日々のこと
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くすぶり感、満載!
たいがいなタイトルなのに、どこかさわやかさがあるのは、
なぜなのでしょうか?
え、さわやかだと思っているのは私だけでしょうか?
とりあえず、燻っております。ブスブス、しょぼしょぼです。
昨日は、わずか15分オーバーで、伊勢丹の配送締切に
間に合いませんでした。どうしても出さないといけなくて、
仕方ないから、自分でコンビニに持っていったのですが、
新宿三丁目って、コンビニないんですね。
結局、高島屋あたりまで歩き、なんだかんだかで、
1時間ロスしました。
「伊勢丹は、6時締切。
翌日配送はなし。中1日考慮すること」
で、きょうは、きょうで、ウルトラブックを持って、
新宿でお仕事をしようって思って、出かけたところ、
古いデータなんですよ。
「うわ、こっちに移すの、忘れた!」
そう考え、家に帰りました。
途中、新丸ビルとKITTEに寄ったら、
「きょうは土日だっけ?」というくらい
すごい人で、ものすごく疲れました。
特に、KITTEは、意味がわからないくらい混んでいます。
なぜに?
今月と来月は、お誕生日ラッシュで、
贈り物探しに翻弄されております。
結構前からアチコチ見ているのですが。
ないときは、ないんですよねー。
自宅に帰ったら、やらかしていたことが判明。
めちゃくちゃ大変だった原稿、古いデータで
上書きしてしまったらしく、どこにもありません!
パソコン3台にも(3台使っています)。
USBメモリーにも、外付けHDにも!!!
あー!!! やっちゃっいました!
これは、痛いです。
ものすごく、つらい作業だったのに!!!
366日の誕生日占いなので、ボリュームがあるんですよ。
しかも、調べものつき。いちいち、検索かけたり、
本を当たったりして仕上げたものでした。
全部、やり直しです。
過去に、パソコンがクラッシュして原稿が飛んだことが
ありましたが、上書きはないですね。
一体、何がどうしちゃったんでしょう?
どんな罰でしょう? 修行でしょう??
いえ、違います。ただのドジです。
書き直すしかないので、チマチマ打ちまして。
でも、「今、ボイドじゃん!」とか、不吉なことが
頭をかすめるわけです(笑)。
完璧に、くすぶっております。不調の絶好調です
(絶不調といえばいいのでは?)。
でも、ココに書いていたら、気が晴れてきました。
二度手間のおかげで、原稿のクオリティがあがったことは
確かです。
資料の二度読み、三度読みで、理解も深まりました。
よりよいものになったといえるでしょう。
ああ、しかし! なんてマヌケなのでしょう!
いいです、いいです。
もう認めます。
最近の私は、ツイていないし、
これでもかの「残念でした」連打です。
完全に、くすぶっています。プスプスです。
でも、もしかしたら、プスプスからゴーッと
火がつくかもしれません。
いきなり、着火するかもしれません。
ないとはいえませんよ?
ま、締切もちょっと先だし、
焦らずにやります。腐らずにやります。
泣きません。凹みません。止まりません。んー!!!
くすぶりもまた、楽し……くはないけれど。
コレをお読みいただいた方が、つらいことがあったとき、
「章月よりマシ」と思っていただければ、
きっと、それでいいに違いないのです。
今度は、データ消さないように気を付けまーす!
と、丑三つ時の誓いでした。
カンチガイの巻
今、ある事実が判明しましたっ。
フェイスブックで、知人だと思い込んでいた人が、
全然知らない人でした!
ど、ど、どうしましょう?!
フェイスブック、さほど使ってはいないのですが、知人だと思いこんでいるので、
タイムラインに上がってくれば、それなりにコメントつけたりしていました。
相手の方は、相当怖かったんじゃないでしょうか?
