気遣いの難しさ

葬儀って、いつもあるわけではないので、非常に難しいですよね。
まず、ルールがわからないし、気を遣い過ぎて、一周回っちゃったりしますよね。

今回は、鬼籍にはいったのが父ということもあり、基本的には、故人、ないしは、喪主である母と面識があるかないかを判断基準にしておりました。

本来でしたら、こっそり進めて、年末の欠礼葉書でのご報告がスマートだと思うのですが、年末年始のタイミングで、うっかり「年賀状を出さない」を選んだため、話がややこしくて仕方がありません。

年末に「ちょっと状況が悪くて」とお知らせした方には、「危篤終了のお知らせ」のつもりで、御報告は入れました。ホントは、全部片付くまで、内緒にするのが気が楽なのですが、それでは、ずっとご心配をおかけしちゃいますからねー。それに、途中まで進行形で話が入っていたのに、最終報告が「全行程終わっております」では、あまりにも水くさいというか。なんというか。

何人かの方には、細かくお問い合わせもいただき……。
「お気遣いなく」とお答えしつつも、同時に、「もしも、逆の立場だったら?」と考え直したりしました。
だって、私も、親しい方のお身内に何かあったら、出来るだけのことはしたいと思いますから。そんなとき、頑なに固辞されたら、悲しいです。

ここはもうダブルスタンダードで、「何もしない」、「何かする」、両方アリなんですよね。何もしない優しさ、何かする優しさ、両方アリですよね。
いろいろ考えさせられる体験なのでした。

 

 

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