蹴鞠と能

観世能楽堂の能楽講座に行ってきました。
なんだかんだで、皆勤賞です。ただ、肝心のお能は、ずっと見ていないですね。
定期能は、毎月日曜日なのですが、これが、妙に出にくい日で。残念です。

さて、昨日は、『遊行柳(ゆぎょうやなぎ)」という演目についてで、
歌人の水原紫苑さんがゲストでした。

世阿弥の「西行桜」を意識された作品で、
観世信光によって作られたのが、「遊行柳」だそうです。

シテは老人の設定ですが、青々とした青柳のイメージで演じられるんですって。
確かに、強い生命力を感じました。

ただ、講演として、これまでの能楽講座に比べて話に広がりがなくて、
同じところをぐるぐるしていた印象を受けました。
一つは、お家元が今月上旬のフランス公演の疲れで、「今頃調子が狂ってきた」こと。
加えて、進行の松岡心平先生の作品のお好み。
そして、なにより、ゲストが女性だったことが要因でしょう。

水原紫苑さんは、非常に女らしい方でした。和装でスキがなく、スゴイです。
でも、これがどうも、今回はマイナスに働いた印象を受けました。
また、松岡先生のご紹介もよろしくなくて、
「水原さんは最近、よく見るようになって」みたいな失言をされたため、
水原さんは「そんなことないです。前から拝見していて」と弁明になってしまい、
「あれも、これも素晴らしかった」と……。
その流れで、最後まで話題が感想の粋を出なかったような気がします。
お能は、出が勝負で、最初にしくじると取り返しがつかないとお話に出ましたが、
鼎談もあるいは、そうなのかもしれません。少なくとも、能舞台で行われるものは。

また、お家元の意識と水原さんの愛されよう、好かれようとするお人柄の相乗効果で、
どうもどこかのクラブかバーの会話が再現されているような奇妙なトーンで
進んでいきました。
でも、松岡先生は「いい時間でした」とおっしゃっていて。

え、そうなの??? 私は今までで一番内容がなかったと感じましたけれど?
なんだか、空間がモタついて疲れてしまって。
「飲み屋? ねえ、飲み屋?」って思いながら、聞いていました。

見所の空調がキツくて、しんどかったです。
正面は混むので、脇に逃げているのですが、空間的にスカスカのせいか、
寒いったら、ありません。
ちょうど、ゲリラ雷雨に合い、一回上がって、地上が蒸され、また、渋谷で
降られて、ちょっと濡れている状態で能楽堂の冷房だったので、本当にキツくて。

一応、ストールとか持っていましたが、そういうものでは追いつかないくらい
寒くて、参りました。

奈良の談山神社が、かつて能の試演場だったこと。
蹴鞠は、敵の首を蹴ったことから始まった説があること。
これが、個人的に響きました。

遊行柳
ロビーに参考に出ていた装束です。柳に蹴鞠の意匠なんだそうです。
面白いです。作った人がいて、買った人がいて。
いや、注文なのでしょうか?

遊行柳のモデルになった柳は、もう3代目、4代目だそうですが、
非常に青々として、いわゆる老人ではないこと。
「西行桜」は、比較的上演されるけれど、「遊行柳」は珍しいこと。

メモを見直すと、導入部で、水原さんは美しい言葉を使われています。
「健やかな狂気」
「自己と他者」
「時間と記憶の物語」
しかし、これが、だんだん合いの手に変わってしまって。
クラブのママと上客の世間話みたいなトーンになってしまい……。
まあ、珍しいものを見たといえば、それでいいのかもしれませんが、
ちょっともったいなかった、もっと引き出しようがあったんじゃないだろうか?と
素朴に感じつつ、凍えて帰って参りました。

編集さんに誘われ、数人で談山神社には行ったことがあります。
そして、装束を着けて蹴鞠体験を致しました。
蹴鞠、楽しいんですよ。高く球を蹴り上げて、「続く」ことが大事なんです。

談山神社は、遠かったです。
タクシーに分乗してたどり着いた記憶があります。
でも、昔は、彼の地がひとつの拠点だったのですね。

鹿の革を張り合わせた蹴鞠が、もとは、敵の首というのは、なかなか
シュールです。
私も、少しだけ、時間と記憶の旅をしたのかもしれません。
来年、談山神社で能の公演があるそうです。ちょっと行きたいかもって思いました。
遊行柳は、9月1日(日)、観世能楽堂にて、観世会定期能で上演されます。

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2013年7月24日 | カテゴリー : 日々のこと | タグ : | 投稿者 : 章月綾乃