アート三昧3「グエルチーノ展」へ

ラストは、グエルチーノ展へ。

バロック、好きなんですよ。荘厳、どんとこい!なんですよ。

画家名は、よく知らないけど、ポスターにそそられました。
こりゃ、絶対、空いているから(ミーハー客はまずいないジャンル)、さらに夜間公開でバッチリ盛り上げようと、うきうき企画し、実行しました。だって、荘厳な宗教画あとに、白々しい昼の光じゃ、余韻が消えちゃいますから。やはり、夜ですよ!

が、最初の部屋は、「ふーん」でした。ま、ありきたりっちゃ、ありきたり。
5月までやってますから、焦らなくてもよかったかしら?で、次の部屋に行ったら、「才能の開花」のタイトルに恥じぬ、弾けっぷり! いきなり質が高くなりました。

うわー、絵がほぼ、宝石ですよ!
キラキラ、どれくらいラピスラズリを使えば、この絵になるの?

そして、まさかゲーテと感想を共有する日が来ようとは!の驚きつきで、「うん、私は、グエルチーノを見たと言ってよいのだな!」とひとり満足しました(このくだり、会場に行けば、意味がわかります)。

《マルシュアスの皮をはぐアポロ》あたりから期待は高まり(しかし、アポロ、意地悪ですよね)、《クレオパトラ》で、わくわくはピークに達します。グエルチーノのクレオパトラは、かなりふくよかでしたが、確かに美しく、しかし、《ルクレティア》と顔が一緒かい?とつっこみを入れたくなりました。《エンデュミオン》で再びワクワクし、《狩人ディアナ》で、あるいはモデルは同じか?と我に返り、ジロジロ、ルクレティアと見比べたりしました(なにをしているんでしょう? 落ち着きがなさすぎです)。

さらに、最後がまた、宗教画というのが痺れます。
「我が国にもあるからね!」のダメ押し所蔵品の《ゴリアテの首を持つダヴィデ》は、見覚えがあり、ふむふむとなりました。

とても素敵でした。いい締めになりました。

奇しくも、「パスキン」、「新印象派」、「グエルチーノ」とアートのタイムカプセルで過去に向かいました。

閉館まで20分を切ってますが、きょうは常設にも行かねばなりません。
フェルメール、見ないと!

が、確かに「帰属」で、らしくないっちゃ、らしくなく、そうだといわれれば、そうかも〜で、素人に見分けがつくはずもないのでした。
しかし、まあ、よくも日本に!
すごい方がいらして、また、太っ腹なわけですよね。

もう一枚の新所蔵作品には、大変そそられました。タイトル、忘れたけど(おい!)。

常設展示という現代に向かうアートのタイムカプセルにまた乗り、無事に21世紀に戻ってきました。
常設のシニャック、大作で素晴らしいのに、新印象派には貸出なしでしたね。

グエルチーノの《放蕩息子の帰還》が、パスキンの《放蕩息子の帰還》にリンクしたのも、嬉かったです。
あと、サロメ、西洋美術館の常設含め、一日で何バージョン見たのでしょう?
個人的には、パスキンのは、「ないよ」で、やはり、ギュスターヴ・モローがいいのでした。

少しだけ、上野の桜も冷やかし、アート三昧な一日が終わりました。おつきあい、ありがとうございます。

アート三昧2「新印象派展」へ

同じく、29日までの新印象派展へ。
その前に、ネイルサロンにいき、やっと伸び伸びネイルを直してもらいました。

東京都美術館へ。

点描です。そこまで頑張らなくても、な世界です。しかし、確かにすごいです。
島根のモネ、そこはかとなく、日本の松っぽく、よかったです。
あなた、何を見に来たの?ですが、ベルト・モリゾは、素敵でした。

ピサロはわりと好きですが、シニャックは、うん、安定のシニャックだね!で、点描ブーム(新印象派というのでは?)の間、シニャックはずっとシニャックであり続けたんだなと変な感心の仕方をしました。

