夢を見ました。
啓示的な夢でした。
少し前から、そうね、木星が射手座に入ったあたりから、妙に視界がクリアになり、いろいろな背景の理由、本質がわかるようになってきたのですが、それを超える圧倒的な質量で、情報が入ってきました。
勢い余って、人にシェアしちゃった!!!(笑)
「夢のシェアです」と朝からメールを押し付けられて、相手の方も相当びっくりなさるでしょうね。でも、目覚めて、パッと意識がつながったので。イメージも降りてきたので。
この前、易の姉弟子に「直感線がないのに、占いをやっているのね」って言われましたが、直感線なくても、直感は強いですし、むしろ大事なのは、洞察力じゃないかなーって思うのです。
洞察はしてますよ。いじけた子供だったから。じーっと見ている、どういう意味なのかな? どうしたいのかな? どういう流れになるのかな?って。
いじけた子供が、無邪気な子供になっただけですね。間違いない。大人じゃない。
洞察から、共感や構築へ結びつけていく。これが、私の占いのスタイルなのでしょう。
思い出したから書いてしまいますと、仲の良かった友人の結婚式の二次会で、
新郎の親友にこう言われたことがあります。
「霊感ないのに、占いやっているんだ。大変だね(冷笑)」
こんな失礼なことを言わせて、笑っているだけの新婦をどうかと思いました。
別件の新婚ハイの無礼もいくつか重なって、この友人は遠ざけております。結婚を機に疎遠になることもありますよね。友人のことは好きなのですが、まあ、仕方がない。
俗に言う霊感はないです。
霊を感じたのは、霊能力者が身近にいたときだけ。
こんな怖い世界があるのかとびっくりしました。
でも、その人と疎遠になったら、まったく見なくなりました。
見なくていい、わからなくていいのでしょう。
だから、危きには近寄りません。私にはわからないだけで、あるから。
仮に、障ってしまったら、自分では対処が出来ず、どなたかの手をわずらわすことになるから。面倒をかけるわけにはいきませんから、アブナイもの、怖いもの、アヤシイものには近寄りません。
霊感や直感、ただ、あるだけでは、役に立たず、その先の浄化とか、対話とか、違う能力がなければ、個人の中にとどまっていきます。
まったく、ちょっとわかる人は、感じが悪いです。選民意識があって、こちらを見下します。
もう亡くなってしまった別の能力者さんがおっしゃっていました。
「スピリチュアルな人たちって、上から目線の人が多いでしょう?
あれって、意識が地についてないから、実際に上から見下しているんだよね」って。
それか!!!と腑に落ちました。
上から目線のスピな人の言うことなんて、聞かなくていいと思っています。たいてい、ロクなもんじゃない。真剣に見えない世界に向き合っている人は、もっと謙虚で真摯です。
わからないものはわからない。でも、どうしてわからないのか、理由を考える。
ふいにわかる時もきます。私たちは、おそらく、同じ船に乗っています。その船の中で、お互いが快適に過ごせるように、自分がやれることを真剣にやるだけです。
きょうは、非常に啓示的な朝でした。ちゃんと生きましょう! やりますぞ。