やっぱりね!

何がやっぱりね!かといえば、私の実力なのですれど(笑)。

ラフに締め切りを破ってしまいました(自首)。
安い、早い、うまい(願わくば!)の人でいたいのに!

どうもタイミングがダメみたいで、月末にかかると、何か入ってきて、
わりと落としてしまうんですよね。
なら、早くやればいいのに、なんだかんだで、なかなか出来ず。

きょうはもう頭が働かないので、ブログを書いて寝るわけですが。

さっき、別件で、ちょいとへこむことがありました。
でも、まあ、いろいろハッキリして、よかったのかもしれません。
いろいろなタイプの人がいて、わだかまりを流せないこともあるのでしょう。
私はやらないけれど、まあ、そういうこともあるよね……と理解はできます。

さて、どっちがいいんでしょうねえ?
一度、イヤな気分になった相手を避けて通る道と
もう一度、つなぐ道と。

私は後者なのですが、二度目のチャンスを生かせる人って、
そんなにいない気がします。
一度ダメなら、二度目もダメ、これがベースなのでしょう。
リカバリーが出来るのは、すごいことです。

だから、省エネでいくならば……。
一度モメた相手は、消去していくのがよいのでしょう。

でも、そうやって、省いていくと、
また何かでつながったときに、逆に自分が省かれますよね。
世界は、案外狭いですから。
力関係が逆転した時、みじめな思いをするのは、自分でしょう。
まあ、そこまで織り込み済みで、きっと切り捨てるのでしょうが。

小さいレベルの話では、ケンカが出来ない人といいますか。
何かで揉めると、もうシャッターが閉まっちゃうの。
そこで、歩み寄りとか、落としどころとかがないのです。
たまにいますよね。そういう人。

ケンカ、したかったなあって思うんだけど。
愛が憎しみに変わると、二度と他に変化しないタイプ。
初めて会った時は、衝撃でした。
憎しみに近い愛が渦巻く家で育ったので。まっさらな愛とか善意、全面的な同意と共感だけで世界が成立するなんて、夢物語のような気がして。ケンカが出来ない人は、つまり、そういう完全を信じているんですよね。モメたら、傷になり、傷のある部分は、切り捨てる、なかったことにするのです。

私は、ムダだろうなあと思いながら、二度目、三度目のチャンスを与えちゃうタイプです。
それは、きっと、奇跡が見たいからなんだと思うのです。

まあ、たいてい「今度は大丈夫か?」、「信じていいの?」と構えていて、疑いも緊張も伝わるから、うまくいくほうが稀ですけれどね。
でも、稀でもいいじゃない。かなったときが嬉しいから。

あとは、このバリエーションで、「あ、あの人と似ている」っていうのを
どう処理するかですよねえ。
「似ている」人は、たいてい、似たことをやりますからね。
顔とかムードだけなら、「ああ、彼は違う」ってあるけれど、
好みとか、考え方は、そう変わらない。

占いって、要は、そういうことをパターン化したってことなんだと思うのですが。

危険を回避するのが、賢者ですが。
私は、危険に突っ込む愚者でもいいのかなって思っているフシがあり。

賢者にわからないことが、愚者はわかっている、そういうこともあるでしょう?賢者の人生に奇跡は、起こるのか? 偶然性、変容の余地を排除したら、奇跡は、起こりにくい、あるいは、起こっても気づかないかもしれませんよね。

うまく言えないけれど、全部が全部、うまく行かなくてもいいよね。苦味も、酸味も、味のうち。
その時々で、ベストを尽くして、その時々で、ちゃんと筋道立てて。
人を信じて、恩を返して。

善く生きましょう。心に正直に。許しても、許さなくても、あなたの自由。どちらでもいいのです。ただ、人に言われて、そうする、は、間違いのもと。自分で考え、決めることが大事。それが、唯一の条件。

知り合う人は、自分の一部。折り合いがつけられるなら、それに越したことはなく、つかないこともあり、つかないには、つかない理由があり、まあ、ざっくり、なんでもいいし、なんでもアリだし、ご自身が健やかでいられるかどうかだけが、大事なのかもしれませんね。

春の嵐によせて。

 

 

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