目下、再認識中デス

昨日は、朝イチから打ち合わせへ。

夕方、先週、リスケした友人に会い、久しぶりに近況報告なぞ。ほぼほぼ同い年なので、いまどき若者の共通項を世代病と名付け、「我々も昔はやっていたかもしれないねえ」「やってた、やってた。たぶん、もっとろくでもなかった」と己を振り返り、反省したりしました。

白金台でリタイアした大御所とご一緒し、「わあ、その名前、久しぶりに聞きました! 身が引き締まります」と20年前の天上人の噂話に、駆け出しのころの緊張が蘇りました。今年、前半で一番の幸せ仕事のチェックをして(発売されれば、納得いただけるかと)、一日が終わったわけですが。

久しぶりに写メしない夜で、その充実に驚きました。密度が濃いわけではなく、むしろ緩く、でも、チューニングが済んだ感じです。

そうそう、本棚からジャン・スピラーさんの前世本が出てきまして、昨今の流れで再読してみましたら、これが私の中で大変据わりが悪く、ネットの評判をいまさら探り、同志を発見してほくほくしました。ま、前世なのか、過去世なのか、いろいろあるんでしょうけれど。

いや、昨日友人にも訴えたんですが、過日の前世療法が、意外にショックで、なにがショックかといえば、長らく『私には、スピリチュアルアンテナは搭載されてません』が売り文句だったのに、どうやら搭載されていたらしいって話なんですが。親しい人たちから「魔女来た、魔女、魔女」とからかわれても、「魔女じゃねえし」と取り合わなかったのですが、どうやらそうじゃないかもしれないぞ、異界の人たちを眺める境界にいる傍観者のつもりだったけれど、実は異界属性だったかもしれないという気づきがいまさら来まして、「そっか、そうかもしれんなあ」とやっと自覚したというか、自覚しなきゃダメなのかな?みたいなところにいるわけなのです。

やっぱ、これ、「いまさら、なにを言っているのさ?」ですかね? いや、これ、なかなかショックですってば!

まー、ここ10年、20年の積み重ねで、人の話を聞けば、「それは、こっちじゃない?」と分類できる自分にたまに驚いたり、「あー、あるよね。よく聞く。あるある」で逆に聞き手を驚かせたりしていましたが、それは、経験から学んだことだから、迷わなくなるのも当然じゃん!と思っていたわけですよ。

しかし、春分の日の紅茶占いの講座で、「あれ? 習わなくても、これ、知っていたなあ。でも、習わないと、自分ができると思わなかったなあ」あたりから、やみくもに人に教えを乞うのは、やめよう!になりまして。

ジオマンシーは去年の早い段階で自己流にアレンジをし、でも、オーソドックスな手法もたまに立ち返っていたのですが、あるとき、両方披露したら、「あー、改変した部分が真逆で出るのか!」体験があり、心底体が震えました。もう私の中で、オーソドックスな手法は、終わっているのです。

で、ダメ押しが前世療法体験で、己の感度の良さにびっくりしたという。

んとね、うまく言えないのですが、「かけっこは、好きだよ、風がビュンビュン言うのが面白いよね!」だった子供が、体育の授業で「あれ、自分、クラスどころか、学年でも早いほうだったんだ!」みたいな自覚に似てます。

記録を狙う、世界に挑戦する話になるかは、わかんない。子供が自分の強みに気づいた、みたいなレベルです。7ハウス的な自覚というか。

この六月、プチ転換期な気がします。やっとくだらない呪いを祓えましたよー。呪いかけているほうは、無自覚だからタチが悪いですよー。人間世界、無自覚呪い、あるあるあーる! お互いに気づいたら、祓いあいましょうね!

すっきり健やかに生きたいものです。

楽しい週末を!

 

 

知らなかった世界。

帝劇でかかっているミュージカル「モーツアルト」を見ようと思ったのですが、
チケット争奪戦なんですねー。
知らなかった!!!

