易経

易経

岩波文庫、および、角川ソフィア文庫から出ている「易経」の本は、
非常によいそうです。

というわけで、取り寄せました。

きょうは、日曜日のシンポジウムの資料を整理し、LINE占いをやって、
今に至ります。夕方、また入るつもりですが、ちょっと一休みっと。

易には、理論を追求する義理易と、
いわゆる占いにあたる卜筮があるそうです。

古代中国を専攻していらっしゃる先生方は、文化史の流れで、易は避けては通れず、
義理易にも詳しいという構図になるようですね。

さて、私はどうしましょうか?

あくまでも民間のレベルで、ですけれど、
義理易に重きを置こうかと思うのです。

その先に待つのは、漢文じゃね? 山のように積まれた古典書じゃね?って
話は、まあ、さておき、姿勢としてね。

道具として使えば、たぶん、使えちゃいます。
ジオマンシーやルーンと一緒。背景を知らなくても、区別がつけば、占えちゃう。

でもなー、それって、つまんなくない?

なぜ、それがそうなるのか、どうして、そういう意味なのか、わかったほうが
絶対に面白いと感じます。

ま、どこまで消化できるかは、しらねっと。

んー、おかしいなあ。興味を持ったのは、ジオマンシーを深めるためだったんだけどなー。
何、中国三千年の歴史に取り込まれているんだろ??? ま、いっか。

これ、もう西洋の体系に飽き飽きしているせいかもしれませんね。
ちょっと離れたいのかも。離婚ではなく、別居とか、長期旅行くらいで(笑)。
戻るのは、あなたのところ(西洋)ってわかっているんだけど、
ちょっと違う世界も見てみたいのよ。なに甘えたこと言っているんだ?ですが。

「大学の先生方は、義理はやっても、卜筮はやらない」というお言葉に出会いましたが、
大学の先生が卜筮やったら、物事の理屈が狂いますよ。やらなくていいんですよ。
そこ、まぜちゃダメ。

だけど、プライベートでは、ちょっとやっていただきたいなあ。
私も書くだけだったころと、書くのも、占うのもやる今とを比べると、
絶対、今のほうが、占いに近いから。

でも、両方必要なんですよ。
学んでいくこと、言葉にしてまとめる作業、雑誌やwebで現在に寄り添う作業、
そこと、街中の占い。両方あると、それぞれ、フィールドバッグしていけます。

占いで、知識を体感したり、逆に、知識で占いを修正したり……。
つまり、完成してはダメ、その先にまた、続きを求めるってこと。
刷新していく力、繰り返し、立ち返り、確かめて、また進む力。

最終的な着地がどこになるのかわかりませんが、今は固いクッキーをガジガジかじるみたいに、
手強い世界と戦うのが楽しいです。溜めていくし、深めていきましょう。

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