「だ、だれ?」
「な、なに?」
いやー、申し訳なかったです。
今、謝罪のメール出しておきました。
共通の友達がいて、苗字が一緒だったのです。
なーんか、知り合いだと思い込んでおりました(まあ、危険!)。
コメントは、社交辞令のレベルですけれど、
知らない人なのに、距離感ゼロですからねー。相当、怖いですよね。
いやー、大変申し訳なく思います。
実はもうひとり、まったく知らない人がいらっしゃって(まだいるのか!)。
どうも、私がカンチガイしたらしく、素性がわからない人が友達にいます。
おそらく、こちらは、私の操作ミスでしょうね。
友達に出したつもりが違う人に出したらしく……。
ホームページとブログの開設なんかを一気にやったときに、
いろいろ設定しなおしたため、気が飛んでいたのでしょう。
間違って出しただろうに、なぜか「申請OK」になって、そのまま、
存在しております。
こうなると、解除が難しくて。
先方も「この人だれ?」と思いながら、「考えちゃダメだ」、
「気にしちゃダメだ」で、いらっしゃるんじゃないかと(笑)。
本当は、フェイスブックは辞めたいのです。
あれ、地味に傷つきますよね。
基本、幸せ自慢ですものね。友達がみんな、偉く見えるというか。
やけに楽しそうじゃねえかと。
また、感覚的に人の写真を載せるのがねー。
最初は、結婚披露パーティーの写真でした。
新郎新婦のお友達が気楽に載せていて、「おおおお、これかあ」、
「そうきたか」と。
噂には聞いていましたが、相当びっくりしました。
自分で自分の写真、家族の写真を載せるのは、お好きなだけ
おやりなさいですが、そうか、友達っていうだけで、載せちゃうんだーと。
結婚式って、結構ドロッとした部分も出てきたりしますから、
他人事ながら、ドキドキしました。
最近も集合写真で、私も映っておりまして。
「写真を撮りたい」は、コレのためだったのかあーで。
載せないでくださいも、野暮な気がしますしね。
タグ付も、イチイチ面倒くせええ! そこまで、友達アピールしないと
いけないものなのでしょうか?
本当に大事な人間関係は、きっとタグ付しないところで動いていますよね。
海外在住の友達との連絡ツールにはよかったのですが。
標準的な使い方は、ちょっとどうかなあとひっかかります。
というか、私のスキルでは、使いこなせない気も……。
もう辞めていいかしら? フェイスブック……。
カタカナ表記の段階で、もう答えが出ている気もしますね。
謝罪について
謝るときは、ちゃんと謝る!
これ、基本だと思うのですが、なぜ、人はできないのでしょう?
きょう、ケーブルテレビの工事で作業の人がいらっしゃいまして。
一時間以上作業したあげく、「建物が対応してないからできません」で
設定したものを全部外して帰っていかれました。
「たまに、営業が未確認で設定しちゃうんですよ」
作業の人は、おそらくタダ働き。時間のムダ、労力のムダ。大変、お気の毒です。
そして、私もこのために、自宅待機をして、人の気配を感じながら
仕事をしたわけで、迷惑は迷惑です。
でも、まあ、人間のやることですから、こういうことはあると思うのです。
「大変ですね」
「はい。でも、楽しみにしていらして、怒っちゃうお客様もいらっしゃるので」
どの世界も、現場がワリを食います。お疲れ様でお見送りいたしました。
ところが、そのあとがいけません!!!
営業から電話がかかってきて、
「出来ないこともあるって言ったと思うのですが」と言い腐りました。
これは、いけません(あら、漱石先生みたい)。
「ちょっと待ってください。出来ないかもしれないとしたら、
頼むわけないでしょう? そんなこと、一言も言いませんでしたよ。
私は、この建物が未対応だと知っていました。が、営業さんが
いらっしゃるってことは、出来ようになったんだと思うじゃないですか。
で、そこはいいです。そこは、仕方ない。でも、あなたの説明不足で、
この雨の中、作業をして、全部つないで、全部外して帰った人がいるんですよ。
そして、そのために私も時間を空けました。用事をズラして、お待ちしました。
出来ないかもしれないで、誰が動きますか。出来ないことでは怒らないけれど、
その言い訳で、私は怒りますよ?」
もう、先方、たじたじです(笑)。
いいわけ、いらないですよね。
この度は、すみませんでしたで、いいんですよ。
「どういうことだ、説明しろ」には、答えなきゃいけませんが。
謝るときは、きちんと謝る。
保身でごまかしたり、責任転嫁するなんて、最悪ですよ。
でも、こういうの、反面教師ですよね。
誰かがやるから、自分はやらないようにしようと思えるのです。
そう考えると、たいがいな営業さんも、ありがたい教えをくださる
人生の恩人といえるのかもしれません。
……んー、ダメだ、自分を騙しきれませんでした(笑)。
謝るときは、きちんと謝ること。
非常にシンプルで、次につながるかどうかが、そこで決まります。
謝った以上、改善すること。
成長しないと、また、同じことを繰り返しますし。
しかし、作業の人も、これが初めてじゃないなら、訪問する前に確認取ろうよって
思いますけれど。それは、難しいことなんでしょうかねえ? ねえ?
