日々のこと

章月綾乃の日々のこと。

ブログ一覧

時間泥棒

きっと、時間泥棒がいるに違いありません。

はっと気づいたら、もうこんな時間です(昼12時38分)。

きょうは、寒中お見舞いの宛名を印刷し、たまっていたメールを何通か返して。
カレーうどんを作って食べて……。

それしかやっていませんよぉぉぉ!!!

どういうことでしょう???

これから、大急ぎで一言コメントをつけて、投函します。
まさに、年末のやることって感じですね。
あ、でも、正しいのかな? 明日は旧暦の元旦。タイミングは、バッチリかも?

昨日、笙の先生がこうおっしゃいました。
「やるなら、本気でやったほうが楽しいですよ」
そうなんですよねー。
絶対、そうなんですよ。でも、今、全然回りません。
こういうときって、継続が正解? 中断が正解?
個人的には、だらだらでも継続ではないかと思うのですが。
教える側にしたら、歯がゆいし、ご負担かもしれませんねー。うーむ。
もうね、まじめに水戸黄門のEDソングライフですよ。
「後から来たのに追い越され」、でも、別に泣かないから、気楽にしているのですが。

口の悪い友人は、こんな風に言います。
「いいんだよ。あなたが裾野なんだから!」
わはは。確かに!

頂点には行かない、行けまい。
でも、裾野でぼんやりのべーっとしているのは、悪くないですねー。
いかんせん、笙の日は、荷物が異常に重くなるんですよ。これがねー、地味につらいです。音楽やる人って、みなさん、すごいですよね。体くらいある楽器、ざらにありますしね。
昨日は、稽古前に取材を受けたので、資料もプラスされ、腕が抜けるかと思うくらい重かったです。
笙の日は、他に予定を入れてはいけません。しみじみ、そう思いました。ハイ。

チョコinチョコの巻

先日、「割れちゃったんだけど」とキレイな細工のチョコレートをいただきました。

赤い丸のチョコレートとプレートが入っていました。
マンダリンオリエンタルホテルのものです。

赤い丸くんは、軽くゆすると、シャラシャラ音がします。なんだろー???

そう思いながらも、もったいなくて、開けられませんでした。
でも、月曜日に「失恋ショコレティエ」を見ていたら、「食べちゃお!」って気になり、思いっきり割ってみました。中から出てきたのは、こちら。

マンダリン

かわいー!!!
シャラシャラは、ショコラの粒でした。これは、中にパフのようなものが入っております。かなりダークな味わい。丸いショコラは、かなりオーソドックスな味わいです。
で、特筆すべきは、赤い丸!

これ、おいしー!!! ミルク味です。
この前のサロン・ドュ・ショコラで、レのシリーズ、買うべきだったかも!と軽く後悔したりして。
余談ですが、ドラマ『失恋ショコラティエ』、マジメに見ちゃう最大の理由は、私的には、石原さとみさんのようです。
あんなにあざとい女の子、女はキライですよ。
ホント、男は見る目がないとか、ブーブー言う感じ。
でも、とにかく、かわいい!!!
あのかわいさを堪能するために、チャンネルを合わせている気がします。で、「かわいい!」と素直に思えちゃうあたり、自分が年を取ったなーって思うのです。もはや戦う意志はなく、達観しているわけですから。芸術品を愛でる気分で、楽しんでおります。
ドラマの中のショコラは、ちょっと見かけに懲りすぎって気がします。
それほど、そそられないなー。でも、マンダリンのチョコ、割ったりしますけれど。

ルックス勝負なら、他を寄せ付けないほど、アバンギャルドに!
サロン・ド・ショコラ1年目のロジェのドーム、ホント、びっくりしましたもの。
今はドーム、ありふれたルックスになっちゃいましたけれど。でも、食べると個性の差が分かるショコラのひとつですよね。

さもなくば、飾り気なく、そっけなく、「食べればわかる」系に誘惑されます。
あれ? なんだか、ショコラの話じゃないみたい???

2月も間近、当面はチョコレートなブログになりそうです。あしからず、ご了承くださいませ。

ジャンドゥーヤ

週末、書店で講談社のコスメ雑誌『VoCE』を探しました。
でも、なぜか、ないんですよ。えー、なんで??? 23日発売なのに?

お目当ては、樋上公実子さんと水城せとなさんの『柘榴姫社交倶楽部』です。
女性誌コーナーをぐるぐる回って、ない理由がわかりました。
最後の一冊で、それを他の方が立ち読みなさっていたのです! なるほど!

相当、くたびれてしまっているので、買うのは諦めて、チラ見でチェックしてきました。
第一回のテーマは、ジャンドゥーヤ。

ジャンドゥーヤって、なんだっけ?
イタリア・トリノのカファレル社が作ったものが、モトになっているんですって。へー。
検索かけてみました。あー、あのテントウムシの!!!(どんな認識でしょう?)
東京駅のグランスタにあるのですね。まあ、機会があれば、試してみましょうか。
ミラノのCOVA社のものも、有名だそうです。これは、有楽町電気ビルの1階にあるのですねー。

樋上さんの絵が、素敵なんですよー。
次号も楽しみです。というか、今月号、どっかで手に入れないと!
探すぞー!