当日券もなかなか並ぶみたいですが、タイミングを合わせていけたらいってみようと思います。

あとは、「シークレットガーデン」も気になっているんですよね。
昔、演舞場で来日公演を見たときに、心に残るナンバーがあったのです。
庭師のディコリー(だっけ?)のちょっとしたフレーズなんですが。

舞台鑑賞の習慣が戻ってくると、時間もお金も足らなくなりますね。
ずっと見続けている演劇畑のひとたちは、すごいです。

昨日、こんな本を買いました。

旦那に笑われました。

そして、昨日、こんなものも買いました。

レモンチェロは、初夏のイメージ。味見したら、予想外に濃くて、コテンと寝てしまいました。
ランチタイムに味見するなって話でもありますね。

うちの黒猫さんは、リクエストが多いのですが。きょうは昼寝していたら、濡れた鼻を手に押し付けられ、起こされました。「ああ、ごめんごめん。寝ちゃっていたね」で起きて、「なにか食べる?」で、ちゅーるとかをあげたのです。

で、スマホに急ぎ仕事が入っていたので、ぼーっとしながらパソコンに戻って作業していたら、
「ナーン」とちょっとこっちに来てと呼ばれました。
ごはん、というか、おやつだけど、さっき食べたよねえ? 用事ないはずなんだけどで、「なーに?」て戻ったら、「ジジに出してあげて。食べるって」って態度なんですよ。
ジジは、あんまりおやつを欲しがらないので、言われなければ上げないんだけど。
「ごめんね。ジジも食べたかったの?」とジジにおやつ出したら、嬉しそうに食べます。
黒猫さんは、用事が済んだといわんばかりに、ベランダに出ました。

そこで、ふっと我に返り(基本、寝ぼけてます)、「なんで、私、黒猫さんがジジに出してあげてって言ったとわかったんだろう?」とひとりでびっくりしました。

すでにテレパシーのレベルです。
ジジは鳴いてないから、ジジと黒猫さんの間で、「くぅちゃんいいなあ、私も食べたいなあ」「なら、言えばいいんだよ」「アタシ、言えない」「しゃあないな、呼んでやるよ」みたいな展開があったということですよねー???

そして、「ナーン」だけで、「ジジも欲しいの?」の私もいて。
うーん、なんだかわかんないレベルに到達していますねえ。

よし、息抜き終わり。仕事しまーす。頑張りまーす!

 

邂逅?

ひょんな流れで、昔話が弾みました。

忘れていたことを思い出しました。

昔の夢、好きだったもの、懐かしい時間。

不思議なつながり方に、やはり人生ムダはないなあと改めて感心したりして。

ふむふむな夜でございます。

厄を落とす

厄落としの方法、いくつかありますが、やはり簡単なのは、
髪を切るだときょう、実感しました。

パチパチとハサミが動くたびに、軽くなっていきます。

ちょっと心配になって、「よくヘアカットは厄落としになるといいますが、
切り落とされた厄はどうなるんでしょうねえ?」と美容師さんに振ってみたところ、

私の担当者さん、まったく話が合わないのですが(笑)、
「へえ、そういうのがあるんですか」のずれっぷりから、それでも、
「ああ、たまにいますね。イヤなことがあったから、髪を切ってさっぱりしたっていうお客様」と
理解が進み、「大丈夫ですよ。はらっちゃいますから」って答えが戻りました。

私は、ちょっと感動しました。

何もわかっていないのに、「祓う」という言葉が出てきます。
「掃く」ではないのです。

すごい、これは、すごい。

しかも、「髪は燃えますから」までついてきました。

すごい!!!

厄祓いの概念がなくても、日常業務として何年、何十年もやっていると、
体感として、「はらう」が出てくるのでしょう。
「お客様の体から、髪をはらって」的な用語は使われているのでしょうが。

ヘアメイクのお仕事は、非常にスピリチュアルな世界をシンパシーがあり、
わかる方も多いですよね。が、私の担当さんは、心配になるくらい鈍いのです。
鈍すぎて、「うーん、3ヶ月に2回行くスポットにしては、ちょっと感度が低すぎか?」と
迷うところもあったのですが。

逆に、この鈍さがいいのだろうと思い直しました。

というわけで、ヘアカットいいですよ。結構、スッキリしました。

断絶と共振

ちょっと抱えるものが多過ぎて、パンクしかけています。軽減を図るためには、いらんものは、バシバシ捨てようと思います。

ある流れに関し、こんなことがあったよ、私は、ありえないと思ったよと話したら、改善するように伝えおきますと言われ、即座にお断りしました。言ってもわからないと思います、と。言ってわかるなら、そもそもやりませんから。

