こらえ性がないというか。

こらえ性がないというか、生きるスピードが早いというか、
自分のところで何かを止めるのが苦手です。

意識してテンポをゆるめるつもりで、昨日の感想を1000ワードにまとめてみましたが、
そんなものではまったくパワーの制御に至らず、さっさと第二回の課題を出してしまいました。

うーん、この時間感覚、どこからきているのでしょうね?

ひとつは、締切ですよねー。
とりあえず、早い方がいい。これが基本にあります。
早く出せば、イラストやデザインを起こす時間に余裕が生まれるし、
方向性を間違っていたら、すぐ直せますし。

もうひとつは、人に指摘されて気づいたのですが、
先送りしたら、友人が死んだ経験があるせいだと思います。

私は、基本的にノーと言えない。
言いたくない。言うこともあるけれど。
「それは、お友達が亡くなったせいだよね?」

おそらく、それです。
「きょうは疲れているし、ちょっと取りこんでいて。日曜日に話そう」で、
日曜日に届いたのが訃報だったというイヤな経験があります。

ああ、あともうひとつ!!
実はこれが一番かもしれません。

私は私を信用していないのです。
来週に回したら、忘れるかもしれない、と。
うむ、ホント、これに尽きるかもしれません。やれやれですね。

 

伊勢丹のOTOMANA

新宿伊勢丹に大人のための学びの場「オトマナ」がオープンした。案内を見て、そそられたのは、49講座中4講座。ところが、いずれも絶望的に日程が合わない。日曜開催は、主婦には難しい。かといって、平日開催でも、家の用事とぶつかったら、諦めるしかない。いくらよさそうでも、木曜夜もありえない。唯一、隔週の月曜開催の<元『ニューズウィーク日本版』編集長に学ぶ「伝わる」文章の書き方>に行けそうなので、申し込んでみた。
第一回に参加してみて、一番驚いたのは、受講用の机の立派さだった。一般的なセミナーでは、長机を数人でシェア、あるいは、簡易テーブルつきの椅子というのが定番だが、たいてい受講者の生理に合っていない。どれほど資料を広げても、十分にノートが取れる広さが確保されていること、手荷物置き場までついていることに素直に感心する。もっとも、これは、ラインナップの中にアクセサリー作りの講座などがあるからかもしれないが。
添削つきということで、事前にテーマが与えられていたのだが、これが非常に曖昧な指示で何を書けばいいのかわからなかった。考えるより埋めればよしと割り切り、さくっと出したが、「マニュアルを書いているよう」という評が返ってくる。もっと、個人の視点を! 突き詰めれば、それに尽きるわけだが、それなら、最初の指示をそう出して欲しいと思った。ただ、私以外の受講者は、一様に個人の体験を書いている。ここが興味深い。
一体、どこでズレが生じたのか。よくよく考えてみれば、私の普段の仕事は、個人の体験には触れない。占いの原稿や心理テストの解説には、不要な要素なのだ。もちろん、文章を書くための視点は私のものだ。占いの基本となる星の解釈や想定される未来予想図、提示する選択肢の幅には、独自の世界がなくてはならない。他の占い師と同じでは、存在価値がないだろう。占いを生業にして20年を超え、無意識の制御があったということだ。
講座は淡々と進み、定刻通りに終了する。進行役の他にも送り出しに3人が待機していて、受講者に変わってエレベーターを呼び、深々と頭を下げる。見慣れた百貨店のサービスが待っていた。自分が何をしていて、どこにいるのかがわからなくなる。私が申し込んでいるのは、全6回のうち前期3回。よい機会なので、この先も感想を課題となっている千文字に納めて綴ってみようと思う。果たして、文章の書き方は、上達するだろうか。

加賀の潜戸や隠岐のこと。

氷川神社さんについてお問い合わせをいただき、
雑談メールをお返ししたところ、記憶のフタが開きました。

そういえば、私の神社好きは、出雲から始まったのでした。
さらに元をたどっていくと、「龍」探しからなのですが。

龍を探して、最初にうかがったのが、京都の浦嶋神社さんでした。
そう、浦島太郎の伝説のある神社です。
なぜに、龍で浦島太郎? いや、「龍宮」連想だったのですが。
しかし、こちらには、私が探している龍の気配はなく……。

