『薬物・アルコール依存症からの回復支援ワークブック』という本。

八重洲ブックセンターで見つけました。

『薬物・アルコール依存症からの回復支援ワークブック』、
過日のCRAFTと同じ出版社さん、金剛出版の本です。

これは、弟のための一冊なのですけれど、まだ渡せません。
渡したところで、どっかに放り出してしまうでしょう。

きちんと自分で自分の意識が「再生」に向いた後、「回復したい」と心から望んだときに、
手引きとなる一冊になると思うのです。

 

薬物・アルコール依存症からの回復支援ワークブック

 

いつか、「これ、読めば?」って渡せる日が来るでしょうか?
来るといいのですけれど。

母は相変わらず、共依存のダンスを踊っています。
「もうクルクル回らなくなったわよ。なら、いいんでしょ?」
「いや、ダメでしょ? まだ、お母さん、踊っているから」
「えー、ずいぶん、変わったのよ?」
「『出ていって欲しい』って言うなら、追い出さなきゃいけない。
脅しや泣き落としは効かないし、さらに酒に向かわせちゃうよ?
グチや暗い表情も、イネブラリングになるって習ったよね?
アルコール問題については、口を挟まない。
家族会で教わったことを思い出して、放っておけばいいの。
本人が『助けて』って言うまで、突き放すの」

一緒に暮らしていると難しいですよね。
難しいけれど、この先も長いのです。
本気で母に学んでもらわなければ、つらさが増すばかりです。

うちの弟の場合は、まず、通院なり、入院なりで医師の助けを借りて、
体からアルコールを抜くことから始めないといけないわけですが、
それがゴールにはならないと言います。むしろ、体が楽になるから、
また飲んじゃったりするんですって。

依存症の人は、「なんとか飲めるようにならないかなあ?」って
思うみたいですよ。
今度はうまくやりたいなって。
でも、「飲まずに人間として生きるか、飲んで死ぬか」、もう
本当に2つに1つみたいです。

切ないですよね。
でも、お酒に人生を乗っ取られているならば、
取り返さないと。

母に必要なのは、同じ悩みを持つ人たちの助けです。
まず、依存症に巻き込まれてしまっている人たちが幸せに、
健やかにならないと正しい道が開けません。

繰り返し、「お母さん、こっち。そっちはダメ」って言っても、
長年の習性とか、世間の慣習とか、単純な愛情で、余計な手出しを
してしまいます。
優しくしたり、世話を焼いたりしても、今の状況を長引かせるだけ、
がけっぷちに立っている人の背中を押すようなものですから。
でも、すぐには変わりません。一瞬わかっても、すぐ忘れてしまいます。
冷たく突き放すのが愛情って、難しいですよね。

弟は、酒を飲んでいる限り、困ってないわけで。
でも、決して、おいしいわけでも、楽しいわけでもないでしょうに。
自分で作っている地獄です。そこから出るのは、自分の力しかないのです。

早く、「これ、読んでみれば?」って手渡せる日が来ますように。
入院して、退院して、何か月先になるでしょうね?

 

アラノン。

アルコール依存症について調べていくと、繰り返し、アラノンにぶつかります。
助けが欲しい人のためのリストに必ず、入っているのです。

いざとなったら、母が通える場所へ。
そんな計算が働くので、実家に近い千葉のきぼーるへ行ってきました。
二週間前に、開催日が変わっていることに気づかずに空振りしたのですが、
きょうは、ちゃんと大丈夫でした。

で、きょうは、ひとつの理解を得ました。
私は、ここまででいいのだと思いました。
あとは、母に委ね、弟の自発性を信じようと思います。

アラノンは、アルコール依存症患者のための自助グループで、参加される方は、言いっぱなし、聞きっぱなしが原則だそうです。そうやって、正直になること、秘密が守られることで、安心とやすらぎが得られる場所となるのです。

病院開催の家族会、アルコール依存症患者さんのための集う断酒会、そして、アルコール依存症患者の家族の自助グループであるアラノンと続けてお邪魔して、うまく言えないのですが、人の思い、愛を感じました。

病院開催の家族会は、非常に現実的です。一番サバッとしていたかも。
そして、断酒会には、真摯さを。アラノンには、静かな平和を感じました。

これね、合う、合わないがありますね。
もしも、こちらを読んでくださっているあなたが何か解決の糸口を探していらっしゃるなら、ご自身で足を運んで体験するしかないと思います。
やっぱり、人が作る場なわけですから、私の印象通りにはならないかもしれません。

いやー、ないんじゃないかなー?
ああいう、正直さ、率直さ。普通の暮らしには、まずないと感じます。
正直、率直と言いながらも、言葉を濁したり、表面的な言葉でつづられたりする方もいらっしゃいますが、それでも、まっすぐさは伝わってきます。
アルコール依存症という強力な問題がなければ、知らない人に自分のことを話すなんて経験
まずないと思うんですよね。特に、ここは日本ですから。

このシステムが、よく根付いたなあという印象がひとつ。
そして、同時に、依存症に向き合っていくには、このミーティングという作業が不可欠なのだと理解しました。
1人ではないこと。
みんな、似たり寄ったりなこと。
問題の奥に原因があって、その原因を掘り下げていく必要があること。
その辺を実感としてつかんでいくのです。
すると、これまで考えても見なかった部分、仕方がないと諦めた部分が浮上してくるのです。