根底にある価値観が違うのです。感じ方、伝え方、つきあい方が違うから、起こる問題なのです。伝えてもわからないと思うのです。何を大事にするかが違う。何をよしとし、何を悪しきとするかが違う。それは、仕方がない。

改善は、求めません。私が関わらなければ、済むことです。断絶で、解決します。

それじゃ、変わらないじゃない? でも、それは、価値観の違いだから、変わらなくてもいいのだと感じます。この先、たくさんの人が私と同じポイントに違和感を持ち、そこから離れたら、やっとわかることかもしれません。それでも、わからないかもしれなくて。ね、そんな部類の話は、伝える必要はないでしょう?

逆もあります。

求められている意味がわからない。今、伺っても、わからないと再三お伝えしてますが、繰り返し、繰り返し、同じ言葉で説明されます。概念がわからない、それを学んでいる過程ですからお時間を下さい。数ヶ月前から、ここは堂々巡りです。無限ループ。

使っている言葉が違うのかな?とも感じます。バベルの塔の日本語版。同じフレーズを使いながらも、お互いに思い描く世界は、別。みたいな。

反面、共振もあります。ある方には、ご判断を仰ぎ、ある方とは、ゆっくり話す約束をまとめて。

負荷がかかっていますが、なんとかバランスを取ってしのいでいる状態です。支えてくださるみなさま、ありがとうございます。

言ってもわからないは、あると思うのです。

タイミングが違う、感じ方が違う、使う言葉が違う、あるいは、聞く必要がない。

言ってるほうがわからないのかもしれないし、ね!

これ、私が「言っているほう」ですよ? 何かを伝えよう、よかれと思い、考える機会をくださろうとしている人を悪く思ったりしませんよ。大事にしてますよ! おっしゃる意味がわからないだけ。

人間、関われること、関わる人の数には限りがあると思うんですよ。スーパースターや大企業のトップは、また話が別で、言動やセレクトが多くの人に影響を与えますが、それは、一対一のつきあい、個人的なつながりとは、話が別でしょう?

ある濃度、ある深さは、有限。

私は、基本は来る者拒まずです。が、おくつろぎくださって結構ですが、適当なところでお引き取りくださいね?も、かなりあります。

見切ることも、大事。引き際が肝心。だって、持ちきれないもの。

遠ざけ、悪まず厳しくす。

ここが妙に響いたのは、今の解答だからかもしれませんね。

 

 

2018年6月6日 | カテゴリー : 日々のこと | 投稿者 : 章月綾乃

数年ぶりに。

人が動いている感じがあります。
名刺の溜まり方のスピードがおかしいです。私の暮らしでは、それほど出会いはありません。

さて、昨日は、プチ地獄に仏な感じでした。

プチだから、どってことないんだけど、それに、「これはねえよ」があるから、
「やっぱり、あっちだよねえ」もあり、人生、ムダはないねシリーズなのですが。

易は、天山遯の話になって、これがもうヤケに心に沁みるため、
「先生、天山遯にシンパシーを感じます」と訴えたら、
「64卦全部に、シンパシーを感じて欲しいものです」と返されて、笑ってしまいました。

しかし、なぜに天山遯なのか! もっと景気のいい卦と呼応すればいいのに!

「君主もって小人を遠ざけ、悪(にく)まずして厳しくす」もスラスラ暗記しちゃいました。
ホント、体に染み込んで入ってくるんですよ。面白ーい!

きっと、今、必要な教えなのでしょうね。
君子をもって小人を遠ざけ、悪まずして厳しくす。

お話は変わって、ある人から、「あなたは恵まれていますよ」ってご指摘を受けて、
「え? そうですか? そうなのかな? そうなの?」がありました。

 

自分の中にない視点だったので、「へええ」って思いました。
意訳ですけれど、「普通は、自分が思っていることをストレートに出せないんじゃないかしら?」です。

私が、気楽にいろいろな話題を取り上げるのは、どなたかのきっかけになればいいと願ってのことなのです。あくまでも、きっかけですから、同じ道を歩む必要はなく、逆に、否定に向かってもいいのです。でも、きっかけがあれば、動くでしょ? その程度のモノですよね。

