2月、最後デスヨ! 長文デスヨ!

いやー、びっくりしますね。
今年の時間の流れは、いったいどうなってしまっているのでしょうか?

もう2月末日だという!
確定申告まだなのですが、この先、しばらく忙しいのです。

少し前に「やっぱりなあ」だったのですが、用事が用事を呼びますね。
友人に宝塚のチケットを頼んだ後に、歯医者の定期検診の日取りを決めることになり、
5月はそこしか用事がないから、違う週になればいいのになあと思っていたら、まんまと前日を指定されました。
その時に悟りました。
「ああ、1日おきの外出なんて、無理なんだ」と。

歯医者はもちろん、日取りを変えられるのですけれど。
でもねえ、まあ、流れもありますからねえ。そんなにガチガチとコントールすると、結局自分がつらくなるので。実質30分の定期健診くらいだと、意図的にズラすと、後から自分の首を絞めて、最初のままでよかったんだ、がよくあります。

きょうは、自分の整理のためにこちらを書かせていただいているので、話はあちこちに飛びます。

身体が、濾紙のようになっております。
花粉を出そうと必死です。
鼻鍼で、鼻水ダーの憂き目からは解放されておりますが、花粉に反応しないわけではありません。
体質はそっちですから。
目は違和感、クシャミや咳、痰は出ます。

「いらん、排出!」みたいな感じですよね。
鼻水大決壊がないわけですから、だいぶ、助かっております。
意外に、体、優秀ですよね!

この前、30年近く前の感動と感謝をご本人にお伝えするという幸運を得ました。
先方もきっと驚かれたでしょう。「あ、今じゃなくて、あのころ?」みたいな(笑)。
森冬生先生にお話をしたら、「30年前の自分に教えてあげたいね」っておっしゃるのですが、
そこは、実はちょっと違って。
30年前ならば、同じフィールドに立ちたかったのです。
ひとつの夢は、潰えました。また、続きがあるかもしれませんが。
20代のころにかなえたかったこと。
20代のころに憧れた世界。
25、30年後のゴールがココじゃ、ダメなんですよねー。
そんなの、当時、聞いても全然嬉しくない。
「そんな未来はイヤ。それは、挫折の予言」ってことになります。

でも、30年後の私からしてみると、僥倖です。ありがたい巡りあわせだったと思います。
「ああ、なんといいタイミングなのだろう」です。
届かぬ夢をかなえようともせず、誰かが自分を見つけてくれる、誰かが私に気づいてくれる、
「やりたい」とだけ口で言い回り、実際は手を動かさずに、偉そうに構えていた不遜さに見切りをつけ、現実に生きる道を選び……。

まあ、私の現実なんて、占いと心理テストという幻みたいなものなのですけれど。

10CX0dvfbg

あはは、今、黒猫さんがキーボードの上を通りました。あはは。

一歩目がテンキーの「10」、二歩目が「CX」、後ろ足で「0」、「dv」「fb」「g」と狭い範囲を
通ったですねえ。ちょっと楽しいですね。

夢に見切りをつけて、20年近く経ち、ほどよく乾いていて、だからこそ、今の展開なのでしょうね。

まあ、少し前から、「あの世界」は、戻ってきています。
飲み屋さんで知り合った某大劇団の若者から、相談が来たり、
某人気劇団の古株さんとゴールデン街でお話することが出来たり、
「あれ?」が起こっています。

これは、きっと何かの予兆なのでしょうねえ。
でも、「そうだ、運命だ! やるしかない!」みたいに盛り上がるかといえば、そうでもないという(笑)。

どうだい、若人さん、これが50代力です。
好きだったから、慎重になるのです。
好きだったから、分をわきまえてしまうのです。
好きだったから、傷があり、そことどう向き合うか、少し自分から離して考えてみるのです。