土佐光吉没後400年記念 源氏絵と伊勢絵 描かれた恋物語
和歌文化が、仕事として私の人生に割り込んできたせいでしょうか?
これは、見ておきたいと思いました。
「源氏絵と伊勢絵」、きょうまでの企画展です。出光美術館でやっています。
金色の美術展です。
王朝の恋物語の絵巻物。
これまでは、正直、どれを見ても、ピンとこなくて、「ああ、あんなのね」で、
ずっと流してきました。が、改めて、見てみると、いろいろな発見があって、
非常に面白かったです。
特に、独特の構図。
渡り廊下と、部屋が描かれ、やんごとなき方々のお姿が描かれ……、
あのありがちなやつです。
でも、あれも、改めて考えてみると、すごい構図ですよね。
視点が天空にあるわけですから。
そんなところから、のぞけるはずもないのに、一体全体、誰が
最初に考えたのでしょう?
バカをさらすようで、やめておけって気もしますが、
もう少し続けますと、浮世絵も、よくわからないのです。
ただ、一枚だけ、「やられた」と思ったものはあります。
今はなきルイス・C・ティファニー美術館にあった浮世絵
コレクションの一枚です。
手前に、馬のお尻。相当アップです。で、遠景に、
なにか街並みがあったような???
あの構図を見たときに、大笑いしまして。
海を渡ったフランスで、そりゃ、どぎもを抜くよねって
思いました。馬のお尻に驚きすぎて、絵師の名前も
覚えていないのですが。
ルイス・C・ティファニー美術館は、本当にうっとりするような
美術館でした。箱根あたりにあったら、きっと人気スポットで、
永続したでしょうに。
地元の反発、こじれた感情も、さんざん聞かされましたけれど、
それでも、あれだけの空間、コレクション、本当に惜しいと思います。
私はもう一度、『鹿の窓』を見てみたいのですが、
次はないのかしら?
というわけで、意識は欧米に向いていまして、
日本の美術全般に弱いわけですが。
もうちょっと続けましょう。
今回の出光での企画展は、最後に「留守模様」コーナーが
用意されていました。
これが、まあ、美しく。深く、心に残ります。
見る人が見れば、道具立てだけで、「ああ、あの話のあのシーン」が
わかるわけです。
私? わからない、わからない(笑)。
しかし、非常に素敵でした。
酒井抱一は、おそらく、今年二回目の鑑賞で、やはり一回目のほうが
インパクトがありました。ただ、展示空間が広いため、横を歩くと、
さながら、自分が八ッ橋を渡っているような気分になれて
いいですね。
美術を読み解くには、教養や知識が必要ですよね。
ずいぶん前に、ダ・ヴィンチコードがはやりましたし、
鏡リュウジ氏もよくエッセイなどに書かれていますが、
本当に意匠を読み取ってこその鑑賞となります。
犬が忠誠を表すとか、花の意味とか、
絵画に織り込まれたものを読み取っていく力があると、
ものすごく楽しいものになりますよね。
そういう意味では、この前の
『貴婦人と一角獣』は、状態がいい昔のものが
きちんと残っていたというだけで、そこに象意は、
あまりないように見えたのですが。
たくさんの人が研究され、秘密があると考えて、
未だに謎が解けないわけで。
芸術新潮の関連記事を図書館で読んでみたのですが、
私も「本当に五感がテーマだろうか?」に賛成です。
五感を暗示させるなら、もっとハッキリと打ち出すだろうと
感じるのです。
また、これは新国立美術館の素晴らしい展示で理解が出来たのですが、
同じ意匠を繰り返しつかうこと、特に、うさぎがわかりやすいのですが、
6枚のタピスリの出来栄え、完成度にムラがあります。
同じデザインなのに、あまりにも、ニュアンスが変わってしまうのです。
そんな深い秘密を隠すなら、当代1の織物師を確保して、全編仕上げさせる
気もしなくはないのですが。
私が冨と名誉とありあまるお金と、そして、一族の秘密をかかえ、それを
織物にしたいと考える貴族なら、そのあたり、きちんと注文をつけます。
同じうさぎが、あれだけ違う顔になるのは、「おいおい、ちゃんとやってくれよ」の