テオ・ファン・レイセルベルヘ《エミール・ヴェルハーレン、ムーラン通りの書斎にて》が素晴らしく響き、なぜに、こんなに響くのかと言えば、ただずまいであり、緑がかった色彩であり、奥行きある人柄を感じるからであり、さらには、なんだか魔法使いっぽく見えるせいです。秘密の杖を持っていそうで。

アンリ=エドモン・クロス《ヤギのいる風景》がやたら気に入ったのですが、なぜかヤギはポストカードになっていて、びっくりしました。買いました。

最後は、マティスの良さに気づき、後味よろしく終了しました。
うわさのマチ針作品、見たかったです。レゴはありましたが、マチ針見たかったな〜。

点描作品は、鑑賞の適正距離が難しいですね〜。
きょうは、まだ頑張りますよ!

アート三昧1「パスキン展」

本日の私は、本気です。
29日終了の美術展を攻めます。

第一弾は、パナソニック汐留ミュージアム、「パスキン展」です。
あまりよく知らない画家さんなんですが、妙に気になって。
捨てがたく、少し早起きして行きました。

完全に不審者です。
《太った女》のまわりをぐるぐるぐるぐる。
欲しい!
好き!
大好き!

後年の作品なんかは、ぶっとび、ひたすら、《太った女》です。少し進んで戻り、最初に戻ってまた、同じ位置に引き寄せられます。
グッズ売り場まで行ったのに、「図録売切れ」の衝撃で、また、見に戻りました。
美しいよ〜!
なんだ、君の吸引力は!
パスキン39から、40歳の作品。個人蔵だから、もう会えないかもしれません。
こんなに好きなのに、なんて切ない。
しかし、快く公開してくださるオーナーや交渉してくださった関係者の方々の好意に感謝しましょう。この一枚がなければ、私のパスキンイメージは、少し違うものになります。

油彩なのに、水彩のように見える作品、くすりと笑っちゃう小技、意味わかんないけど、嫌いじゃない赤ずきんとか。なんだか、やたらと楽しい内容で、来て良かったです。
美術館イメージも変わりました。
ハイテクロッカーを使いこなせませんでしたが、なんかかゆいところに手が届く仕掛けで、嬉しかったです。あ、アラウーノも、すごい(笑)。ぜひ、体験すべきです。

パスキンの絵は、描かれた人の声が聞こえてきそうで。
そんなことを考えながら見直したら、一枚の絵が「もう一度して」と言った気がして、ドキドキしましたよ。

モデルのどこに魅力を感じたのかが、ストレートに伝わってくるんですよね。なんか、とてもわかりやすいのです。
あと、モデルたちが安心してますよね。
信頼関係があったんでしょうね。

もし、生前巡り合っていたら、案外仲良くなれそうです。悪口言い合えて、毎回、憂鬱病につきあって。役に立たない慰めで、早描きでリッチな友人とダラダラ飲むのでしょう。
お葬式では、「あいつはバカだ」とみんなと泣いて、ただ、「仕方ない。やつは、45で死ぬしかなかったかもね」と奇妙な納得をする気がします。

絵から茶色が消えるのは、やはり1923年くらいでしょうか。淡く、輝く色のヴェールに包まれていきます。

1館目から大ヒット。息切れしないように気をつけます。
死ぬまでにまた、《太った女》に会えるといいなと思います。さよなら、美しい人。

DIC川村記念美術館「スサノヲの到来」展へ

DIC川村美術館

佐倉にある川村記念美術館を訪ねました。「スサノヲの到来」展を見たかったのです。

松濤に巡回することは知ってましたが、スペース的に川村かなあ?と頑張りました。送迎バス乗ってから30分だからかなり遠いですよね。

んーと、前半の神像エリアはよかったのですが、後半、かなり集中力を削がれます。もう少しスサノオ特化して欲しかった気がします。でも、《あめのうた》に参加したり、楽しかったですが(文句いいつつ、ご満悦)。