で、ストレートに出せるのは、そういう環境があるからなのでしょうねえ。
逆に、環境に作られた気もしないではないのですが。

恵まれているというよりも、「え、なんで、ソコが不自由なの?」です。
よく言われるのは、「章月さんなら、何を話しても大丈夫な気がして」です。
きっと、コレ、つながっている話なんでしょうねえ。ふーん、むーん。

私、多分、ガリレオの時代に、ガリレオの話を聞いていたら(どう考えてもガリレオではない)
処刑されたとしても「師は正しい!」と言う気がするし、
収容所につながれても、「やってられないねえ」って
グチるスピリットが消えない気がします。なんだろう、このよくわからない自信と確信。
口が減らないというか。反骨精神健在だぜ、ベイビーというか!

いろいろおもしろいですね!

 

 

 

 

 

「人生、ムダはないぜ」もしくは、「首を洗っておけ」の巻

昨日は、神保町からお茶の水へ。わりと狭い範囲におりました。

湯島聖堂で、参拝のマナーをうかがったところ、「廟なので、神社でもお寺でもない」と教えていただきました。

あとから、「ということは、媽祖廟と作法が同じかなー?」と思いました。今度また、うかがってみます。

昨日は、面白い話をうかがって、「わああ、そりゃあ、大変だあ」でした。
要は、道具がなくても、結果がわかっちゃう人の話です。
道具がなくてもわかっちゃう人にとっての占いの意味、ちょっと考えてしまいました。

不思議だったのは、「こういう話を出来る人が他にいなくて」とおっしゃること。」
えええ? 私のまわり、「『こういう話』しかしない人」しかいないですよー!!!

「私、浮いているんですよ」

えええええ、そうか。じゃあ、私もか! チーム・プカプカ。

昨日、所用ついでに、キリヤ先生の本を引き取ってきました。
ついでに、「あ、書籍になったんだ!」で、『実録 わたしの魔女修行』も買いました。
webで読んでいたので、内容は知っているのですが、応援したくて。

で、この本がいい仕事をしましたよ!!!

中に「魔女狩りの拷問の夢」の話が出てきましてね、それをパラ読みして、
ハッ!となりました。

そっか!!!! コレかああ!!!

金曜日の「はじめての前世体験」、正直、ぬるかったんですよね。
瀕死で痛いことは痛いけれど、心にひっかかりはないというか。
「なんで今、コレを見るんだろう?」みたいな。

でも、理解しました。
「そのうち、壮絶なの行くから、首洗って待ってろ」ですねー、要は。
前世療法でカギになったのは、「痛かったり、つらかったりしたら、体から離れていいからね」っていう教えで、スウェーデンは、おそらくどうでもいいのでしょう。

どうでもいい、は言い過ぎだけど。

魂が屈折してないもの。だから、「オレ、朝の散歩好きなんだよねえ」とか、
「パンにはスープでしょ」みたいなノリなんですよ。

大事なのは、「つらいときは、体から意識を離せ」の教え。
わーん、魔女も、遊女も、間に合っていますよー。わかっているよー、のーさんきゅー!
魔女も遊女も、子供の頃から引きが強すぎて、「なにかあるよね」なんですよね。
逆に、「わかっていると、出てこないなあ」だったのですが、
「あなたは、何もわかっていない!」を言いたい人がどこかにいるに違いありません。

「真実はひとつ、これだああ!」が、そのうちに行くから、覚悟しておけ。準備はいいな?的な?
「痛い時、つらい時は、体から~」を学ばせてから始まる物語、どんなんですかね? 恐ろし過ぎませんか?

まったく、人生にムダはありません。
そして、首を洗って待っているしかありません。

チーン! ということをつらつら書く朝6時、7時になったので、ごはん食べて仕事しまーす!
みなさまも、よい一日を!

 

 

前世を知る必要があるかどうか

昨日から、ぼんやり考えております。

んー、これ、どうなんでしょうねえ?

たくさんの臨床データをお持ちの根本先生にもうかがってみたい気がしますが、
今の段階で、私はこう考えます。

必要があれば、わかるんじゃないかなー?