世界ではないかと。獅子はなんだか寸詰まりだったり、一角獣がいきなり
太ったりもしていますから。で、全体に、少女趣味です。
結婚の祝いに用意された説がありますが、むしろ、子供部屋などにふさわしい
デザインじゃないかと思うのです。動物がいっぱい、乙女の純潔を象徴する
一角獣が家紋の入った旗を守って……。
簡単にいえば、「美しい」と思えなかったということかもしれません。
いや、キレイですよ。彩りも鮮やかで、魅力的です。
500年前の織物を今、日本で見られる幸せは感じます。
そこに壮大なロマンも読み取ります。
が、単純に、好みではないってことですよね。
動物たちがすごくかわいくて、グッズ売り場にあったノートは、今、
愛用しています。気に入っているのに、美しくないとは、
これいかに?
で、話がここでやっと源氏絵に戻ってきますが、源氏絵もまた、
少女趣味ですよね。女性好みといいますか。
もしかしたら、私は、もうちょっと力強く、荒々しいものが
好きなのかもしれません。
だから、留守模様、響きました。素敵でした。
源氏絵を見て、「ああ、あの場面ね!」と思えるくらい、
もう少し基礎知識をつけないといけないと感じました。
わからないまま、近々サントリー美術館にも行こうと思っています。
「音」についての考察
昨日は、溜まっていた外出を片っ端から片付けました。
家に戻ったら、もうフラフラで、顔も歯磨きもちゃんとしないで、
そのまま、寝てしまいました。あらあら、そんなに頑張らなくても!
今朝になり、「ああ、昨日は、『音』について考える日だったと
理解しました。
まず、行きの電車の中でのこと。
そもそも、私は人に前に立たれやすいのです。
座ろうと思えば、全員座れるくらいの電車ってありますよね?
でも、窮屈を嫌って、たまに座らず、立ったままの人がいます。
そんなとき、なぜか、私の前に立つんですよ!!!
おいこら、うっとうしいじゃないか!
もう諦めていますが。
人に話すと、「ああ、安全っぽいからだよ」って言われました。
確かに、目の前にいる人がいきなり暴れたりしそうなら、
そこには立ちませんよね。しかし、本当に、バカみたいに
人が前に立ちます。なんじゃい?何用?の世界です。
おそらく、私はパーソナルスペースが広いのです。だから、
そこを侵略されると、地味にイライラいたします。もちろん、
電車などは仕方ないのですが、空いていても、気安く人が
くるのはなぜでしょう? もう入れ替わり立ちかわりです。
修行でしょうか???
おっと、ちょいと話がズレました。
土曜日のせいでしょうか?
昨日は、その「目の前の人」が複数形になり、常に
おしゃべりがくっついてきました。
たまに耳障りな声の人がいるんですよねえ。
あれ、本来の声質もありますが、音の中に欲求不満が宿っているんですよね。
たいてい、「私を見て」「私を認めて」と声が叫んでいます。
コレにあたると、本当に厳しくなります。
で、思ったのです。
「女性専用列車」もいいけれど、「サイレント列車、作ればいいのに」と。
それに乗ったら、基本的に、しゃべりません。
ずっとしゃべっていたい人は、サイレントじゃないやつに乗って。
そしたら、みんながしゃべり倒すから、完全にお祭りみたいになって、
しゃべり続けたい人は、思う存分語って幸せ、でも、移動中、
考え事をしたい人、ぼんやりすごしたい人、本を読みたい人は、
サイレント列車でゆったり過ごす……。
どうでしょう? ダメでしょうか? JRさん、地下鉄さん。
サイレント列車は、アナウンスも最小限で。とは、まあ、行きませんな。
ただ、夢想しただけです。だって、本当にうるさかったんですもん。
それから、美術館に行き、小劇場に行きました。
小劇場では、少々つくりが荒い芝居を見ました。
題材は悪くないんですよ。生贄と復讐。
女の子たちが、気楽に後ろ手で縛られておりまして。
ただ、ビジュアル的に、縛りが似合うタイプの子たちじゃないから、
違和感が残ります。太陽と月があるとして、太陽タイプの子は、
縛り、似合わなくないですか?