出口なおさんのお筆先、生で初めて見ました。ざわざわしますね。

佐々木誠さんの《八拳須》や《夜久毛多都》は、ぞくぞくします。ちょっと狙い過ぎなくらい。しかし、添えられた詩がまたいいのです。

会場を出ながら考えたのですが、アートに昇華されている分、凄まじさみたいな部分は削られている気がしました。

泣く神、ツクヨミとの関連の強調が、やけに残りまして。なーんか、もっとあるんじゃないかなあ?な印象です。和歌ジャンルで、西行や芭蕉とかも出てきちゃうんですが。

んー、たとえば、南方熊楠の《菌類彩色図譜》を見られるのは、貴重だと思うんです。思うけど、それをなぜ、「スサノヲ」くくりで見ないといけないのかがわからなくて。いや、「スサノオ的生き方をした人だから」は、ちゃんと伝わってますが、なんかそっちにふくらんでいいのかなあ?と腑に落ちません。展示内容は楽しいんですけど。

神札並べるなら、全国の氷川神社や八坂神社とかの神札を並べて欲しいと思ったりするわけです。実現したら圧巻でしょ? それをやった上で、大口真神の神札コレクションもありますならわかるんですが。
オオカミ、夜、月、闇、OK、イケる!みたいなノリなのかなあ? ちょっと私には、展示の基準がよくわかりませんでした。

牛頭天王との絡みも、さらっと流れて、「え、もっと、そこ、知りたいよ」でしたよ。

なんだろう、なんか拡張はいいんですが、その前に、絞りが甘くないか?と感じたんですが。かゆいところは、さらっと。かわりに、珍味がずらり〜みたいな。

もっとスサノオ、スサノオしているのかと期待したんですが、なんだか果てなく広がってしまい、最後はなんでもアリというか、それも日本神話っぽいですが。古き神話世界と現代アートのスサノオのイメージのスパーク、才能の競演拝見みたいな気分で行ったので、「うーん、違ったか」でした。ただ、だからこそ、出口なおさんのお筆先を見られたわけで、ありがたくもありましたが。

今回は、普段「買ってはならぬ」という自らへの戒めを破り図録を入手したので、少し勉強しましょうか。図録、管理しきれないので、いつも我慢してます。

ま、総じてこの企画展は、「スサノオによせて」な感じなのかな?
そう考えると、素直に楽しめそうです。

私は、チラシだけで、「現代アートで、そんなにスサノオがあるんだあ! さすがの人気だなあ、すごい!」と勝手に盛り上がりすぎたみたいです。開けてみたら、「うん、日本神話だね」で。あー、剣とかもなかったしね。草薙剣モチーフ欲しいですよね。スサノオなら。

白鳥

 

庭園の白鳥たちは、のどかでした。

ルーブル美術館展へ

打ち合わせの後、乃木坂に出ました。

実はこれ、とんだ勘違いで、本当は「新印象派展」が見たかったんですね。29日までで見逃しそうで。

乃木坂について、「あれ?」となりました。どうやら脳内で「新印象派」の「新」で「新美術館」と置き換えてしまったみたいです。

タイミングとしては、「新印象派」が先ですが、乃木坂から上野に行くガッツがありませんでした。

諦めて、ルーブル美術館展を見ることにしましたが、なんかもう人がいっぱいなんですよ。まあ、ギリギリ我慢出来るレベル?

ざっくり流して、気になるやつだけ拾うシステムにしました。まあ、私は趣味がわかりやすいので、「いいな」と思うと、ドラクロワであり、レンブラントであり、ルーベンスなんですよ。こりゃ、ただの巨匠好き?

でも、ナンバー1は、ジャン=アントワーヌ・ヴァトーの《二人の従姉妹》です。

二人の従姉妹

ロココっぽい婦人の後ろ姿に惹かれました。幸いポストカードになっていたので、嬉しかったです。

お土産売り場で、やたら星座グッズがあるので興奮し、理由を考えて笑いました。なるほど、フェルメール《天文学者》がありましたね。

占い師モチーフ、トランプモチーフの絵も多かったので、タロットカードや専用クロスも売っていました。まんまと買いました(笑)。

ルーブル美術館てん image

納得いかないのは、ジャン=バティスト・グルーズ《割れた水瓶》。そこまで貶めなくても! モデルが無垢でかわいい子だけに、同性として腹が立ちました。怒っても仕方ないんですけどね。

