アラノン。

アルコール依存症について調べていくと、繰り返し、アラノンにぶつかります。
助けが欲しい人のためのリストに必ず、入っているのです。

いざとなったら、母が通える場所へ。
そんな計算が働くので、実家に近い千葉のきぼーるへ行ってきました。
二週間前に、開催日が変わっていることに気づかずに空振りしたのですが、
きょうは、ちゃんと大丈夫でした。

で、きょうは、ひとつの理解を得ました。
私は、ここまででいいのだと思いました。
あとは、母に委ね、弟の自発性を信じようと思います。

アラノンは、アルコール依存症患者のための自助グループで、参加される方は、言いっぱなし、聞きっぱなしが原則だそうです。そうやって、正直になること、秘密が守られることで、安心とやすらぎが得られる場所となるのです。

病院開催の家族会、アルコール依存症患者さんのための集う断酒会、そして、アルコール依存症患者の家族の自助グループであるアラノンと続けてお邪魔して、うまく言えないのですが、人の思い、愛を感じました。

病院開催の家族会は、非常に現実的です。一番サバッとしていたかも。
そして、断酒会には、真摯さを。アラノンには、静かな平和を感じました。

これね、合う、合わないがありますね。
もしも、こちらを読んでくださっているあなたが何か解決の糸口を探していらっしゃるなら、ご自身で足を運んで体験するしかないと思います。
やっぱり、人が作る場なわけですから、私の印象通りにはならないかもしれません。

いやー、ないんじゃないかなー?
ああいう、正直さ、率直さ。普通の暮らしには、まずないと感じます。
正直、率直と言いながらも、言葉を濁したり、表面的な言葉でつづられたりする方もいらっしゃいますが、それでも、まっすぐさは伝わってきます。
アルコール依存症という強力な問題がなければ、知らない人に自分のことを話すなんて経験
まずないと思うんですよね。特に、ここは日本ですから。

このシステムが、よく根付いたなあという印象がひとつ。
そして、同時に、依存症に向き合っていくには、このミーティングという作業が不可欠なのだと理解しました。
1人ではないこと。
みんな、似たり寄ったりなこと。
問題の奥に原因があって、その原因を掘り下げていく必要があること。
その辺を実感としてつかんでいくのです。
すると、これまで考えても見なかった部分、仕方がないと諦めた部分が浮上してくるのです。

家庭の中では、アルコール依存症患者が悪役を押し付けられますが、どうやら実際は、そばかりではないことがわかってくるわけです。
で、その辺がほぐれてくると、ひとつ緊張が外れて、次のステージへ行けるのでしょう。

きっと、私は母と弟を自助会へつなぐ役目なのでしょう。
少しだけ、道案内くらいは出来るようになったので、それでよしとしましょう。

しかし、簡単には答えがもらえない世界ですよー。
「勉強してね」「聞いているうちにわかってくるから」
他の病気で、こんなに突き放されるかなー???
もうちょっと、ケアや説明をしてもらえる気もしますけれど。

きっとね、安易に答えを得ると、安易にスリップして、また飲むことになるのでしょう。
患者にじっくり考えさせる。患者の家族にも、じっくり考えさせる。
そこが治療に、そして、再生に不可欠な要素だから、こんなにいろいろやらないといけないだろうと思います。

実際、私も、「入院は始まり」と意識が変わりましたし。
二週間前の何がなんだかわからない状態から見れば、相当前進したような気がします。

アルコール依存症は、本当に人を巻き込む病気です。
ご本人に自覚がない段階も大変ですが、自覚を持った後も、また違う大変さが待っています。
それでも、そこに平和と安らぎと幸せがありますように。祈らずにはいられません。

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