20年!

数日前から「あれ?」って気づいていて、
いよいよ、きょうが20年目。

20年前、大好きだったタカラジェンヌさんが退団しました。
退団演目がベルサイユのばらで、もうチケット取りが大変で、大変で。

なんであの時、あんなにムキになったんだろう???

まあ、空っぽだったんですよね。テイのいいすり替えですよね。

あの時の熱を仕事に注いでいたら、もっと違う人生だったでしょうね。
で、「アレがなければ、お金持ち、お金が溜まった」なんてないわけ。

変な言い方だけど、体験しないと学ばないから。
私には必要がプロセスだったのでしょう。

いろいろ思い出します。
チケット取りのために、徹夜で並んだら、ネグレクトの兄妹に出会ったこと。
あの子たちももう、20代後半、どんな大人になっているんだろう?
もっと深くかかわって、せめて友達になればよかった。
育児放棄されて、垢だらけ。お風呂に連れて行ってあげればよかった。

もうごひいきの男役は見られない(当時は、推しなんて言葉はありません)で、
「会えなくなるけれど、同じ月を見ているね」的なロマンチックな言葉で、
ファン同士が慰め合っていたのに、新婚フィーバーで頭がイカれた友人夫婦が乱入してきて、「オレ、結婚した。妻に月を買ってあげたんだ」「私、結婚した、旦那様に月を買ってもらったの」と大騒ぎしたこと。

「ここ、ファンサイトなんだけど?」と抗議したら、「インターネットは開かれた場所、何を言ってもいい」と逆切れされました。
20年経った今も改めて思うけれど、アレはないよ。アレはなかった。
いくら結婚して有頂天でも、なんでお通夜みたいな場所で、「オレたち幸せ」ってやっているのさ? ちょっと間抜けすぎて、今は笑えてきますが。

当時は、何が起こっているのかわからないし、抗議しても逆切れされて、もうどうしていいかわからなかったです。さくっと削除しろ、昔の私よ。

そもそも、私の月は、私だけのものだ。なんで売り買いされているのだよ。
もう世の中の仕組みがさっぱりわかりません。

でも、まあ、死者の霊を月に飛ばして弔う人たちもいましたねー。
大枚はたいて月を買って、知らない人の霊にジャックされていると考えるとそれはそれで愉快かもしれません。空のお財布、フリまくる人たちもいましたよね。
うん、月って、結構大変かも。
お金でお月様を買おうなんて人は、そういう現世利益を求める蒙昧な邪念もいっぱい引き寄せちゃうでしょうね。くれぐれも、お気をつけ遊ばせ。

ヅカファン時代は楽しかったけれど、ファンとして知り合い、仲良くなった人は、今は誰ともつきあっていないのです。少しの間、交流があったりもしましたが、私が宝塚を見なくなったら、もう共通の話題がありません。
一番仲良かった子は、癌で亡くなりました。闘病を巡って思いが掛け違い、大変でした。

大好きだった人の舞台が見られなくて、自堕落になっていたら、心配してくれた人が絵本を送ってくれました。たまに思い出します。ありがとう、優しくしてくれて。あなたのように優しい人に私もなりたいです。

20年ってすごいな。いや、だいぶ、遠くまで来ました。

「萌え」「推し」「尊さ」って、本当に概念なんだなと感じます。
夢中になっている時は、絶対。だって、すべてを埋めてくれるから。
でも、何かの事情で終わると、少しずつ、意識が現実に戻ってきます。
空っぽだった自分、つまらなかった毎日、完全燃焼がない時間、そこで、
次のターゲットを求めていく人が多いと思うのですが、私は、「もういい」って
思いました。もうやめよう、キリがない。

あれから20年、あのころにみたいに「コレがあれば、幸せ」とか、
「このために生きている」はないのですが、案外幸せで充実していますね。

当時、猫を飼っていたら、どうだったんだろうと思ったりもします。
もっと地道になっていたかなー?

20年後、私はきっと、「40年前は宝塚見てたわねえ」とか、
「20年前は、猫と暮らしていて、猫に人生をジャックされていた」とか思い出すのでしょうね。あはは、なんか楽しい。そもそも、20年後生きてるかな?

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2021年8月12日 | カテゴリー : 日々のこと | 投稿者 : 章月綾乃