ご厚意

自分のことは、自分でする。

これは、すべての基本ですよね。
一方、人にやっていただかないと出来ないこともあります。

たとえば、お通夜での受付。これは、どなたかの力を借りることになります。
葬儀屋さんは、いとこさんとかが適任と簡単におっしゃいますが、うちのケースでは、うまくハマる人がいません。
旧友に頼もうにも、何分にも遠方です。
父と面識がない人にお願いするのは、ちょっと違う気がいたします。

今の段階では、伯母、父の友人に落ち着いておりますが、ここはひとつ悩ましいところでした。知り合いにバイトでも頼む? 私が立とうか?
そんなとき、「人手がいるようでしたら」というメールをいただき、本当にうれしかったです。

お香典に関しては、葬儀屋さんもやってくれません。こういうことは、自分がその立場にならないとわからないものですね。
また、お花もあります。舅が「お父さんにハクをつけてあげないといけない」と贈ってくださったり、思いがけないところからいただいたりして、これも自分では出来ないことだと思いました。

人にやっていただいて、形になることがあるのですね。
だから、近所づきあいで、だから、人づきあいで。
見事だと思ったのは、過去に私がお身内のお別れにうかがった方からは、訃報の翌日にお心遣いが届いたことです。

冠婚葬祭は、人にちょっと無理をさせます。
でも、その無理が、人づきあいの中で、大事なのでしょうね。

過去に重ねてしまった不義理を悔やみます。思い至らなかった未熟さを恥ずかしく思います。
これからは、少しだけ、いい人間になれそうな気がします。

 

 

 

ふたつのお別れ

昨日未明、父が他界しました。
おかげさまで、安らかな旅立ちでした。
ご心配くださったみなさま、本当にありがとうございました。
当方は、元気にやっております。いなくなった寂しさ、悲しさは、なぜかほとんどなく、ただただ、無事に見送れた安堵でいっぱいです。

そして、危篤状態ではなくなったため、夜は、他のお通夜にうかがえました。
姑には叱られましたが。
「実父の命日に、よそ様にうかがうなんて!」と。
世間的にも、欠礼しても許される状況だとはわかっております。
わかっておりますが、うかがいたかったのです。

そして、うかがえてよかったです。
昨日のお通夜のご宗派は、浄土真宗ということでした。
「なむあみだー、なむあみだー」
わからないなりに、お経の断片でも拾おうと耳を澄ませて。
音の高低のうねりが、どこか神楽歌にも似て、「きちんと雅楽を学ぼうか」という気持ちにもなりました。仏教も、面白そうだと思ったりしました。
お坊様が、南無阿弥陀、南無阿弥陀と唱えるとき、広い広い空間で、ただ、ひたすら、阿弥陀様を求める素直な気持ちが見えたような気がしました。

宗教は、様々な問題を起こしますが、それでも、やはり救いがあります。
白水阿弥陀堂にまた、うかがいたいと連想も広がりました。

一夜明けてきょうは、亡父の納棺でした。

これまで、私は死がケガレという感覚がどうもわからなかったのですが、今回は、確かに通常の状態ではないと理解しました。

遺体の冷たさは、生者とは一線を画します。
この冷たさをお仕事に含んでいらっしゃる医療関係のみなさま、ご葬儀関係のみなさまに、深く感謝しました。

年末年始の変則で、葬儀などは、少し先になります。これもまた、残された母にとっては、優しい時間になるのかもしれません。
ふたつのお別れは、私の中で重なり合います。こういうのも、ご縁なのですね。きっと。

IE11が使えない?

今、アメブロを更新しようとしたら、「Internet Explorer 11では、正常に動作しない場合がございます」と出ましたよ。
なんですか。それ!!!

昨日まで普通に使えていたのに、どういうことなのでしょう???

仕方ないので、Google Chromeを投入してみて、なんとか更新いたしました。

当然のことながら、お気に入りのリストは出なくて、イチイチ、アドレスをコピペして移す作業つきです。うー!!!