それとも、そう感じるのは、私にアンテナがないせいで、
その筋には、太陽タイプだからこそ、縄がいいってことになるのでしょうか?
すみません、奥が深すぎて、ちょいとわかりません。
つーか、やるなら、もうちょっと扇情的にやるべきで、
女の子たちに遠慮して作るくらいならやるなと言いたい感じでした。
面白かったのは、縛り役の男の子の手際が異常に良かったことでしょうか。
彼の特技になりそうですね。「縛り」。
うっかりすると、そっちの文化に絡め取られるでしょう。まあ、それも楽しいか。
で、この話が、とにかく構成が荒いんですよ。
少しずつ、謎解きをしていく形なのですが、最後までなぜ?が
残って終わるのです。作家は説明した気になっているのでしょうねえ。
真剣に見ればみるほど、疲れがたまっていきます。
題材も切り口も悪くはないし、言葉もリリカルで美しいところもあるのに、
構成がガタガタで自己満足だと、本当に厳しいと感じました。
これは、反面教師になります。
そして、そこで、耳にした役者の絶叫が気持ち悪いくらい残るわけです。
音が残り、妙な余韻になります。
演劇ですから、非日常でいいのですけれど、でも、今の時代、
もうちょっと違う洗練が必要なのかもしれません。
練り上げと切り捨て、この両方が出来た時、いい台本になるでしょう。
で、気持ち悪い音の感触がイヤだなーって思いながら、最後の目的地、
雲龍さんの息吹之笛のワークにうかがいました。
これは、よかったです。
今回、ゲストがいらして、それが、KNOBさんだったのですが。
初めて聞くディジュリドゥの音にびっくり!
オーストラリアの原住民アポリジニたちの楽器だそうです。
白アリに中身を食われたユーカリの木が、楽器になります。
wikiでざっくり調べると、これ、本来見てはいけない、
名前を言ってもいけないという縛りがあったそうです。
へー、でも、そういう感じ。
さらに、男性しか触ってはいけない、男性が吹くものという
設定があるんですね。
これには、ぞくりとしました。
なぜなら、KNOBさん、非常に女性っぽく感じたのです。
歌舞伎の女形に通じるような空気があって。で、
「きっと、この楽器を奏でるために男性になって生まれてきたんだろうなあ」って
ぼんやり考えながら聞いていたのですが。
この感性、悪くないですねえ。おやおや、びっくり。自画自賛。
で、KNOBさんの音がねー、素晴らしいですねえ。
まず、ディジュリドゥは、大地を豊かに耕す音だと感じました。
眠れる地霊を揺り動かし、感謝をささげる感じでしょうか?
ものすごく、豊か。
雲龍さんの音が風を切り、雲を呼ぶ空の音なら、
KNOBさんは、地の音ですね。面白い。
お二人の演奏の後に、ワークショップ参加者に交じって、
KNOBさんも息吹之笛を吹いていらしたのですが、
もちろん、音はセーブなさって。
それでも、これが、同じ楽器か?と思うくらい命が吹きこまれていました。
たまたまなのですが、とても近くにいらしたので。
私は、自分が吹くことも忘れて、耳を動かしていました。
(耳は動くのでしょうか? ウサギでしょうか?)。
よく音にその人が出るといいますが、雲龍さん、KNOBさんと揃って、
非常に単純なつくりの息吹之笛を奏でたことで、
本当に意味がよくわかったというか。
私? 私は鳴らないのです。マジメにやっていないせいもありますが。
なんかねー、鳴らなくてもいい気がしているんですよねえ。
だって、私には、言葉があるし。
この前、夏目漱石の美術世界で、「夏目漱石、すごーい!」って思いましたが、
私も相当語っていますよね。あはは。
美術展での話は、また、別建てで。では、みなさま、よい日曜日をお過ごしください。