「人生、ムダはないぜ」もしくは、「首を洗っておけ」の巻

昨日は、神保町からお茶の水へ。わりと狭い範囲におりました。

湯島聖堂で、参拝のマナーをうかがったところ、「廟なので、神社でもお寺でもない」と教えていただきました。

あとから、「ということは、媽祖廟と作法が同じかなー?」と思いました。今度また、うかがってみます。

昨日は、面白い話をうかがって、「わああ、そりゃあ、大変だあ」でした。
要は、道具がなくても、結果がわかっちゃう人の話です。
道具がなくてもわかっちゃう人にとっての占いの意味、ちょっと考えてしまいました。

不思議だったのは、「こういう話を出来る人が他にいなくて」とおっしゃること。」
えええ? 私のまわり、「『こういう話』しかしない人」しかいないですよー!!!

「私、浮いているんですよ」

えええええ、そうか。じゃあ、私もか! チーム・プカプカ。

昨日、所用ついでに、キリヤ先生の本を引き取ってきました。
ついでに、「あ、書籍になったんだ!」で、『実録 わたしの魔女修行』も買いました。
webで読んでいたので、内容は知っているのですが、応援したくて。

で、この本がいい仕事をしましたよ!!!

中に「魔女狩りの拷問の夢」の話が出てきましてね、それをパラ読みして、
ハッ!となりました。

そっか!!!! コレかああ!!!

金曜日の「はじめての前世体験」、正直、ぬるかったんですよね。
瀕死で痛いことは痛いけれど、心にひっかかりはないというか。
「なんで今、コレを見るんだろう?」みたいな。

でも、理解しました。
「そのうち、壮絶なの行くから、首洗って待ってろ」ですねー、要は。
前世療法でカギになったのは、「痛かったり、つらかったりしたら、体から離れていいからね」っていう教えで、スウェーデンは、おそらくどうでもいいのでしょう。

どうでもいい、は言い過ぎだけど。

魂が屈折してないもの。だから、「オレ、朝の散歩好きなんだよねえ」とか、
「パンにはスープでしょ」みたいなノリなんですよ。

大事なのは、「つらいときは、体から意識を離せ」の教え。
わーん、魔女も、遊女も、間に合っていますよー。わかっているよー、のーさんきゅー!
魔女も遊女も、子供の頃から引きが強すぎて、「なにかあるよね」なんですよね。
逆に、「わかっていると、出てこないなあ」だったのですが、
「あなたは、何もわかっていない!」を言いたい人がどこかにいるに違いありません。

「真実はひとつ、これだああ!」が、そのうちに行くから、覚悟しておけ。準備はいいな?的な?
「痛い時、つらい時は、体から~」を学ばせてから始まる物語、どんなんですかね? 恐ろし過ぎませんか?

まったく、人生にムダはありません。
そして、首を洗って待っているしかありません。

チーン! ということをつらつら書く朝6時、7時になったので、ごはん食べて仕事しまーす!
みなさまも、よい一日を!

 

 

前世を知る必要があるかどうか

昨日から、ぼんやり考えております。

んー、これ、どうなんでしょうねえ?

たくさんの臨床データをお持ちの根本先生にもうかがってみたい気がしますが、
今の段階で、私はこう考えます。

必要があれば、わかるんじゃないかなー?

たとえば、昨日、プーシキン美術館展で、ムーア人の出てくる絵を見ました。
もう懐かしくて!

肖像画を見るのも好きなのですが、たまに「お久しぶりです」もあります。
他人の空似かもですが、まあ、そういう濡れた毛布を掛ける行為は、
したければすればいい、見え方は人それぞれだから。

でも、過去の前世見体験で、ムーア人は一度も出てきません。
フラメンコにも、ジプシーモチーフにも惹かれますが、
まったくこれも出てきません。

文化融合で、グラダナは相当アヤシイと思っているんですけれどね。
まあ、おいておいて。

とにもかくにも、私たちが生きているのは、現世ですから。
今、ココ。
この一生で何をするか、何を見るか、どう生きるか。

銭湯行ったり、蕎麦たぐったり、酒呑んだり、
アート見たり、舞台観たり、占い書いたり、優雅で平和ですよねえ。

ある舞台で「戦争が終わったら、本に囲まれた暮らしがしたい」みたいな
セリフがあって、作品自体は、いろいろ破綻していて、
えっと、うーんとみたいな世界でしたが、でも、この視点を持てるのは、
すごいと感心したのです。

本に囲まれた暮らし。
楽器を弾く暮らしでもいいんだけど。

生きる術の次にくるのは、文化やマナー。
やっぱり、志高く生きたいですよ。

みんなが心地よく、様々な価値観でのびのびと。
だってさー、日本に生まれたんですよ、こんなにいろいろなエッセンスが巡って、溜まってくる国もないと思いますよ。宗教的なバイアス、ほとんどかからないし。
貧富の差とか、職業選択の自由度などは、エゲつないことになっているけれど、
そこ、たぶん、本質的な問題じゃないですよ。

それぞれが担当すべき部分をしっかり守っていけば、
ちゃんと回ると思うんですよね。

その背景、ルートに至る道に、前世もある気がしますが、
先祖が名家だから、今世でも、家を守るの仲間じゃないかなー?
条件のひとつだけど、絶対じゃない。家を捨てたっていいわけだし。

なんてことをつらつら考えております。つらつら。

おっといかん、仕事しようっと。で、繰り返すけれど、
薄めた抹茶なんて、まずいだけだよ。薄めたり、軽くしたりしたら、飲みやすい、
受け入れてもらえるって思うのは、愚か者の考えです。

本物は、凌駕しますよね。
本物に会えば、私たちはわかる、ああ、これが、本物だ、才能だと。

目指すは、そっち。
ま、お抹茶薄める人がいるから、本物の良さがわかるって側面もあるからさ。
その辺はいいんですよね。

違和感を持ったら、たぶん、それは、どっかにウソやまやかしがあります。
否定する必要はないの。ウソやまやかしを教えてくれる役目があるから、
むしろ感謝しないと。
ただ、必要以上に心を開いたり、合わせたりしたら、ダメ。

世界は広い、いろいろな人がいて、いろいろな磁場があります。
ひとつの価値観に縛られるなんて、ちょっとモッタイナイ。と、齢50にして思うわけです。ハイ。