心の中にある反発

私の中には、今、反発があります。
それは、野良猫対策について、「それって、どうなの?」って思っちゃうせい。

「地域猫は、その地域の人たちが考えなきゃいけないんです」

理屈はそうかもしれないけれど、避妊手術とかの「予算」を個人が負担するというのが
腑に落ちません。
お金が惜しいというのではなく、いや、身銭を切るのは痛いんだけど、それとは別に、
「気づいた人が出せばいい」的な行政の姿勢がよくわからないというか。

じゃあ、私が知らんぷりしたら、それはそれでいいわけ?
ああ、逃げたねってことで、終了なわけ?
で、問題が悪化してから、やっと重い腰を上げるわけ?

現実に猫は、そこにいるじゃない?
猫は増えるじゃない?

「予算建てをどうするかですよ」とNPOの方はおっしゃるのですが、
直訳すれば、「お金を出す人を探してね。ダメならあなたが出すのですよ」なわけ。

いやー、なんだそれ?
別に、猫ボランティアさんの懐をアテにしていたわけじゃないけれど、
もっと行政がやらなきゃいけないんじゃないのかしら?
猫まで回らないよって現実もあるんだろうけれど、増えていくわけでしょ?
苦情が出たところで、また考えるわけ?

ただ、動物保護指導センターの人の態度や言葉の端々には、
ある種の疲労と諦念が見え隠れてしていたので、もう現場はキャパオーバーなのでしょう。
やりたくてもやれないから、やってください状態なんだろうけれど、やってくださいと
頼むことを忘れている感じ。

ちょっと待ってくれよ、なにかがおかしくないか?
「野良猫の不妊手術の補助枠もあり、春に抽選があります」と聞いたけれど、
その抽選から漏れたら、自費なわけ?

ずっとイライラしていますよ。数万円のことだから、社会貢献と考えて、今回は頑張ることも
出来るかもしれないけれど、同時に、これで終わりじゃないんだから、もっとクリアにしないと
ダメなんじゃないの?って思ったりして。

これまで知らない世界だったけれど、掘れば掘るほど、人の思惑がいっぱい絡んできて、
これを整理して誘導して、猫保護するまでにつなげていくの、私の仕事なのかな?って
思っちゃうわけ。

ただ、小さい猫たちの姿を見ていると、ちゃんと生き延びて欲しいし、
そのためには、ご飯は必要だろうし、ご飯をあげるだけじゃ、どんどん増えちゃうから、
やはり不妊手術は避けては通れない選択となっていって。

「協力します。教えます」だけど、「あなたがやるんです」の世界、
一見、すごく正しく見えるけれど、それ、本当に正しいのかなあ?
「手伝ってくださいね」みたいなのがないから、イヤなのかな?

……いや、どうだろう?
もう何が「うわー、イヤな感じ、イラッとする」なのか、理由がハッキリしないのですが、
「これって大丈夫なのですか?」という問い合わせに対しての負担がハンパないんですよ。
いっそ、猫を勝手に捕獲して、自腹で手術してリターンするなり、保護するなりで
終われば、シンプルかもしれません。
やれ、エサやりさんたちに話してみてだの、猫ボランティアさんに聞かないとだの、
ホームレスさんの様子を見てだの、なんだかもう底なし沼かい?って感じで。
いや、話すし、聞くけどさ。でも、たまたま、社交的な人見知り(意味不明)だったから、
「こんにちは」って出来るだけで、気楽に話すことが出来ない人もいるよね。
そういう現場は、もっとNPOの人が頑張ったりするのかな?

猫ボランティアさんの縄張りもあるっぽいから、そこ聞いてみてもはぐらかされるわけ。
結構、そこ大事なんじゃないの?
「何丁目までは、あのグループで、ここからはうちのグループで」って。
絶対にあるから、人間のやることだから。
そういうの、行政が把握しないで、「わからないですねえ」みたいなとぼけ方で、
投げっぱなしでいいわけ??? それ、有志だって疲れちゃうよねえ?

いやもうね、なんていうんですかね。
犬猫保護や処分の窓口が疲弊していることはわかるんですけれど、でも、わりと
フラットな状態で「どんなもんなんでしょうかね?」って問い合わせた人に対して、
「気づいちゃった? じゃ、トラップ貸すから、関係者全員に根回しして、メス猫探して、TNRよろしく」みたいな
丸投げ、大人のやり方じゃないなって感じるってだけなんですよ。

視察に来てくださったのはありがたいんだけど、問題丸投げされて
「何かあったら、言ってください」的な感じでね。
むしろ、「猫がいるのよ。キー! すごく迷惑、排除して!」みたいなほうが、
物事が動くのかしら? といえば、まあ、そうではないか(ノリツッコミ?)。

ああ、ここまで書いてわかりました。
無常観みたいなのが、伝染しちゃっているんですね。
やってもやっても、いたちごっこ的な。すっかり、ブルーとかグレーの色に染まっちゃった。

きっとこういうのって、どこの世界にもあるんでしょうねえ。
過疎とか、天候不順の農村とかで、「偉い人が様子を見に来てくれる、バンザーイ! これで救われる」って
期待していたら、「ふむ、大変ですね。まあ、各自、しのいでください」的に終わっちゃうことって。
絶対、311でもあったはずです。

となると、答えはやるしかないし、こうやって経験を積むことで、
次に問題意識を持つ人が「なんだかなあ」にならないようにしたいですよね。

まあ、だいたい見えてはいるんだど、同時に「やり切れるのか?」という思いもあって、
もうちょっと迷っていようと思います。とりあえず、「なんだよ、それ」って反発しながら、ね!

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