入っちゃったし、印象派が絡んでいるし、もうどうしようもありませんね。

笛を吹く少年

 

戦利品は、こちら。
美術展×伊東屋さんのコラボのオリジナルグッズ。
なんとなく、この先必要な気がして買いました。

お昼ご飯

お昼は、美術館内のレストランで。シェ・ピーエルに久しぶりに行きたかったのですが、
友人が初新国立美術館だと言うので、素直に館内で済ませました。

自由が丘で買い物をするつもりが、ボーッとして逆方向の電車に乗ってしまって……。

三菱一号館美術館

ちょうど二重橋前で気づいたので、「じゃあ、ヴァロットン展ものぞくかね?」しました。
時代的には合っていますね。
オルセー美術館展→ヴァロットン展。

前から気になっていた「バルテュス最後の写真―密室の対話」展ものぞきまして。
たいそうアートな一日になりました。

一日いろいろ見て一枚を選ぶとしたら、オルセー美術館展の
ジュール・ルフェーヴル「真理」でしょうか。素直に、キレイだなーと。
これを見てから、ヴァロットン、めっちゃ不健康です(笑)。

フレディリック・バジール「家族の集い」は、夢に見そうです。ハイ。

要は、「愛」だよな!

明日分の誕生日占いを書いていて(そうです、そんなに綱渡りなのです!)、
ふと浮かびました。

こういうのは書いておかないとすぐに消えちゃうので。

要は、「愛」ですよ。愛。

しばしば、自己愛が勝ってしまうけれど、他者に対する愛があれば、
結果的にはハッピーエンドではないかと思うのです。

愛はたやすく変質して、嫉妬になったり、憎しみになったり、
怒りになったりしますけれど、そういう思いが多ければ多いほど、
ベースにあった愛は大きくて。

愛があるから期待して、期待を裏切られたときに、
嫉妬や憎しみや怒りが生まれて。
だから、「あいつ、大嫌い」は、「あいつのことが大好きだった」って
ことじゃないかなーと思うわけです。

この辺までは、自分の中で整理がついているのですが、
無差別な怒りとか、むごい虐殺とか、近松門左衛門的な悪業とかは、
どこから来るのか、いまひとつわかるようでわかりません。
サイコパスも、わかるようでわかりません。

で、話を戻して。
相手を大事に思う気持ち、信じようとする気持ちがあれば、
なんかたいていはうまくいくんじゃないかなーって思ったりするのです。

昔から私は理想主義者で、親しい友人に
「ねえ、世界中の人と仲良くなれる、わかりあえると思っているの?」と
呆れられたことがあるのですが、何度痛い目にあっても、確かに
そっち系かもしれません。

憎しみが連鎖して、争いしか生まない土地が聖地とか、
信仰から生まれる対立、利権が生む反目をクリアできるかと言えば
出来るわけがないのですけれど。

あ、そういう視点から見ると、『マレフィセント』は愛がいっぱいです。
特殊メイク、特殊技術、古典的な下働きの女たちの世界の再現、
「いいものを作りたい」、「最高のものを生み出したい」という関係者の思いは伝わります。
そういう愛の部分を評価していけば、いい体験であり、いい時間でしたね。

相手を肯定するか、否定するかで、得られるものは変わってきますねー。
おそらく、どっちかだけではだめで。
否定してもいいけれど、もう一回見直してみる、受容できなくても理解できるように
考えてみることが大事なのかもしれません。

世の中には、「いいことしか言わない」人や「気に入らないことはズバッと言う」人なんかがいますが、
両方とも、ちょっとつらいです。ダメはダメ、いいはいいって言ってくれる人が一緒にいて楽だし、
心から信頼出来てうれしいのです。
スピリチュアル系ありがとう乱発キャラも、争うことが苦手なんです平和主義者もあなたを思うから的ダメ出しされっぱなしも、私はつらいなー。
もっと普通でいいって思うのですが。普通の愛が一番いいなって。

とりあえず、愛ですよ。愛があるから、怒るし、泣くし。でも、最後に笑えればいいですよね。
オーロラも、パパと笑えたらよかったのにね。

 

 

筋肉痛の予感

昨日は、姪との映画デートでした。
中身は27歳の中二のセンパイも、前日に参戦しました。

予告から非常に楽しみにしていた『マレフィセント』ですが、
テイストがダークファンタジーで、着地は無理やりで、「ナンダコレ?」でした。
ダークファンタジーだけど、『パンズ・ラビリンス』ほど悪夢でもなく、
そこそこ、わかりやすく、非常にお金がかかっていて。

この映画をイイという人のポイントもわかりますが、
私は、「うわー、ガッカリ物件」で非常に疲れまして。
で、気分直しが必要になりまして。

「じゃあ、ボーリングに行くか!」となったわけです。

10年ぶりでしょうか? 3ゲームやりました。
子供たちを送り届け、弟夫婦に「筋肉痛、怖っ」って脅されて帰宅しました。
今朝のところは、「肩と腰に違和感」くらいです。
弟に「明後日だね」って言われたので、明日動けなかったら、アラこまったでございます。

もっとも、ボーリングとかご飯とかするうちに、みんなで「羽根は16年も」とか、
「お父さんが」、「家来たちがお姫様に無礼すぎる」とか、いろいろつっこんでいたら、
楽しくなってきて、検証のためにもう一回見てもいいような気になってきましたが、
まあ、見ないで終わるでしょう。

物語の骨子を残して、サイドストーリーというわけにはいかなかったのでしょうかねー?
ドラゴンが出てきたときに「うわ、ドラゴン、これで消化?」とつい笑っちゃいまして。
また、妖精の国の住人達が、指輪系というか、妖怪系というか。
夢に出てきてうなされそう系で。

ディズニーのストーリー部門の破綻は明らかで、そうなると、この先どこが王道ファンタジーを担うのでしょうか。
いずれ力のある新作が世に現れたとき、ファンタジー映画もまた、進化するのかもしれません。

視点を変えてみれば、時代がファンタジーを生み出すわけですから、今の時代は『マレフィセント』なのかもしれません。
善悪の区別がつかず、本来の善サイドが理由もなく卑怯で。
で、そんな破綻している卑怯者を愛し、裏切られたマレフィセント視点で、物語が進んで行くというのは、
ある意味、非常に現代的です。

昨日書いた「お父様があんなことになっても、笑っている」も含めて……、何かの暗喩なのかもしれません。
「あー、そういう展開ね」ってみんながわかっちゃう仕掛けも、それは、そっちの意味なの?って含みもあって。

病んでいる時代の病んでいるファンタジーってことかもしれませんね。

あはは、コレ、心の筋肉痛なのかも。明日には、マレフィセント筋肉痛、消えますように。