忙しいときに限って!!!
まあ、こんなものかもしれません。最近、達観しつつあります。そのうち、仙人になれちゃうかも? いや、なれまい。

この期に及んで

感謝の念がわきません。
心の奥底がずっと冷えていて、自分でも恐ろしいと感じます。

やっと松飾が取れたので、お話ができます。
年末、いよいよ、今から年賀状を!という段になって、父の容体が悪化しました。
「持って年内、長くて10日」
そういう話でした。もう年賀状なんて出せません。

また、その持って10日の10日目は私の誕生日でした。
世間でよく聞きますよね。身内の命日が誕生日って。
だから、そのパターンかもしれないと思っておりました。

ところが、しぶとい、しぶとい。なかなか、その“時”は来ません。
無駄に丈夫なんですよ。うちの父ってば。
毎日とはいかず、2日に1.5回くらいのペースで病院へ行っているのですが、
ただ、顔を出しているだけ、少し話をするだけなのに、生気を全部持っていかれます。
恐ろしいです。どれほど、消耗する場なのでしょう。
そこで、働いている看護士さんたちには、本当に頭が下がります。

頑丈で、頑迷な父なので、酸素補給のコードや点滴がうざったいらしく、力づくで外してしまいます。その結果、いろいろ無残な様子になるわけですが、健気な看護士さんは、「私たちは構わないけれど、心配だから」っておっしゃるのです。
「本当にすみません。でも、仮に何があっても、これは自業自得ですから」と頭を下げたところ、顔をまじまじとのぞきこまれ、驚いたように笑われてしまいました。いや、ホント、ご迷惑をおかけします。

たまに目覚める父が「オレはもうダメだ」と騒ぐので、「何をおっしゃいますか。憎まれっ子世にはばかると申しますよ。そう簡単にはいかないでしょう」と言ってみたら、「何を言われているのかわからないけれど」ととぼけます。まったく、どこまでも自分にだけ都合のいい親父です。三つ子の魂百までというやつです。

看病番長は母でして、父も基本的に、母しか求めておりません。
「アレはどこにいった?」
「ちょっと外してるだけ。すぐに戻ってくるよ」
「まだ、戻って来ないのか」
はいはい、呼んできますよ。お母さん、お父さんがうるさいよー。

また、この母が妙にドライなんですね。
妙なところで、突き放すわけ。
「もう帰るわよ」
えええ? この状態で? 大変な放置プレイです。
「だって、洗濯物を取り込まないと」

なんという現実主義者でしょう!!!
ああ、私は、このドライさに育てられたのだと、確信しました。
子供のころ、本当にさびしかったよなあ。
これもまた、三つ子の魂シリーズですが。

余談ですが、私は小さい子供に結構モテます。
それは、自分の中にまだ、小さい子供がいるせいだと思っています。子供と接するときに、大人の視点じゃないんですよね。子供の味方なのです。どこまでも。
適当にあしらわれると、子供はわかりますから。そういうのは、ダメだと思っています。
子供時代の体験が、私を子供の味方な大人に変えたようです。

話を戻しましょう。
年が明けてからは、ドライな母も、さすがに気持ちは残るらしく、「眠れない」、「胸騒ぎがする」とぐずぐず言うようになりました。見かねて、「もう泊まれば?」と提案したら、「そうね、そうする」で、夜型の見舞いになりました。簡易ベッドを入れてもらって、夜はそばにいる……、これは、わりとよかったんじゃないかと思うのです。

もう体という器は限界なのに、精神だけはギラギラしていて大変な騒ぎですよ。
冬休みを丸々持っていかれ、さらに、「持って10日」は、どんどん更新していきます。
なら、年賀状出せたじゃないかー!!!
というのが、目下のジリジリでございます。目上の方からもいただいたりしていて、生きた心地が致しません。この辺、しきたり義理人情の山羊座ですね。
本当に、欠礼申し訳ございません。そのうち、言い訳ハガキを出します。いらないか?

以上が、このところの「なんだかよくわからないけれど、章月さん、何か心境の変化があったのかしら?」のこちらの日記の裏事情でございました。やっと、書けて、すっきりしました。

やりたい放題の父なのに、最期まで病院にいられるとか、ドライだけど、見捨てない母がいるとか、みんなが楽しみにしている冬休みを丸々潰して一族を巻き込むとか、人の一生としては、非常に恵まれた終わり方ではあるのですが、それでも、こう思います。
これ、重労働ですね。負担が大きすぎるでしょ!
数年に渡る治療生活は別として、うちのケースは、たいしたことがなくて、今、大変なのは看護師さんなんですけれど。
日本全国あちこちで、似たような状況で、いつともわからない“その時”を待っている方はたくさんいらっしゃるんですよね。愛情深く、辛抱強く、忍耐強く。