四五言ってないで、動け! 書け!なんですけれどね。
ここまで続けてきた仕事、これも、面白いんですよ。
易の勉強も、面白いんですよ。

易はねー、全然、へっぽこで。
まだつかめないですねえ。なんでしょうねえ、タロットなんかは、誰に習ったわけでもないに、
手持ちの本と実践で、「外さない」自信があるんですけれどね。
易は、「これでいいのかなあ?」がありまして。

で、何が違うかと言えば、「まだ教えてもらっていない」があるんですよ。
「え、そういう意味『も』あるんですか?」みたいな。
後出しじゃんけんが起こるので、「今の私の知識、理解だとこうなりますが、はてさて?」みたいな
ことが起こります。

占断に迷いがありますから、そりゃあまあ、当たらないでしょう。
教室でやっている演習で「2月の自分の運勢」を占ったところ、
「血の涙を流す。誰も助けてくれない」みたいな「おいおい」が出て、
「これ、間違ったなあ」と思いつつ、でも、万が一もありますからねえ。
用心しいしい過ごして、ようやく、月末で。
血の涙ではなかったねえ、ですね。

では、最初から「全部」教わればよいのでは?となるのですが、
そこは、義務教育と同じシステムなんですよ。
小学校1年生に6年生の教科書を渡して、理解が出来たら、それは天才でしょ?

きっと、易の別の流派では、そうやって最初から「大学レベル」みたいなところもあると思うのですが、私は、この「小一から順々に」は、悪くないと思っているのです。
もっとも、最近は、「それでも、ざっとさらっておく?」って思っていますけれど。

一緒に習っている先輩に「この本が僕の入り口」とうかがい、それは、市場流通価格で現在6万なのですが。
少し前なら「買っていた」のですが。
今は、「5年、10年後に10万しても、そこで必要ならば買おう」に考えが変わりました。

どうせ積んでおくしか出来ないし。
小学1年生が、教室以上のことをしても、パンクしますしね。

別件で、きのう、「お、おおお、おう!」みたいなことも起こりました。
「え、それ、私でよろしいのですか?」みたいな。
ああ、実力不足でダメかもしれません。でも、お話がきただけで、びっくり案件です。
で、それをご紹介下さったのが、数年前のご縁で。
一度ご飯を食べたくらい、あとは、「こんにちわー」くらいの間柄で。
なんというか、お心にかけてくださっただけで、嬉しく、大事なご縁につないでくださった
ご厚意も嬉しく。
幸せだなあ、ありがたいなあ、こういう温かさ、どうやってお返しすればいいのだろうと。

不要なものを濾過すること。
温かさを循環させること。
ご期待に応える力をつけること。
過去の自分と折り合うこと。

確定申告をやること(笑)。このあたりが課題になっております。

うん、いろいろな方に「私は、確定申告、プロに頼んでいる」ってうかがうのですが、
私、嫌いじゃないんですよ。
終わると忘れてしまうことも、思い出せるから。
ああ、あの時、こんなお仕事をさせていただいなあ、あのときの打ち合わせはこうだったなあ、
帰り道にアレを食べたな、アレを買ったな、みたいな振り返りになるので。

問題は、なかなか取り組めないことなんだけど。

よし、では、仕事しますよー! 任せて、間に合わせるから!
そうね、易も「小学校1年生が当てる」を目指しますか。
「この先にもっと深いものがあるから、今はわからない」なんて思っていると、きっとつかめませんね。

「小学校一年の天才」を目指しましょう。

うん、そういう心持ち。
現在からみると、「手詰まり」、「八方ふさがり」でも、未来から見れば、
「結果オーライ」って、絶対にあるでしょう?

視点を変える、心を変える、意識を変えるだけで、たぶん、いろいろ変わってきます。

人生は困難があるし、キツい時期もありますけれど、終わってしまえば、
「ああ、あったね」でしょ?

ならば、勝利の美酒、達成の喜びですよ。それをイメージして。
今は、プロセス。

さ、やりましょうか。2月ももう最後ですしね! きょうも、よい一日を。すげー、3000字超え。長文におつきあいくださり、ありがとうございました。

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