たとえば、昨日、プーシキン美術館展で、ムーア人の出てくる絵を見ました。
もう懐かしくて!

肖像画を見るのも好きなのですが、たまに「お久しぶりです」もあります。
他人の空似かもですが、まあ、そういう濡れた毛布を掛ける行為は、
したければすればいい、見え方は人それぞれだから。

でも、過去の前世見体験で、ムーア人は一度も出てきません。
フラメンコにも、ジプシーモチーフにも惹かれますが、
まったくこれも出てきません。

文化融合で、グラダナは相当アヤシイと思っているんですけれどね。
まあ、おいておいて。

とにもかくにも、私たちが生きているのは、現世ですから。
今、ココ。
この一生で何をするか、何を見るか、どう生きるか。

銭湯行ったり、蕎麦たぐったり、酒呑んだり、
アート見たり、舞台観たり、占い書いたり、優雅で平和ですよねえ。

ある舞台で「戦争が終わったら、本に囲まれた暮らしがしたい」みたいな
セリフがあって、作品自体は、いろいろ破綻していて、
えっと、うーんとみたいな世界でしたが、でも、この視点を持てるのは、
すごいと感心したのです。

本に囲まれた暮らし。
楽器を弾く暮らしでもいいんだけど。

生きる術の次にくるのは、文化やマナー。
やっぱり、志高く生きたいですよ。

みんなが心地よく、様々な価値観でのびのびと。
だってさー、日本に生まれたんですよ、こんなにいろいろなエッセンスが巡って、溜まってくる国もないと思いますよ。宗教的なバイアス、ほとんどかからないし。
貧富の差とか、職業選択の自由度などは、エゲつないことになっているけれど、
そこ、たぶん、本質的な問題じゃないですよ。

それぞれが担当すべき部分をしっかり守っていけば、
ちゃんと回ると思うんですよね。

その背景、ルートに至る道に、前世もある気がしますが、
先祖が名家だから、今世でも、家を守るの仲間じゃないかなー?
条件のひとつだけど、絶対じゃない。家を捨てたっていいわけだし。

なんてことをつらつら考えております。つらつら。

おっといかん、仕事しようっと。で、繰り返すけれど、
薄めた抹茶なんて、まずいだけだよ。薄めたり、軽くしたりしたら、飲みやすい、
受け入れてもらえるって思うのは、愚か者の考えです。

本物は、凌駕しますよね。
本物に会えば、私たちはわかる、ああ、これが、本物だ、才能だと。

目指すは、そっち。
ま、お抹茶薄める人がいるから、本物の良さがわかるって側面もあるからさ。
その辺はいいんですよね。

違和感を持ったら、たぶん、それは、どっかにウソやまやかしがあります。
否定する必要はないの。ウソやまやかしを教えてくれる役目があるから、
むしろ感謝しないと。
ただ、必要以上に心を開いたり、合わせたりしたら、ダメ。

世界は広い、いろいろな人がいて、いろいろな磁場があります。
ひとつの価値観に縛られるなんて、ちょっとモッタイナイ。と、齢50にして思うわけです。ハイ。

 

 

 

プーシキン美術館展

プーシキン美術館展

東京美術館プーシキン美術館展へ。

ずっと行きたくて、やっと行かれました。

期待通り、二階(実質一階)が良かったです。

ルイジ・ロワール《パリ環状鉄道の煙》、迫力満点!

蒸気機関車の煙でいっぱいのパリ、妙にリアルでした。

月曜の根回しに、かる粋にもチラリと。

久しぶりに、マギー先生のお名前をうかがいました。

本日は、おふろの王様、前世療法、ランチ、お茶、鍼、プーシキン美術館展、かる粋、頑張りました。明日、死ぬな、たぶん。

至福は、お風呂でした。鍼も良かったし、ちょっと挟んだ肉の大山も幸せでした。前世は、痛かったです(笑)。普通は、痛くありません、念のため!

で、日本文化は、ちゃんと伝えてほしい。かるちゃーやポップは、私は用事がないですね。私は雑な人間ですが、私のまわりは、ガチな人だらけです。私は、ガチな人、崩さない人を尊敬します。

占いもですが、いろんな層がありますね。

自分がどこに属するのか、なにをやり、なにをやらないのか、立ち位置をハッキリ、キッカリ線引きしたいと思いました。私は、正統でいたいです。緩めたら、ダメになるから。危うい、この国は。

はじめての前世療法

本日の私。

しまムーら

しまムーらで、決めてます。やはり、のびのびオカルトには、しまムーらではないかと!