ちなみに、一言で京都といっても、シャレにならない遠さですよ。
我ながら、よくもまあ、行ったものです。

次に、出雲に行き、諏訪に行き、鹿島に行ったのでした。

もっとも、最初の出雲は、ルイス・C・ティファニー美術館目当てでした。
庭園美術館で出会った《鹿の窓》にまた会いたくて、それが、日本にあると、
知って驚いて、旅を企画したのを覚えています。まるでついでのように、
「あれ、出雲大社、結構近いんだ」で、初参拝だったと思います。

そして、初めての出雲で、海上自衛隊の方のお話を伺って、
「隠岐に行きなさい」と言われたので、二回目の島根の訪問は、
素直に、隠岐でした。

隠岐で、私は悪夢にうなされました。
「なぜ、戻ってきた」「どのツラを下げて」
「あんなことをしたのに、よくもまあ」
見えない憎悪が飛んできます。
なぜか、昼間、参拝した玉若酢命神社のご神木である
八百杉が庇ってくれたのです。

「まあ、まあ、そう言わずに」

八百杉は、もちろん、ご神木です。
ご神木が庇ってくれたって、もういくら夢が破天荒だからって、
意味がわからないですよね。

ものすごい汗をかいてなんとか目覚め、その日は、隠岐を離れる日でしたが、
フェリーに乗る前に、もう一度、玉若酢命神社様に寄りまして、
八百杉にお礼を申し上げて、失礼したのでした。

あの夢はなんだったのでしょう。

東京で、『隠岐島コミューン伝説』という本を見つけ、あるいは?と思いましたが、
未だによくわからずにおります。

隠岐といえば、天皇が流された島くらいの認識だと思いますが、
実際に足を運ぶと、豊かさに驚かされます。
海上自衛隊の方がオススメしてくださったように、本当に自然が豊かで、
素晴らしい島でした。もっとも、4島のうち、3つしかうかがっていないのですが。

前世で何か因縁があったのでしょうか?
よくわからないですね。

で、よくわからないことは、いくつもありまして、基本的に私は、見えないものは
わからないタイプなのです。ところが、結構いろいろな不思議が島根では起こりました。
加賀の潜戸でもあったし、美保神社さんでもあったし、須佐神社さんでもあったし。

ただ、共通していることがあります。
基本、1人の参拝のときです。1人だと、何かが緩むのでしょうか。
すっと世界が変わります。

おそらく、どなたかとご一緒だと、私は人に意識がいくのです。
意識が現実から離れません。

人と一緒で、「おおお!」は、早朝参拝の伊勢神宮、内宮の荒祭宮でしょうか。
開放されているとはいえ、闇の中。
確かに、そこは、神の領域でした。
闇の中は、どなたかと一緒にいても、一人なのかもしれませんね。

こういうこと、すっかり忘れていて、離れていました。
今、記憶が蘇るのは、何か流れが変わったせいでしょうか。

玉若酢命神社様の八百杉様は、立ち枯れているという話ですが、
本当にそうなのかしら?と思うほど、力強く、印象深いです。
もっとも、夢で逢っていますから、そちらのイメージかもしれませんが。

大雨の中、出雲大社にひとりで参拝したこともあります。
通常、あれだけ大きなお社ですと、どんなに早朝でも、どなたかがいらっしゃるものです。
ところが、狂ったように大地を叩く大粒の雨に、しばし、空白の時間が流れました。
とにかく、雨。狂ったような大雨、大きなお社にたった一人です。いや、ご神職様たちは
いらっしゃいますよ? 早朝ですから。でも、人気がありませんでした。
正しく正面から伺って、同じ道を戻って鳥居を出たとき、参道が産道と言われる意味が
わかった気がしました。

