父の命日

母から「命日だからお墓参りに行きました」と
メールが来ました。

こういうところが、みずがめ座だなと思うのです。
報告するなら、誘えと思うのですが。
「お父さんの命日だね、お墓参りに行こうよ」的な
展開を待っているのでしょう。

が、そのホームドラマには、乗れません。

思えば、父が死んだ日、私は別の方のお葬式に参列していました。
父が死んだから、参列出来たのです。
危篤状態だったら、無理でした。

思えば、薄情ですよねえ。
つれあいを亡くした母に寄り添わなかった。

働かない父、怒鳴る父、凄む父、暴れる父。
子供のころは、母が被害者だと思い込んでいましたが、
自分の感情だけで動いている同類だったと気づきました。

DVな父で、何度も殴られましたし、物も飛んできましたが、
それでも、かわいがられていたことはわかっています。
私は父に似ています。
それを母が憎々しく口にします。
「お前は、お父さんそっくり」

今は、もっと凄惨なDV家庭があるとわかっているから、
アレですけれど、うちも、まあ、なかなかでしたよ。

そういう一連の流れ、すっぽり抜けた感じで、
「お父さんの命日だから」とか、心底どうでもよくて。

そうね、「9日が命日よ」って言われていたら、
「じゃあ、お墓参りに行こうよ」って言っていたと思います。

私は、生まれ変わりはあると思っている人間ですが、
父は、また、生まれ変わるんだろうなあ。
次は、もうちょっと徳を積める生き方がいいね、
不機嫌まき散らすような生き方じゃないといいね。
家族を殴らず、萎縮させず、男の腕一本で食べさせる甲斐性があるといいね。

「すぐ」が出来ないと、怒り出す人でした。
だから、私の体内時計は、相当早回しです。
でも、そんなに「すぐ」じゃなくてもいいと大人になってから気づいて。
なかなか解けませんね。

たまに、くーが、父の生まれ変わりじゃないかって気もするんですよね。
人間ルートをやめて、猫ルートになって、
ただただ、かわいがられる、ただただ、優しくつながる関係を選んだんじゃないかと。

でも、気高い猫族、それはないかなー。
ま、こじれていますね。
父も相当子供だったと思うのですが、敗戦後の5人兄弟、唯一の男子じゃ、
仕方なかったかもしれないなって思ったりします。
敗戦、復興の中、大人になった両親、そこに育てられた私。
よく思ったなー。なんで弟が必要だったの?って。
弟がいるから、大学は諦めてと子供のころから言われ続け……。
適当に選んでいるから、荒れた学校に通わされて。

一番古い友達は、小学校一年の時のご縁で、
切れたり、つながったり、不思議な関係なのですが、
彼女としみじみ、「たいがいな環境だったよね」と言い合っています。

たいがいな環境だったと言い合える友達がいてよかった。

父の役目はなんだったのかなー?
好き放題やって、自分で自分の体を攻撃する病に倒れて、
父に似合う病気だったなと思ったりするのです。
とはいえ、それほど、闘病に巻き込まれていないのが、母の防波堤かもしれず、
ま、巻き込まれそうになったら、全力で逃げますが。
それくらいの自由はあるでしょう。あの地獄のような子供時代を生き延びたのだから。

父はもういない。
父と過ごす時間が、終わってよかった。
ありがとうもないわけじゃないけれど、まあ、ホント、たいがいでしたよ。

それでも、「命日よ」って言われたら、行きますよ。
「墓参りに行きました」の報告はいらない。暴力と怒声の記憶しか残ってない。

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2021年1月9日 | カテゴリー : 日々のこと | 投稿者 : 章月綾乃