反則

昨日、手作りの揚げ餅をいただきました。
これ、胸がいっぱいになってしまい……。

昔のオトコで、家の中ではえばり散らしていて、何もしない父でしたが
そういえば、揚げ餅はよく作っていました。

他界して、思い出をたぐろうにも、いい記憶がほとんどありません。
思い出せるのは、小学二年のときに書いた作文のことだけ。
公園のボートに乗せてもらって。
子供ですから、稚拙につづりました。
「池の水が、キラキラきれいでした」的に。
帰り道はまた、父が短気を起こして叱られて、とぼとぼ泣きながら帰ったのです。
作文に、悲しいことは省いて書いたことも覚えています。

次の記憶は、蛍狩り。父が連れて行ってくれました。

そして、母を怒らせて、家を追い出されたときに迎えに来てくれたこと。

以上!!!

以上ですよ? これ以外、記憶がないのです。

そもそも、私には、子供時代の思い出がありません。全部飛んでいます。
つらくて、悲しくて、やるせなくて。
別に、頭を打ったとか、大病をしたとかではないので、忘れたいから忘れたのでしょう。そうそう、一緒に暮らしていましたよ。成人するまで。一緒に暮らしていて、いい記憶が、3つしかないって、本当になんなのでしょうね?

ハッキリと記憶がつながるのは、中学に入ってからのこと。
12歳ですよ? おかしくないですか? これ?

あとは、本当に断片的な記憶しかなくて。
いいこともあったのでしょうけれど、悪いことが多すぎて、全部まとめて忘れてしまいました。
だから、父の死に際し、時間が止まった感覚が、自分でも非常に不思議でした。
悲しくないのに、ショックを受けていること。
思い出そうとしても、記憶が消えていること。

手作りのアゲモチは、少しだけ、記憶のフタをあげてくれました。
こういう反則、この先も不意打ちで来そうです。
きっと、「いいこともあったよ」って、誰かが教えてくれているのでしょうね。
全然思い出せませんが。

子供向けの占いを書くことが好きです。
いっぱい、夢を見て欲しいから。
幸せで、満たしてあげたいから。

子供の言葉を聞くのが好きです。
自分は聞いてもらえなかったから。
さびしかったり、怖かったりするの、わかってもらえなかったから。

きっと、子供がいないから出来るのです。
子供を持ったら、負の連鎖になると考えて、「子供は、いらない」って言い続けて。
ずっと後になってから、自分は子供好きだと気付きました。

子供から見たら、お父さんはお父さんで、お母さんはお母さんです。
でも、お父さんは、お父さんをずっとやってきたわけではないし、お母さんもお母さんとして生きてきたわけでありません。
そこに、ズレが生じます。

生きること、親子の縁、めぐりあわせの不思議について、きっと今年は考える一年なのでしょうね。

 

 

 

 

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