空を見上げて

きょうは、寒かったですね。

出先で、眺めた空です。
雲は厚いのですが、そこからこぼれる太陽の光が美しかったです。

空

いろいろ、私はカンチガイしておりまして。
きょうは、母に「あら、違うわよ」と教わりました。

知らなかった言葉にも、出会いました。
「ニコヨン」
戦後は、想像よりも過酷です。

未だ、私の時間は分裂しております。
それなのに、明日からまた、社会が動き出すという現実に驚くばかりです。

みなさま、よいスタートが切れますように!

そして、本日、様々な形でメッセージをくださったみなさま、本当にありがとうございました。
いただいた言葉を大事に胸にしまって、また、頑張って参ります。
今後とも、よろしくお願いいたします。

 

 

ふたつの時間

今、私は、ふたつの時間の中で生きております。
ひとつの時間は、普通に流れていますが、もうひとつの時間は、止まっています。

いずれひとつに融合するとは思いますが、もう少し先の話になりそうです。

いつもと違う年末、いつもと違うお正月。
でも、広い世界には、きっと私と似た状況の方も大勢いらっしゃるでしょう。

流れている時間のほうで、誕生日占いを書いております。
融合するときには、一度、こちらも止まってしまうと思うので、出来るだけ前倒しで。
でも、分裂した時間の片方が止まっているから、どうしても流れている方も滞ります。我ながら、非常に歯がゆいのですが、まあ、こんなものなのでしょう。

去年は、ずっと時間に追いかけられていたような感覚があるので、正直調子は狂いますが、うまくバランスを取って、なんとか分裂した時間の中でやってみます。こういうの、経験しないとわからないですね。焦らずに、今に集中して参ります。

町のケーキ屋さん

子供のころ、ケーキ屋さんに憧れませんでしたか?

私は、憧れました。
私が子供のころは、ケーキは非常に特別な食べ物で、クリスマスと誕生日くらいしか食卓に登場しませんでしたが、ショーウィンドーに並んだキラキラした食べ物が別世界のもののように感じられたものでした。

そんなことを思い出したのは、ル・パティシエ・ヨコヤマの大久保店に行ったからなのですが。横山知之さんは、かつてニューオータニにいらしたころ、テレビチャンピオンで三連覇もし、その後、独立されました。大久保店は、2号店になります。谷津にはよく行ったのですが、大久保店は初めて行きました。というか、ル・パティシェエ・ヨコヤマ自体が久しぶりだったのですけれど。
大久保店、ファンシーでびっくりしました。小人つきの噴水とかありまして、もう「ええええ?」でした。

ニューオータニから独立された直後に感じたことを、思い出しました。あのときも、贅の限りを尽くすホテルメイドとの指向の違いを痛感したのですけれど。
価格も、非常に良心的なんです。気取った都内のお店で、このレベルなら、倍以上ふっかけるでしょう。それでも、売れると思うんですよね。
また、シーズンモノのお正月の手土産用の焼き菓子のパッケージがベタなんです。普通のケーキ屋さんでも、もう少し、洗練を選ぶのではないかと思うくらいベタベタです。昭和の最初のころにあった洋菓子店に並びそうなものばかり……。

と、ここまで考えて、やっとわかりました。
目指すところは、町のケーキ屋さんなんですね。
私の思い出の中にあるお店よりも、ずっと大規模だし、行列が絶えませんが。

きっと、小さい子供たちの記憶の中に、おいしいケーキが残るでしょう。

ル・パティシエ・ヨコヤマ

つい、いっぱい買っちゃいました。

ヨコヤマさんの視線の先にあるのは、小さなお子様なのかもしれません。大久保店には、お子様用待合スペースもあって、優しい気持ちになれました。

 

 

 

 

 

“大丈夫”という言葉

大丈夫という言葉が会話に現れるとき、おそらく、状況は大丈夫ではないのでしょう。
けれど、「大丈夫」と答えることで、大丈夫になるのだと感じます。

どう考えても負担が大きい、いつもと違う、ダメージが予測される……けれど、「大丈夫」と口に出すことで、何とか乗り越えるという決意表明になります。

たまに、「大丈夫じゃない」と答える人もいますよね。
素直なSOSで、これはこれで、好感が持てます。

だって、大丈夫という言葉には、「それ以上、立ち入らないで」という意味もあるからです。ひとりで、なんとかするから。

“大丈夫”は、強くて、孤独な言葉だとするなら、実は、“大丈夫?”という呼びかけは、少し遠い言葉なのかもしれません。「大丈夫?」「大丈夫」までがワンセットで、呼びかけた本人が安心したいというか。
ただ、「大丈夫」で会話が打ち切られてしまうときは、気を付けないといけないと感じます。もうギリギリで、体面を取り繕うだけで、精一杯ですから。「大丈夫じゃない」よりも、ずっと大丈夫じゃない状況でしょう。

そんな中、“大丈夫!”という励ましは、悪くないかもしれません。
相手を支える力があるように感じます。
それは、「もし、大丈夫じゃなかったら、助けるから」という秘められたメッセージを感じ取るせいかもしれません。

あなたが大丈夫だと信じているから。
あなたが大丈夫だと知っているから。

きっと、大丈夫!

