昨日から、ぼんやり考えております。
んー、これ、どうなんでしょうねえ?
たくさんの臨床データをお持ちの根本先生にもうかがってみたい気がしますが、
今の段階で、私はこう考えます。
必要があれば、わかるんじゃないかなー?
たとえば、昨日、プーシキン美術館展で、ムーア人の出てくる絵を見ました。
もう懐かしくて!
肖像画を見るのも好きなのですが、たまに「お久しぶりです」もあります。
他人の空似かもですが、まあ、そういう濡れた毛布を掛ける行為は、
したければすればいい、見え方は人それぞれだから。
でも、過去の前世見体験で、ムーア人は一度も出てきません。
フラメンコにも、ジプシーモチーフにも惹かれますが、
まったくこれも出てきません。
文化融合で、グラダナは相当アヤシイと思っているんですけれどね。
まあ、おいておいて。
とにもかくにも、私たちが生きているのは、現世ですから。
今、ココ。
この一生で何をするか、何を見るか、どう生きるか。
銭湯行ったり、蕎麦たぐったり、酒呑んだり、
アート見たり、舞台観たり、占い書いたり、優雅で平和ですよねえ。
ある舞台で「戦争が終わったら、本に囲まれた暮らしがしたい」みたいな
セリフがあって、作品自体は、いろいろ破綻していて、
えっと、うーんとみたいな世界でしたが、でも、この視点を持てるのは、
すごいと感心したのです。
本に囲まれた暮らし。
楽器を弾く暮らしでもいいんだけど。
生きる術の次にくるのは、文化やマナー。
やっぱり、志高く生きたいですよ。
みんなが心地よく、様々な価値観でのびのびと。
だってさー、日本に生まれたんですよ、こんなにいろいろなエッセンスが巡って、溜まってくる国もないと思いますよ。宗教的なバイアス、ほとんどかからないし。
貧富の差とか、職業選択の自由度などは、エゲつないことになっているけれど、
そこ、たぶん、本質的な問題じゃないですよ。
それぞれが担当すべき部分をしっかり守っていけば、
ちゃんと回ると思うんですよね。
その背景、ルートに至る道に、前世もある気がしますが、
先祖が名家だから、今世でも、家を守るの仲間じゃないかなー?
条件のひとつだけど、絶対じゃない。家を捨てたっていいわけだし。
なんてことをつらつら考えております。つらつら。
おっといかん、仕事しようっと。で、繰り返すけれど、
薄めた抹茶なんて、まずいだけだよ。薄めたり、軽くしたりしたら、飲みやすい、
受け入れてもらえるって思うのは、愚か者の考えです。
本物は、凌駕しますよね。
本物に会えば、私たちはわかる、ああ、これが、本物だ、才能だと。
目指すは、そっち。
ま、お抹茶薄める人がいるから、本物の良さがわかるって側面もあるからさ。
その辺はいいんですよね。
違和感を持ったら、たぶん、それは、どっかにウソやまやかしがあります。
否定する必要はないの。ウソやまやかしを教えてくれる役目があるから、
むしろ感謝しないと。
ただ、必要以上に心を開いたり、合わせたりしたら、ダメ。
世界は広い、いろいろな人がいて、いろいろな磁場があります。
ひとつの価値観に縛られるなんて、ちょっとモッタイナイ。と、齢50にして思うわけです。ハイ。