高千穂も阿蘇も、東北の神々も、まだご挨拶しておりません。
いずれ、ご縁が生まれて、うかがえる日が巡ってきますように。
神社愛、なぜか蘇ってきました。なぜでしょうね? 面白いですね。

《鹿の窓》も、死ぬまでにもう一度、眺めてみたいです。

ルイス・C・ティファニー美術館、本当に好きな美術館でした。
今でも、美術館オリジナルのファイルも図録も、大事に大事に取ってあります。

気持ちも新たに。

昨日の大祓神事の効果は目覚ましく、、きょうは大変すっきりした気持ちでおります。
もっとも、体は疲れていて、昼まで寝ているという体たらくですが、まあ、それはそれで。

おさがりでいただいたお神酒や榊、茅の輪の神札、お心づくしをいただき、
温かく、ありがたい気持ちでおります。

一時期、何かに導かれるように各地の神社にうかがっていて、その後、気持ちが離れて、
数年ぼんやりしていましたが、ここ数か月の流れの中で、素直さが戻って参りました。
また、笑ってしまうのは、必死で覚えた作法は、案外消えないのですね。
お神酒のいただき方など、にわか覚えが役立ったりして、記憶の不思議を思いました。

最近思うのは、すべて必然だということです。
物事がよく動くように人事を尽くす必要はありますが、あとは、天にお任せしていればいいのだと
昔から言われていることに、着地しつつあります。

一見、悪いことのように思えても、結果的にはよいところに納まる……、
疑いや恨み、妬み、自虐などをしていますと、この辺りがうまく動きません。

あとは、時節を待つことでしょうか。
つい、答えを急ぎ、求めてしまいますが、無理は通らないものですね。
自分の未熟さ、才能や力、魅力のなさを嘆いて、背伸びしたくなりますが、
無理すれば、反発、反動がきます。

わかっていても、つい先へと急かしたくなるものですが。

では、2015年の下半期、また、進んで参りましょう。

夏越の大祓

夏越しの大祓、小泉茉莉花先生とマリィ・プリマヴェラ先生とご一緒しました。

大祓

 

後半も、実り多き時間を過ごせますよう! みなさま、お健やかに!

 

「ボルドー展 -美と陶酔の都へ」へ

最初に、自首します。
ミュージアムショップで、フルボトルワインを買いました。

ボルドー展

いや、これは、買いますよ。買っちゃいますって! 図録買わずに、ワイン買っちゃいますよ(笑)。

初手からアプローチが違います。西洋美術館では、通常企画展のスペースに向かうと、左に流しますが、今回は、右に降りていきます。ん? なんだ、この演出は?

降りて見るとわかります。
星の海みたい!
いや、ハードル上げすぎちゃうといけませんが、展示ケースのライトが、キラキラで、本当にそう見えたんです。

ライトが照らすのは、様々な「むかし」。25000年前のヴィーナスに、意図的に川に沈められた剣。早世した我が子のためのかわいらしい墓碑。

まあ、導入の映像から狙いすぎで、ボルドーワイン、フランスとイギリスの100年戦争のきっかけとなった王妃の恋、ボルドーワイン、月の港という異称、ボルドーワインなわけですが、もう終わるころには、頭がワインになっちゃうわけですよ。なんだ、このすごすぎるプロモーション!

目玉のドラクロワに行きつくまでに、ヘロヘロになります。ロマンチック過ぎて!
さらに、ルドンにゴヤ、珍しいモネのイラストみたいなやつとか、いやもう、いちいち揺さぶられて、私、もうダメです。
ふらふら、ワインを買い求めて、美術館を後にしました。

迷っているあなた!
「行くのです!」
しかし、もれなく、ボルドーワインの洗脳に合います。喉が乾きます。
ダメ押しのワインのラベル展示まであるんですよ。もうボルドー市、ノリノリ過ぎるでしょ?