前世療法の根本先生からも、羨望の眼差しを浴びたしまムーら、1500円でございます。きょうの日のために買いました(笑)。

さて、前世療法の体験談です。

根本先生の誘導で、序盤の練習でイメージした花畑は私は、レンゲと菜の花でした。白いモヤの中に、青、黄色、緑の美しい世界! 菜の花は、おそらく、直前に読んだ萩尾望都先生の作品イメージを引きずったのだと思います。

誘導で渡った小川には、ミレイのオフェーリアが浮いていました。美しく、清らか、カラフル。

さて、こちらから、私が見たヴィジョンです。

青い三角屋根の石造りの塔、場所はスウェーデン。時は、789年、かな? 季節は3月、晴れた朝、あるいは、夕方?時や場所は、浮かんだだけ。統合性は取れてない気がします。

私は、若い兵士。23歳。身体の右側に傷を受け、死にかけています。本来、塔の下を守る身分でしたが、敵に追い詰められ、高い場所まで上がってきました。階段にもたれ、右手に剣、左に盾が体に被さっています。 盾の下に小さな巾着があり、母からもらった金貨が入っています。

体の右側が痛みます。腰、腹、肩、バッサリやられたのでしょうか? 敵は、豊かです。切り捨てるだけで、身ぐるみ剥いだりしなかったのですから。薄青色の兜、くさびかたびら、歩兵の身分だから粗末です。

姫を守れなかった、逃すだけで、精一杯だった。

やがて、姫は身代わり、替え玉と気づきます。実の妹が影武者に。父は死に、母も城に勤めていた経緯があり、娘を差し出したのでしょう。

妹は、無事か? 無事な気がする。姫は、ご無事。塔は全滅、もぬけの殻。

私は金髪、碧眼、なかなかイケメンで、少し姫を好きだったようです。いや、妹への身内愛かもしれません。もうすこし頑張りたかったけれど、まあ、よくやった。仕方ない。

役目は、果たせた。自分も、そばで死んでいる仲間も、妹も、妹を守る祖父も。

役目を果たせば、やがて、時代は変わる、いまは、祭の後のように蹂躙されたこの街も、森も、また、美しさ、平和を取り戻すはずだ。

空が青い。鳥が飛んでいる。鷹か?

ヴィジョンは、以上。

たぶん、「役目を果たせ」が、今回の前世療法のテーマだったみたいですね。

で、スウェーデン、塔で検索かけると、気持ち悪いくらい、青い屋根ですよ。ひゃー! リガの火薬塔がイメージに近く、ただ、もう少し、縦長なフォルムでした。妹は、たぶん、現世の年子の弟ですね。過去世では、可憐な姫の身代わりにもなる少女でしたが、現世じゃ、おっさんですよ(笑)。

まー、とにかく、身体が痛くて、痛くて!

あとから、意識を離せばよかったと聞きましたが、先に知らなきゃ、瀕死体験ですよ。死ぬんだなあで、涙も浮かびました(笑)。

ただ、前世の私=瀕死の兵士にインタビューしまして、「朝の散歩は、好きだ」、「パンとスープが好きだ」は聞き出しました。朝、散歩して、パンとスープで、ご飯にします。また、いつか。ご供養に。

私は、見慣れているみたいです。意図的に見えるわけじゃないんだけど。過去世のヴィジョンを見るより、なぜ、見たのか、理由を受け取ることが大事なんですって。

見え方、感じ方は、人それぞれらしいですよ! 見えなくてもいいそうです。

過去に、金のゆりかごで、ひとつ。雲龍さんの笛の音で、7つ。氷室先生の前世画で、5つかな? で、きょうも、ひとつ。

たしかに、見慣れてますね。が、瀕死体験は、もういいです。身体の違和感、ずっと残り、鍼でやっと抜けました。鍼の予定、いれてよかったです。

ご興味を持った方は、ぜひ、お試しください。なかなか楽しかったです。