 

 

反則2

もうひとつ、重大なことを思い出しました。なので、続きます。

そんなわけで(ひとつ前の日記、反則1をご参照ください)、自分の感覚としては、「中学以降、新しいパーソナリティを獲得した」のですが。
恐ろしいことに、先日の葬儀の際、30年ぶりに会った従兄弟に言われました。

「昔と変わらないね」

え?
ええ?
えええ???

あ、もしかして、今が「じぇ」の使いどころ? まあ、いいや、見てなかったし!

これは、どういうことなのでしょう?
昔と変わらない???
え???
あの、あの、あの。ちびっこ時代のセルフイメージは、部屋の隅でいじけて泣いているカワイソウなワタシなんですが…あ、いや、隅にはいなかったですね。部屋の真ん中でドラマチックに家族の気を引こうと大泣きするタイプ……、ちぇ、イヤなことを思い出してきましたよ。
でも、昔と変わらない???

えー???

ちびっこだったころから、私はこんなに大雑把で、適当で、雑な性格だったのでしょうか?

また、血がつながっているとは思えないくらいキレイな従姉妹もいるのですが、この子も、こんなことを言うのです。
「昔から、普通の社会人にはならないだろうなって思っていた」

なんだとー???

人を見る目があるじゃないか、美人従姉妹よ!
どうして、わかった???
どこで見抜いた? いつ、そう思った?

これもまた、反則です。こちとら、記憶がすっぽり抜けておりますので、いとこたちがいう「昔の自分」が思い出せません。言われ放題、やられっぱなしです。なすすべなしです!

もっと言えば、人生のルールがわからないまま、カンでやっております。たぶん、ちびっこのころに、人生のルールを聞くのでしょうけれど、なにせ、すっかり忘れておりますので。

むー!!!

ま、いっか。
考えても仕方ありません。
アゲモチ連想、いったん終了でございます。

 

反則

昨日、手作りの揚げ餅をいただきました。
これ、胸がいっぱいになってしまい……。

昔のオトコで、家の中ではえばり散らしていて、何もしない父でしたが
そういえば、揚げ餅はよく作っていました。

他界して、思い出をたぐろうにも、いい記憶がほとんどありません。
思い出せるのは、小学二年のときに書いた作文のことだけ。
公園のボートに乗せてもらって。
子供ですから、稚拙につづりました。
「池の水が、キラキラきれいでした」的に。
帰り道はまた、父が短気を起こして叱られて、とぼとぼ泣きながら帰ったのです。
作文に、悲しいことは省いて書いたことも覚えています。

次の記憶は、蛍狩り。父が連れて行ってくれました。

そして、母を怒らせて、家を追い出されたときに迎えに来てくれたこと。

以上!!!

以上ですよ? これ以外、記憶がないのです。

そもそも、私には、子供時代の思い出がありません。全部飛んでいます。
つらくて、悲しくて、やるせなくて。
別に、頭を打ったとか、大病をしたとかではないので、忘れたいから忘れたのでしょう。そうそう、一緒に暮らしていましたよ。成人するまで。一緒に暮らしていて、いい記憶が、3つしかないって、本当になんなのでしょうね?

ハッキリと記憶がつながるのは、中学に入ってからのこと。
12歳ですよ? おかしくないですか? これ?

あとは、本当に断片的な記憶しかなくて。
いいこともあったのでしょうけれど、悪いことが多すぎて、全部まとめて忘れてしまいました。
だから、父の死に際し、時間が止まった感覚が、自分でも非常に不思議でした。
悲しくないのに、ショックを受けていること。
思い出そうとしても、記憶が消えていること。

手作りのアゲモチは、少しだけ、記憶のフタをあげてくれました。
こういう反則、この先も不意打ちで来そうです。
きっと、「いいこともあったよ」って、誰かが教えてくれているのでしょうね。
全然思い出せませんが。

子供向けの占いを書くことが好きです。
いっぱい、夢を見て欲しいから。
幸せで、満たしてあげたいから。

子供の言葉を聞くのが好きです。
自分は聞いてもらえなかったから。
さびしかったり、怖かったりするの、わかってもらえなかったから。

きっと、子供がいないから出来るのです。
子供を持ったら、負の連鎖になると考えて、「子供は、いらない」って言い続けて。
ずっと後になってから、自分は子供好きだと気付きました。

子供から見たら、お父さんはお父さんで、お母さんはお母さんです。
でも、お父さんは、お父さんをずっとやってきたわけではないし、お母さんもお母さんとして生きてきたわけでありません。
そこに、ズレが生じます。

生きること、親子の縁、めぐりあわせの不思議について、きっと今年は考える一年なのでしょうね。