ドラクロワ、迫力でした。
ルドンの模写のおかげで、炎が飲み込んだ部分も想像できました。いやいや、しかし、すごすぎるプロモーションです。まんまとワイン買いましたが、悔いはありませんともさ

ボルドー展

 

私たちは夢を見る。

昨日の神道文化会の講座で、加門七海先生がこんなことをおっしゃいました。

「占いをしない人も、夢は見ますから」

もう目からウロコがポロポロで、嬉しくなりました。やはり、この仕事をしていますと、反発や全否定もあるんですよ。
「信じないから」
「当たるの?」みたいな。

私のトラウマをひとつお話ししますと、まだ駆け出しだったころ、やっと有名雑誌に書かせてもらえ、嬉しくて友人に話したところ、「あなたが書くなら、もう信じない」と言われてしまいました。本当に悲しくて。神秘性を壊して悪かったですが、私が占いを仕事にした話はしていたのになあ、です。
その子は冗談や軽口のつもりで言ったのかもしれませんが、20年経っても、痛みと悲しさが澱のように残っています。ちゃんと学んだし、めちゃくちゃ文章直されて、それでも諦めずにやっと書けたのに、全否定ですか。まあ、この場合、否定されているのは、占いではなく、私の能力ですが。ははは。

占いを信じないのも、ひとつのスタイルでしょう。しかし、「占いを信じない人も、夢を見る」のです。なんて、愉快で痛快な視点でしょう。

占いは、いつも必要なものではありませよね。占いにすべてを委ねるのは、間違いです。依存するのは、危険なことです。
「占いで言われたから」で、何かを決めてはいけません。あくまでも視野や選択肢を広げるためのものですし、視点を変えて物事を検証するための材料にすぎません。言われたことを鵜呑みにするのではなく、ご自身で吟味し、感覚的に合うか考えなくてはいけないと私は考えます。最終的には、ご自身で選ぶのです。

だから、夢でもいいわけです。夢でハッとする、夢見が悪くて引きずる、夢のお告げに従う、などなど。
なんて世界は、不思議に満ち、楽しいのでしょう!

占いも夢も同じ源から生まれ、意識して取りにいかなくても、指針をもらえるなんて!

「夢なんか見ない」
そんな方も多いかもしれません。でも、それは、何かを麻痺させて生きているからかもしれませんよ~。余裕がなくなると、夢見にくくなりますから。

要は、無意識との対話ですよね。
占いも夢も無意識の混沌から浮かび上がってくるものの表れですから、顕在意識の世界で使いこなすためには、こちらの言葉への置き換えや読み解きが必要になります。
そこが、ご自身の感性だったり、占い師の腕だったりするわけですが。

占いを信じない人も夢を見るならば、今を知るためのよりわかりやすい手がかりが必要になります。
私ももっともっと研ぎ澄まし、よい読み手になれるよう頑張ろうと思いました。

神道文化会「占いと神道文化」へ

神道文化会の「占いと神道文化」の講演会にうかがいました。

大野出先生による「おみくじの歴史」。加門七海先生による「占いとは」。

内容が濃く、楽しかったです。

なのに、なんと聴講費500円という!

すばらしいです。神道文化会様!

加門先生の聞き手になった方、なんだか見覚えがあり、よーく考えたら、三峰神社さんで神職体験ツアーに参加したときにいらした神職さんじゃないかと一人で納得しました(確かめられなかったのが、無念です)。

埼玉神社庁さんの企画、楽しいんですよ。またいつかうかがいたいなあと思いました。

お友達と加門先生にも、ご挨拶出来て、嬉しかったです。また、闇ハイク行きまーす! 闇ハイクも、楽しいんです。

本日のオススメ
・神道文化会さんの格安講座
・埼玉神社庁さんの「神職さんと行くシリーズ」
・中野純&加門七海先生の闇ハイク

気になった方は、検索をかけてください。いずれもいつもあるわけではないですが、「楽しい」んです!