いろいろありますが、たとえば、的確に患者の違和感をなくすように体を動かせる機械とか、様々な煩悩を満たすバーチャル食事、バーチャル旅行、バーチャル社交とか、なんかそっち方面で、うまくフォローは出来ないのでしょうか?
介護の果ての殺人、介護の延長の暴力、あってはならないけれど、無理もないと思います。だって、際限ないですもの。寝ているだけの人から出てくるのは、叶えられない要求ばかりです。当たり前が出来なくて、普通が恋しくて、身近な人に訴え続けるんですよね。果てしないし、出口がありません。
家庭という小宇宙の中で、介護がまんなかに来たとき、どれほどの犠牲が払われているのか!!!
これは、本当に深刻な問題です。

なんか「お父さん、ありがとう」とか、そっちにはいかないのですよ。
きっとこれは、「洗濯物が取り込むから、帰る」のドライさの産物ですね。間違いない!
いろいろ思いは乱れつつ、考えさせられることもありつつ、誰もが通る道を、今、テクテク歩いております。しかし、ホント、老いていく社会のケア、真剣にやらないとまずいですよね。

あ、私は大丈夫です。テクテク、頑張りまーす!

静かな日

きょうは、非常に静かですね。
さっき、イトーヨーカドーまで行ってきたのですが、お休み中、あんなに殺気立っていた店内がガランとしていました。人はいるのですが、生気や活気がありません。
どこか気抜けしたような、不思議な感じです。

オフィスや学校は、また違う時間が流れているのだと思うのですが、主婦の生活フィールドは、非常にガランとしています。
私もまた、きょうは気持ちがまったく上がらず、自転車に乗る気力もわかなかったので、テクテク歩きました。風は強めで、寒さはかなり。でも、おひさまは照っていて、ふと、子供のころのお正月を思い出しました。

私が子供のころは、商店はお休みでした。
まだ、コンビニもファミレスなくて、元旦に開いているお店は、非常に貴重だったのです。

あのころのお正月は、しーんとしていました。
しーんとしていて、その静けさが特別だった気がします。
1月も6日目にして、なんだか懐かしいことを思い出せました。

きょうは、来週までの用事を全部外しました。気持ちもしーんとして。不思議な感じがします。

 

空を見上げて

きょうは、寒かったですね。

出先で、眺めた空です。
雲は厚いのですが、そこからこぼれる太陽の光が美しかったです。

空

いろいろ、私はカンチガイしておりまして。
きょうは、母に「あら、違うわよ」と教わりました。

知らなかった言葉にも、出会いました。
「ニコヨン」
戦後は、想像よりも過酷です。

未だ、私の時間は分裂しております。
それなのに、明日からまた、社会が動き出すという現実に驚くばかりです。

みなさま、よいスタートが切れますように!

そして、本日、様々な形でメッセージをくださったみなさま、本当にありがとうございました。
いただいた言葉を大事に胸にしまって、また、頑張って参ります。
今後とも、よろしくお願いいたします。

 

 

ふたつの時間

今、私は、ふたつの時間の中で生きております。
ひとつの時間は、普通に流れていますが、もうひとつの時間は、止まっています。

いずれひとつに融合するとは思いますが、もう少し先の話になりそうです。

いつもと違う年末、いつもと違うお正月。
でも、広い世界には、きっと私と似た状況の方も大勢いらっしゃるでしょう。

流れている時間のほうで、誕生日占いを書いております。
融合するときには、一度、こちらも止まってしまうと思うので、出来るだけ前倒しで。
でも、分裂した時間の片方が止まっているから、どうしても流れている方も滞ります。我ながら、非常に歯がゆいのですが、まあ、こんなものなのでしょう。

去年は、ずっと時間に追いかけられていたような感覚があるので、正直調子は狂いますが、うまくバランスを取って、なんとか分裂した時間の中でやってみます。こういうの、経験しないとわからないですね。焦らずに、今に集中して参ります。

町のケーキ屋さん

子供のころ、ケーキ屋さんに憧れませんでしたか?

私は、憧れました。
私が子供のころは、ケーキは非常に特別な食べ物で、クリスマスと誕生日くらいしか食卓に登場しませんでしたが、ショーウィンドーに並んだキラキラした食べ物が別世界のもののように感じられたものでした。

そんなことを思い出したのは、ル・パティシエ・ヨコヤマの大久保店に行ったからなのですが。横山知之さんは、かつてニューオータニにいらしたころ、テレビチャンピオンで三連覇もし、その後、独立されました。大久保店は、2号店になります。谷津にはよく行ったのですが、大久保店は初めて行きました。というか、ル・パティシェエ・ヨコヤマ自体が久しぶりだったのですけれど。
大久保店、ファンシーでびっくりしました。小人つきの噴水とかありまして、もう「ええええ?」でした。

