ご厚意

自分のことは、自分でする。

これは、すべての基本ですよね。
一方、人にやっていただかないと出来ないこともあります。

たとえば、お通夜での受付。これは、どなたかの力を借りることになります。
葬儀屋さんは、いとこさんとかが適任と簡単におっしゃいますが、うちのケースでは、うまくハマる人がいません。
旧友に頼もうにも、何分にも遠方です。
父と面識がない人にお願いするのは、ちょっと違う気がいたします。

今の段階では、伯母、父の友人に落ち着いておりますが、ここはひとつ悩ましいところでした。知り合いにバイトでも頼む? 私が立とうか?
そんなとき、「人手がいるようでしたら」というメールをいただき、本当にうれしかったです。

お香典に関しては、葬儀屋さんもやってくれません。こういうことは、自分がその立場にならないとわからないものですね。
また、お花もあります。舅が「お父さんにハクをつけてあげないといけない」と贈ってくださったり、思いがけないところからいただいたりして、これも自分では出来ないことだと思いました。

人にやっていただいて、形になることがあるのですね。
だから、近所づきあいで、だから、人づきあいで。
見事だと思ったのは、過去に私がお身内のお別れにうかがった方からは、訃報の翌日にお心遣いが届いたことです。

冠婚葬祭は、人にちょっと無理をさせます。
でも、その無理が、人づきあいの中で、大事なのでしょうね。

過去に重ねてしまった不義理を悔やみます。思い至らなかった未熟さを恥ずかしく思います。
これからは、少しだけ、いい人間になれそうな気がします。

 

 

 

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