久しぶりの美術鑑賞、楽しかったです。

試練は忘れたころにやってくる。

image

 

三菱一号館から国立劇場へ。

流れるように移動しました。

が、これが悲劇の始まりになるとは、誰が予想したでしょう。

まず、すこぶる眠いのです。劇場で二杯もコーヒーを飲んだのに、意識がとびかけます。

ナンカ変ダ。

後半、理解しました。

「この痛みは……」

3時間後、病院の救急で寝ていました。看護師さんの説教つき。

「40代、太っていて、おいしいものが好きな人は、ダメだとドクターに言われた。私は、外科手術で取ったわ」

あのですね。

ありがたい見解も、石動いているときに、言われても何も出来ないから。

久しぶりの尿路結石です。毎度のパターンで、激しい腹痛、痛過ぎて、吐きまくります。胃が空っぽなので、めちゃくちゃつらいです。明らかに様子がおかしくても、世間は声をかけてくれないと理解しました。

尋常じゃない痛みに覚えがあるため、グリーン車と旦那を駆使して、なんとか帰宅したのですが、途中、グリーン車の中でうなっていたら、同じコパーメントな人は席を移りました。まあ、助けを求めても、なにもしてもらえないと知ってますから、いいんだけどさ、こちとら、死にそうに痛いんですよ! 見て見ぬふりかい、世間は冷たいにゃー。

また、持病でかかりつけに行ってるのに、「違う病気だといけないから」で、なかなか処置してもらえませんでした。

まあ、死に至る病気じゃないけど、こんなに痛いの、そうそうないですよー!

座薬と点滴で、やっとうとうとして。まだ、微妙に違和感はありますが、石、落ちた気配もあります。

いやあ、参った、参ったの巻です。

雅楽、記憶から飛びました。もったいなかったです。三菱一号館の「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」は、最後の部屋のボナールもよかったです。

《画家の庭の階段》

《緑色のテーブル》

庭の階段にテーブル、明るい世界に救われました。

ルドンを買う。

ルドン

 

なーんて、4200円のミニュチュアカンヴァスアートの複製ですが。

でも、かわいくないですか?

土曜日、三菱一号館の「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」に行きました。全体にカワイイんですよ。サポーターズの元を取れそうで、嬉しい限りです。

私の目を引いたのは、ルドンなわけですが、いままでスルーしていた複製画に引き寄せられました。買いました。

サイズがカワイイこと。構図が持ち帰るのが、いいなあと思ったからです。

ルドンを買う。ははは、かっこいいですね。

ま、調子こいていたのは、この辺りまでで、そのあと大変な目に合うわけですが(笑)。

続きます。

 

ウィレム・デ・クーニング展へ

ブリヂストン美術館で開催中のウィレム・デ・クーニング展。

年末に気になり、忘れないうちに見に行きましたが、これがまあ、呆れるほど、ひっかかりません。

残念!

しかし、出会いものもありました。

ザオ・ウーキーです。

かっこいい! ザオ・ウーキーを飾れる邸宅が欲しいです。

 

「ホイッスラー展」へ

横浜美術館で開催中の「ホイッスラー展」を見てきました。

最初から横浜美術館と桜木町のお取り先へのご挨拶を兼ねて企画したのですが、昼に別のご挨拶が入り、時間が押してしまいました。ま、ホイッスラーは3月までやっているし、また、改めればいいかと自分を慰め、でも、諦めきれずに、横浜美術館を検索したら!

「本日夜間公開」とありました!

なんてラッキー! 小躍りしながら、美術館へ!

18時以降の入館で、ポストカードプレゼントもやっていました。時間は、17時20分。いや、ポストカードは、欲しければ買えばよい!と考え、入館しました。そしたら、私史上初のスキスキ横浜美術館でした。こんなに空いている横浜美術館、初めて!

