昨日、急に思い立って、京都へ行きました。
詳細は、アメブロを見ていただくと……。
ひとりで考えを整理しながら行くつもりが、
なんだか日常よりも人に会い、時間に追われる
予想外の展開になりました。
京都といえば、みなさまは、どこを思い浮かべますか?
私は、まず、貴船なのです。
叡山電鉄の駅から見ると、神社と逆の方向に鳥居があるのが
わかります。
おそらく、それが一の鳥居で、あるとき気づいて。
でも、いつも時間がなくて「次回は!」と心に決めておりました。
今回は、朝出発を決めたのに、なぜか車を出してくださる方が
現れて、戸惑いました。
でも、きちんと主張はしなければ!
「えっと、貴船はひとりで回りたいのですが」
ここまでハッキリ書いたのに、なぜか、これはスルーされました。
なぜ?
とりあえず、お会いしたら、「きょうは一日空いているよ」だったので、
もう諦めて、「じゃあ、お世話になります」となりました。
「あの、どうしても一の鳥居は潜りたいのですが」
「かまへんよ」
念願の一の鳥居です。隣には、舵神社があります。
「やっと、来られた!」
そんな思いがあります。
震災のとき、水が汚れました。
震災から一ヶ月もしないのに、私用で関西ひとり旅を予定していて、
自粛ムードの中、相当迷ったのですが、
「そうだ、貴船さんに行こう! 行って、水のお願いをしよう」と
思い立ち、自分にゴーサインを出しました。
あのときの関西旅行は、もうショックの連続でした。
だって、関西、日常なんですもの。
東京は、節電で真っ暗で。流通もまともに機能していなくて、
いつまた揺れるかで、びくびくしているのに、関西はのどかなものでした。
友人に会いましたが、そのときの話題は
「大阪に伊勢丹が来る」で、心底びっくりしたものです。
私は、「水が汚れませんように」で、わざわざ京都下車しているのに。
ホテルで、うがいしようとして、「この水大丈夫?」と反射的に思い、
「大丈夫に決まっている」と、しばらく笑いました。
神経過敏になっていて、どうにもなりませんでした。
でも、これは立場が違えば同じことで、阪神淡路のときにリアルに
感じられたかと言えば、まったくそんなことはなく、
中越地震のときにどうだったのかといえば、本当に他人事でした。
だから、関西旅行は決行でよかったのです。
自分の無神経さ、無関心さを自覚できました。
そのときの貴船も、素晴らしくて。
ただ、次に行ったときは友人連れで、これはダメでした。
私にとって貴船はすごく大事な場所なのですが、人がいると
ちょっと次元が変わってしまうのです。
ここは、一人で参る場所だと痛感しました。
だって、水のお礼でうかがうつもりがお礼を言わずに終わったのです。
帰宅してから、相当焦りました。なにやっているんだろう?と。
苦しいときの神頼みかと。
だから、今回も、本当に一人で行きたくて。
一人で貴船に行くのが、旅の目的でした。
が、その願い、あっさり破られましたが。
例祭日なので、すべての摂社さんにも
捧げものがしてあり、貴船全体が活気に満ちています。
普段は、異界の気配が濃厚ですが、
今回は人間の営み、思い、自負心などが伝わってきます。
奥宮の緑。
最近、「舟」が気になります。
運命を運ぶもの。
運命を渡すもの。
「舟」が気になって仕方ありません。
参道にあるこの木は、大きな洞を持っています。
正面から写真を撮ったら、天狗の顔と人の顔が
映っているような気がして、あわてて消しました。
清らかな水の流れ。
今、過去の日記を見直して笑ってしまいました。
引用しましょう。
バスを降りたら、道連れが出来た。
「初めてなので、ついていっていいですか?」
どうぞって、する。
簡単に案内しながら、進む。ただ、きょうは、神様に水のお願いに来たつもりだったので、微妙に弱る。
2011年の水のお願いの日の貴船の写真です。
光と安らぎに満ちていて、写真を見るだけで、
今でもあの日の切実さ、それを受け止め、打ち消してくれた
貴船という場所の力が蘇り、胸が締め付けられます。
そして、どうも私は「一人」にはなれないみたいですね(笑)。
この日は、5組の人に写真を頼まれたと書いてあります。
どんだけ、人にまみれる人生なのでしょう?
貴船に行くと、私は非常に元気になり、健やかになり、
そして、縁が整います。またいつかうかがいましょう。
出来たら、一人で。
でも、きっと誰かと、ね。