ニューオータニから独立された直後に感じたことを、思い出しました。あのときも、贅の限りを尽くすホテルメイドとの指向の違いを痛感したのですけれど。
価格も、非常に良心的なんです。気取った都内のお店で、このレベルなら、倍以上ふっかけるでしょう。それでも、売れると思うんですよね。
また、シーズンモノのお正月の手土産用の焼き菓子のパッケージがベタなんです。普通のケーキ屋さんでも、もう少し、洗練を選ぶのではないかと思うくらいベタベタです。昭和の最初のころにあった洋菓子店に並びそうなものばかり……。

と、ここまで考えて、やっとわかりました。
目指すところは、町のケーキ屋さんなんですね。
私の思い出の中にあるお店よりも、ずっと大規模だし、行列が絶えませんが。

きっと、小さい子供たちの記憶の中に、おいしいケーキが残るでしょう。

ル・パティシエ・ヨコヤマ

つい、いっぱい買っちゃいました。

ヨコヤマさんの視線の先にあるのは、小さなお子様なのかもしれません。大久保店には、お子様用待合スペースもあって、優しい気持ちになれました。

 

 

 

 

 

“大丈夫”という言葉

大丈夫という言葉が会話に現れるとき、おそらく、状況は大丈夫ではないのでしょう。
けれど、「大丈夫」と答えることで、大丈夫になるのだと感じます。

どう考えても負担が大きい、いつもと違う、ダメージが予測される……けれど、「大丈夫」と口に出すことで、何とか乗り越えるという決意表明になります。

たまに、「大丈夫じゃない」と答える人もいますよね。
素直なSOSで、これはこれで、好感が持てます。

だって、大丈夫という言葉には、「それ以上、立ち入らないで」という意味もあるからです。ひとりで、なんとかするから。

“大丈夫”は、強くて、孤独な言葉だとするなら、実は、“大丈夫?”という呼びかけは、少し遠い言葉なのかもしれません。「大丈夫?」「大丈夫」までがワンセットで、呼びかけた本人が安心したいというか。
ただ、「大丈夫」で会話が打ち切られてしまうときは、気を付けないといけないと感じます。もうギリギリで、体面を取り繕うだけで、精一杯ですから。「大丈夫じゃない」よりも、ずっと大丈夫じゃない状況でしょう。

そんな中、“大丈夫!”という励ましは、悪くないかもしれません。
相手を支える力があるように感じます。
それは、「もし、大丈夫じゃなかったら、助けるから」という秘められたメッセージを感じ取るせいかもしれません。

あなたが大丈夫だと信じているから。
あなたが大丈夫だと知っているから。

きっと、大丈夫!

言葉は虚ろなものですが、空虚がある分、そこに思いを込められます。
思いがこもった言葉は強くて、人を支え、つなぎます。
からっぽな言葉と中身がぎっしり詰まった言葉をちゃんと聞き分けていきたい、選んで伝えたいと思う正月3日でございます。

 

誕生日占いのこと

元旦からスタートさせました「章月綾乃の誕生日占い」ですが、正直、必死です(笑)。
ほぼ、自分への挑戦となっております。

ネットの文章ですが、きちんと文字量を決めて、0時更新を目指しております。
やり始めた以上、最後までやりますよ!!!

もともとは、去年、出していただいた『あやかし緋扇 うらないおまじないBOOK』の中に収録されている「誕生色占い」が、そのまま埋もれてしまうのは、もったいないなーというところからスタートしたのですが。
正直、誕生日色占いは、60文字なので、全然足りません。

また、「占いを書かない占い師のブログに意味があるんだろうか?」という素朴な疑問もありまして。
でも、毎日の占いや毎週の占いは、もうすでにいろいろな先生がやっていらっしゃるでしょう? で、何がいいかなーって、ずっと考えて。
心理テストでもいいのですが、せっかく、Yahoo! JAPANさんで書かせていただいているので、バッティングしてもつまらないですよね。
「あ、366日の占いなら、毎日更新出来るし、仕事として発注されることは、まずないのでは?」と気づきました。
発注がないと思っちゃうあたり、かなり自虐的ですが。

で、書いているうちに、ひとつ、「おお、そうか!」に気づいたりしました。
これは、いつか新しい占いとして、「章月さん、何かない?」って振られたら出そうと思っております。誕生日って、結構大事なキーになると思うんですよね。

というわけで、無謀なことは確かなのですが、書いていていろいろな発見があります。
お時間の許すとき、また、あなたにとって特別な日に、おつきあいいただけると幸いです。

2014年は、毎日更新を目指します。どうぞ、よろしくお願いいたします。