大変贅沢な鑑賞となりました。

私がホイッスラーを知ったのは、榛野なな恵さんの『Papa told me』だとおもいます。

「ガッツなうちわ」、やはり思い出してしまいました。

静かで美しく、うっとりします。

ラスキン裁判の作品、ピーコックルーム、どちらもいつか見られたら!

鑑賞しながら、「ノクターン」を聞いてみたいなあと思っていたら、すぐに夢が叶いました。なんと今宵は、ナイトコンサートつきでした。NHK交響楽団メンバーによる弦楽四重奏。贅沢な!

あと半分の時間、ナイトコンサートを楽しみ、常設展を眺めて帰ります。

きょうは、大変贅沢な一日となりました。大好きな方々にも、お会い出来たし、初めての方々にも、ご挨拶できました。あ、そうそう、朝イチで以心伝心のお仕事もありました(意外に働いてマス・笑)。

皆様も素敵な朔旦冬至を!

はっ! 19年に1度だから、こんなに充実なのかもしれません。嬉しい一日でした。

 

 

ウフィツイ美術館展

1階にある絵の大半が、目がうつろ。テンペラの特性のせいでしょうか。いえ、あえて、わざと、かもしれません。
注意深く見てみると、神聖なもの、人間離れした存在のものの瞳には、生気が宿っています。
15、16世紀のフィレンツェは、意外に生きにくい時代だったのかもしれないと感じました。
ボッティチェリ《聖母子と天使》の天使の人を試すような小賢しい表情が、妙に記憶に残ります。

2階の印象は、緋色。絵を展示する壁が赤く塗り分けられていたせいもあるし、やたら緋色が目につくせいでもあります。

足にも目が向きます。
親指の反りが強い。人差し指が発達し、小指に向けてどんどん粗末になっていきます。
この時代の人の足、野性味あふれる足、生命力のある足。

聖母マリアを象徴する青い布。腰より下に巻かれている印象が強く、遠目で見ると、
人魚に大勢の人が集まっているようにも見えます。
実際はまったく違うんですが。きょうの私の目には、人魚のように見えます。

≪春(プリマーヴェーラ)≫のタピストリーには、3月25日の占星術の意匠が隠されているそうですが、
わかりやすい牡羊くらいしか読み取れませんでした。でも、羊の後ろにいるのは、どうみても牛だしなあ。
一生懸命見れば見るほど、ドツボにはまっていくわけです。
レモン? レモンは、強いていうなら、双子座だよね。ユリは、聖母系のシンボルだし。あとは、あれはアネモネかなあ?みたいな。
シンボルってことは、頭の飾りかなー? でも、どこまでが髪の毛で、どこからが飾りかよくわかんない……みたいな。
まったく、頼りないったら!
ただ、ジロジロ見ていたので、枠に当たる部分のサティロスっぽいやつは、左右で表情が違うことに気づきました。
あれは、わざとなんですよね。きっと。右側は好色そうに見えますが、左は無関心に見えます。
うーん、まだ、隠れていたかなー? まあ、混んでいる中、結構頑張って見たつもりです。
よくわからなかったけれど、まあ、いいや。

一角獣のときもそうでしたが、タピストリーとは、どうも相性が悪いみたいです。ハイ。
どこまでが意匠で、どこからが退色なのか、よくわからないんだもーん。

メディチ家の没落以降の変化が、ちょっとわかりにくかったです。
作品が年代順に並んでないため、せっかく歴史をパネルで教えてもらっても、頭の中で画風の変化がつかみきれません。

ボッティチェリ《パラスとケンタウロス》は、美しかったです。
しかし、コレが結婚のお祝いかーと考えますと、うーん、よくわからんと思いました。
聡く、賢くあれ……みたいな?

まあ、ともあれ、マニエラ・モデルナ(新時代様式)までいきますと、だんだん、感覚が私たちに近づいてくれるというか。
構成もひねったものになってきて、私はこれくらいごちゃっとした感じのほうが好きだなあと思ったりしました。

きっとね、フィレンツェで出会ったら、違う印象になると思います。もっと大きいうねりの中で、感じたい絵画たちでした。
遠い日本まで来てくれて、ありがとう。