珍しく根を詰めまして。

昨日は、旦那の大腸検査で、休みを取るものですから私も落ち着かず、
自宅で待ちながら、仕事を進めました。
しかし、仕事、やってもやっても終わらなくて。

最近、成り行きで入った用事とか、前からのお約束とかで、
まともに家にいられなくて、なんだか久しぶりに根を詰めました。

意識のどこかで「いいことがあったなあ」があって、なにがいいことだったのか
よーく考えてみたら、「ねこ、お尻をあげる」とか、「ねこ、しっぽをふる」とか、
ねこしぐさを検索かけて、「ほう、子グルは、私を自分のモノだと思っているのか」と
理解して、ほくほくしているというのが真相でした。
よくわからないうちに、「野良猫、家で飼うには」とか調べたりして。

まー、夏場は大丈夫だと思うんですよ。
冬、心配。

これまで大丈夫だったんだから、大丈夫かもしれないけれど、冬の海辺、ふきっさらしのところに
グルと子グルが震えているすがたを想像しますとねー。

グルちゃん 子グルッタ
しかし、子グルは「あなた、いい人。私、あなた好き」とぽにょモードになっていますが、
グルちゃんは、「んー、悪いやつじゃないってわかってきたけど、人間なんてねー」みたいな
ムードが漂っています。
となると、グルちゃん、連れてきたとしても、ケージの中からしばらく出せないんじゃないかなーと。
野良生活が長いと、人間との暮らしに慣れるまでに倍くらいかかる子もいるそうです(結構関連記事を読みこんだらしい)。
数か月なら不機嫌にも耐えられそうですが、何年もになると、どうでしょうかねー?

子グルは若いし、甘え上手だから、適当なところで新生活に順応すると思うのですが、
猫のなわばり意識を考えると、本当はグルに優先権をあげないといけないと思うんですよねー。
散歩中、見ているだけでも、「ああ、やっぱり、優越あるんだあ」がわかりますし。

グルちゃんは、体壊していますしねー。子グルは片目が潰れています。
猫の医療費、私、まかなえるかしら?

そう、もし、連れて来るなら、親子いっしょだと思っていて。
ただ、グルと子グルがいなくなったら、子グルのそっくり姉妹猫やおくびょうちゃんが
つらくなるかもしれず、2匹でもアレなのに、4匹なんて、ちょっとありえないので、
また、そこも考えちゃいますねー。

子グルッタ

 

まあ、アクション起こすとしたら、猫ボランティアさんにご相談してからですけれど。
おうちで飼えないまでも、本当に熱心にお世話されていますから、無断で何かするのはありえないわけです。

なんていうのかなー。
うちに来て欲しいんじゃなくて、猫が幸せなら、それでいいんですよ。
わずか3ヶ月弱でも、なんだかもう、情が移っています。ハイ。
しっかし、子グルは、なつきました。
先月、「猫ボランティアさん、子グルのお尻叩いたよー。すげー」って思ったのがウソみたいです。
あのころはまだ、「見かけない顔だね、こっち来るな」とツーンとされていました。
野良猫との交流、人に話すと笑われますが、結構いいものですよー。

心優しいみなさま

心優しいクライアント様が、木曜会を配慮して馬喰町まで来てくださいました。

ありがとうございます。

また、心優しいお客さまが、ぼっち木曜会から救ってくださいました。こちらも、ありがとうございます。

面白かったのは、全ての占い結果がひとつの方向を指し示し、ブレなかったことです。スパッとさわやか!

木曜会

 

今朝は、グル散歩もしました。

御覧ください!

 

子グル

 

なつきました!子グル!

大本命の子グルのママのグルちゃんは、「なーにが面白いんだか。私は、媚びないわ」とばかりに、距離を取ります。

グルちゃん

 

浮気を責められている気分です。しかし、君たち、親子だよね?

子グル、カワイイんですよ。膝に乗ってくるし、お尻もあげます。背中をなでると、しっぽを私に当たるようにふりふり動かします。あんなに、警戒してたのに、馴れたら甘えん坊で人懐こい子でした。

うちに来るかい?と誘いたくなります。来ないだろうなあ、自由もいいよね!