ポーの一族、もう少し書く

一番大事なのは、美。

次に大事なのは、孤独。絶望。

そこは、あるから、いいのかも。

でも、まあ、忘備録として、つらつらと。
以下、壮大なネタバレです。ネタバレ回避の方はパスしてね!

個人的には、妹→アランに心の拠り所が移るわけだから、シーラへの淡い恋心は、いらないと思うんだけど。なぜ、フューチャーするのか、よくわからないです。シーラの愛の定義も異次元過ぎて、まったく共感できないし。

ポーの一族賛歌ソングは、おかしい。たとえるなら、エリザベートでトート閣下賛歌ソングが入るようなもの。おかしいでしょ? エリザベート連呼はありでも、トート閣下連呼、闇の世界万歳ソングなんて、勘弁して欲しくない?それを、ポーの一族♪とやっちゃう。なぜ、やっていいと思ったのかしら? そんな一族だったっけ?

一族皆殺し設定も「なんでさ?」だったし、男爵短気過ぎるし、そこに絆があるようには見えないし、降霊術の件は、原作がよすぎて、改変の意味わからないし。あそこで、予言した意味あった? なかったよね?

萩尾先生が作り上げたキグナジウム文化、なぜ、アメリカンスクールテイストになるのか? エピローグとの差がなさすぎて、呆れるほど。たぶん、一番、違和感があるのは、ココ。丁寧に作って欲しかった。大事なディテールだから。

作品の空気として、たぶん、バウが適切。まあ、無理だよね。原作がデカすぎるから。でも、ショーアップするなら、やはり耽美に。なぜ、こんな超古典的宝塚になっちゃうのか、謎。

エリザベートを日本に持ってきた人なのに!

見ながら、脳内でかなめさんやマリコさんを思い浮かべ、宝塚の演出家って、ポーの一族みたいなものだなと思ってしまいました。

スターは、入れ替わります、

どんどん。

時代は、変わります。

どんどん。

現役ファンには好評みたいだから、いいのでしょうね。私は、また宝塚にハマったら大変ですから、「うーん」でよかったです。

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