風邪、長引き中デス

いや、まいった、まいった。

思うに、CATSが持つ、「あの頃、あの時代」の空気、仕掛けに心底、冷えたのでしょうねえ。

冒頭で、「うわー、武富士?」と思ってしまい……。
バブルのころ、コレかー!な、うんざり感も増しまして。当時の意識高い系の人たち(そんな言葉はなかった、バブリーな人たち)が、こぞって見ていたのか―と。デザイナーズブランドに、ロレックス、前髪立てたボディコンシャスなお姐様たち……。

一幕終わりで、相当グッタリで帰りたくて仕方なく……。
でも、二回見るわけないから、根性で最後までなんとか。
空調もよくないし、温かい飲み物はないし、隣は妊婦さんだし、
逆隣は、「CATS大大だーい好き!」だし。

ミュージカルは、時代に寄り添っていると痛感しました。

古い振り付け、構成で見ても、「あの頃」をトレースしているだけ。
無理もない、だって、出演者にとっては、生まれる前の物語だもの。
ニュアンス、伝説、口伝えを追っているだけですよね。

いまどきのコは、もっとすごいの、見ちゃっていますもんね。
ピピンの時も、サルティンバンコの前ならば、もっと感動しただろうと
予感しました。
技術的にすごくても、「それくらい出来るでしょ? いまどきのプロなら」みたいな気分で見ちゃうわけ。自分はでんぐり返しも怪しいのに、ね。

話が飛びますが……。

従軍慰安婦の問題もね、古い世代の恨みとか憎しみとか、
暴力をトレースしていていっても、中身なくなっちゃうと思うんですよ。

日本人が悪い!で、責めたいなら、
従軍慰安婦ではなく、強制労働とか、他に切り口があると思うのです。
広島の原爆資料館で、「日本人は(被爆後も)韓国人を差別したと明記しろ」を見た時に、正直、「なんだ、これ」と思いました。いきなり、文脈が違うものをぶっこんで来たなと。でも、書かずにはいられない、悲劇の日本人の中で、さらなる地獄があったと、戦後70年経っても言わずにはいられない悲しさは、キャッチしました。ただ、極限の中、助けてくれる人もいただろうし、逆に、踏みにじった相手もいただろう……、そして生き延び、「差別を書き記せ」と迫ったわけで。絶滅していたら、伝えることすら出来ませんしね。

恨、ハンと読むんでしたっけ?
ああ、もう漢字は捨てたのでしたっけ?
隣国への憎しみ、恨み、積もり積もっていることはわかります。
私の中の歴史的な認識にしかすぎませんが、差別は相当ひどかったでしょう。

だって、日本人って、同じ国の人間にも、相当やりますからね。
村八分とか、無視とか、いじめとか、メンタリティが村人なんですよ。
ムラにマレビトがやってきたら、それは、人柱の対象だったし。
強制労働、奉仕で、家族との離別、人間とも思えない扱い、仕打ち、
本当にいろいろあったのではないかと拝察します。

でも、それを20万人とか、煽ると、信ぴょう性がなくなっちゃう。
もうこれは、本当に難しくて、控えめに言えば伝わるのかといえば、
そうではなく。でも、大げさにすると、虚偽に飲まれちゃうから。
そこのバランスは難しい。

おおげさに言わないと振り向いてもらえない。
特に、終わったことは水に流す国民性が相手だから。
でも、おおげさに言うと、単純な考えなしの人しか釣れない。

痛しかゆしですね。
個人的には、世界各地に配るならば、「我が国が被った被害の証を建てる」よりも、「女性が蹂躙されない世界を」をスローガンにするほうが支持されるし、
受け入れられると思うのです。そのためには、特定の敵は像から削らないと。
個人でいうところの、我を捨てないと、なかなか困難ですよね。

この2つの取り合わせで、何が言いたいのかといえば、自分が生まれてくる前にあったものに自分を無理やり自分をハメようとすると、結構、不自然で苦しいんじゃないかな?ってことです。

その時代の必然、その時代の新しさ、その時代の善悪があって。

過去をなかったことにするのではなく、過去を踏まえて、次へ進む。

強い思いがないとダメなんだけど、それは、「おばあちゃん、ひいばあちゃんの世代がつらかったから」じゃなくて、「歴史に学び、戦争の犠牲になる全世界の女性の性について」と昇華させないと。
だって、日本を斬る刀で、自分の国も斬ることになるでしょう?
韓国軍によるベトナム蹂躙、ライダイハンの問題は、どう着地なさいますか?
加害者である面は、私、「主戦場」見るまで知らなかったですよ?
「主戦場」からも削り取られていて、その後のレビューで、「へええ」でした。

どの国にも起こりうる悲劇。間違い。
過去に起こってしまった悲劇。過ち。

有事ではなく、平和な時代にも、起こりうること。

歴史に学び、明日に生かす。
崇高な理想が、残酷な現実を生むかもしれないことを常に意識する。
尊い犠牲、痛ましい記憶から、幸せな時間、平和を紡いでいく。

今、昔バージョンのCATSが見られてよかったです。
演出だいぶ変わっているらしいですが、でも、ニュアンスは、80年代じゃない?
あれを見て、いろいろ冷えたけれど、おかげで、懐古主義にならずに済みました。

今このとき、そして、ここから続く未来。

大事なのは、そこだなと。病み上がりですが、ぼんやり考えたりしております。


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2019年8月5日 | カテゴリー : 日々のこと | 投稿者 : 章月綾乃