言葉は虚ろなものですが、空虚がある分、そこに思いを込められます。
思いがこもった言葉は強くて、人を支え、つなぎます。
からっぽな言葉と中身がぎっしり詰まった言葉をちゃんと聞き分けていきたい、選んで伝えたいと思う正月3日でございます。

 

元旦の朝の出来事

氏神様に、新年の ご挨拶に伺いました。

龍

日の出タイムを狙って。
元旦のご神木。

ご神木

それから、海へ。

途中、知らない方が撮影していたので、私も便乗しました。

初日の出

水鳥が六羽、カラスは六度鳴きます。

新春カラス
もう一回あったら、オーメンだなあとくだらないことを考えたら、案の定、また、カラスが六度鳴きました。

新年ブレブレ猫さん。

ねこ

で、正月早々、章月、海に落ちました。陸だと思っていたら、海でした。

海
足どろどろ。
あまりに、くだらなくて、笑えてきました。出雲でも、やったんですよね。靴履いたまま、海につっこむの巻。
こういうとき、「最低」とか、「最悪」ではなく、「面白い」と思うあたり、私は、おめでたく、生きやすい性格なんでしょう。
拘泥の中から、浮上するのです。
ノープログレム!

元旦

さあ、さっさと帰り、足洗わないと!
楽しい一日、そして、一年を始めましょう!

一年の計は元旦にあり

新年おめでとうございます。

大晦日の早朝、今年最後の空を見上げたら、細い細い月がかかっていました。
その繊細さがいとおしく、儚さに心奪われました。

本日、ゆっくりと古い月が消えていき、真の闇が生まれ、再生していきます。
20時14分、あなたは、何を思うでしょう?

一年の計は元旦にあり。
まさに、年間目標、計画を立てるにふさわしい時間です。

今年はどんな年にしましょうか?
本年も、よろしくお願いいたします。章月綾乃

2014年1月1日 | カテゴリー : 日々のこと | タグ : | 投稿者 : 章月綾乃

まんまと。

風邪を引いたようです。
頭がガンガン割れるように痛いのです。締まらないですねー。

大晦日に風邪っぴきは、何年振りでしょう?
最初のときは、それでも気力で婚家に行き、隔離されて寝ていた記憶があります。

今年は、自宅で。
でも、年が明ければやることはいっぱい。ひとつずつ、片付けていかなくてはなりません。

年末年始なんて、あっというまですね。
たまたま読んだ本に、「普段から掃除をしていれば、大掃除なんて必要ない」とあり、耳が痛かったです。そこまで手が回らず、もうちょっとしたら、おそばを茹でたいと思います。

二年モノの風邪になりませんように。
ちょっと気をつけてみたいと思います。

一年、おつきあいくださいまして、ありがとうございます。来年もまた、よろしくお願いいたします。

2013年のまとめ2

一年を振り返ると、やはり書籍のスケジュールで、動いていたことがわかります。
2月に2冊、7月に2冊、暮れに1冊。

ありがたい一年でした。

来年は、どんな一年になるのか楽しみです。

2013年12月30日 | カテゴリー : 日々のこと | 投稿者 : 章月綾乃

2013年のまとめ1

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

いよいよ年も押し迫り、あわただしくなって参りました。
少し早いのですが、2013年のまとめなぞ。

今年もまた、いろいろ美術館などにうかがいましたが、個人的なナンバー1は、こちらです。
弥生美術館の「魔性の女展」。

「夏目漱石の美術世界展」も捨てがたいのですが、和と洋の人魚対決で、和の勝ちです。
(え? 人魚対決だったの???)

あとは、ルドン展でしょうか。絶筆の一枚が忘れがたいです。光に溶ける赤。
ひとりで、妖怪トライアスロンにも行きましたっけ。
三井記念美術館、横須賀美術館、横浜そごう美術館を一日で回りました。
レオ・レオニ展も楽しかったですねー。

秋以降は、あまり見られなかったの残念です。
2013年のまとめ2は、またあした! では、みなさま、よい一日を!

 

 

カンの良さ

変なところで、カンがいいのです。
「ピン」ときたり、「ん?」と気づいたり……。

占いを仕事にしているのだから、当然、むしろ、必要な能力といえるかもしれません。

いつもやっていることをする気になれなくて。
自分でも理由がわからないまま、時間だけが過ぎていきました。
やらないと、やらないと、やらないと。
でも、なんだか、やらなくてもいいような気がする……。
ずっと、そう思っていて。我ながら、不可解でした。

きょうになって、「ああ、だからか!」と符牒が合いました。
おそらく、意識は、今いる場所よりも少し先の未来を見ているのでしょう。

不思議、不思議。いろいろ不思議。
知らぬ間に、心は準備をしているのかもしれませんね。