家庭の中では、アルコール依存症患者が悪役を押し付けられますが、どうやら実際は、そばかりではないことがわかってくるわけです。
で、その辺がほぐれてくると、ひとつ緊張が外れて、次のステージへ行けるのでしょう。

きっと、私は母と弟を自助会へつなぐ役目なのでしょう。
少しだけ、道案内くらいは出来るようになったので、それでよしとしましょう。

しかし、簡単には答えがもらえない世界ですよー。
「勉強してね」「聞いているうちにわかってくるから」
他の病気で、こんなに突き放されるかなー???
もうちょっと、ケアや説明をしてもらえる気もしますけれど。

きっとね、安易に答えを得ると、安易にスリップして、また飲むことになるのでしょう。
患者にじっくり考えさせる。患者の家族にも、じっくり考えさせる。
そこが治療に、そして、再生に不可欠な要素だから、こんなにいろいろやらないといけないだろうと思います。

実際、私も、「入院は始まり」と意識が変わりましたし。
二週間前の何がなんだかわからない状態から見れば、相当前進したような気がします。

アルコール依存症は、本当に人を巻き込む病気です。
ご本人に自覚がない段階も大変ですが、自覚を持った後も、また違う大変さが待っています。
それでも、そこに平和と安らぎと幸せがありますように。祈らずにはいられません。

断酒会見学。

今夜は、断酒会の見学に行って参りました。

断酒会、なんとなく想像はつくけれど、よくわからないって思っていたのですが、
行ってみてわかりました。

体験を話す、聞く。
言葉にすれば、それだけ。

それだけだけど、非常に意味のあることです。

なんの気まぐれか、生存本能なのか、よくわかりませんが、
酔っぱらいながらも、弟もついてきたので、いろいろな会員さんに励まされました。
「本人8割、あとは、家族かな? でも、ここに来たというだけで、第一歩だね」と。

えっと、いろいろな方からの言葉をミックスしています。

きょう、ひとつ、気づいたことがありました。
アルコール依存症は、知らない間になっちゃう病気なんですよね。
ある日突然、それまで大丈夫だったことが、大丈夫じゃなくなってしまうのです。

ただ、アルコールは非常にありふれていますから、本人もまわりも危険性に気づきません。
「酒癖が悪い」、「飲み過ぎだね」くらいで、どんどんエスカレートして行ってしまいます。

まわりが問題視し、本人がうっすらと自覚するころには、相当進行していて、
意志の力ではセーブが出来ません。

だらしないから、意志が弱いから、そういう話ではないのです。

でも、本人が辞めると決め、酒を断つ道を選び続けることで、
アルコールの支配からは抜けることが出来ます。
欲求を退けて、コントロールしていく。
生半可なことではないと思います。

まともであり続けようと頑張ること。
毎日の決心、毎日の誓い、祈りにも似て……。

弟に感謝しないといけないかもしれません。
正しく、病気を理解するきっかけがもらえたこと。
真摯に頑張る人達のお話をうかがえたこと。

これは、行かないとわからないです。
断酒会は、優しい。
断酒したい人には、断酒会が必要。

理解しました。

 

『CRAFT薬物・アルコール依存症からの脱出―あなたの家族を治療につなげるために』

 

 

予約注文していた本が、きょう、届きました。
さっそく、パラ読みしてみたのですが、コレ、いい本です!!!

すごーく、わかりやすい!!!!

薬物・アルコール依存症

一冊は、母にあげることにして、自分用にも再注文しました。

2,592円もするんですけれどね。でも、価値があると思います。
ホント、何冊関連書買っているか、わかりません。アルコール依存症関連書籍破産しそうです。
何冊買っているか、ホント、わかりません。買ったら、ざっと読んでから実家に渡しているので。
でも、二冊目を買ったのは、これが初めて!!!

依存症問題の解決につながる一冊ですが、「ああ、そうだよねえ」もあったりします。

「正しいことを言いすぎる」
これに対して、「人は、正しいことを言われても変わらないと悟りましょう」とあります。
確かに!

「『あなた』『おまえ』が主語になっている時の言葉は、相手との対立を生みやすいという傾向を持っています」
そうですよねえ、本当にね!

「あなたが~だから、~になってしまったんでしょ」
うはは、やるやる!

でも、これの主語を「わたし」にすると、トゲのある言葉がない言葉に変わっていくとあります。

にわか勉強で弟に対しては、出来るようなっていると思います。
「あなたが飲むから」ではなく、「私は、あなたに飲んで欲しくない」と。

しかし、これ、日常全般に使えますよね?

ちょっといい感じの本ですよ!

あ、そうそう、通信教育のテキストもきたのです。

通信教育

 

アルコール依存症からの回復は、正しい知識しかないのです。
書物から得られるものは、大きなアウトラインだけですが、
出来るだけ早く私が学ぶことで、底あげが出来るかもしれません。

結構、必死です。
まあ、「飲むなら飲め、好きにしろ。ただ、あなたの体はあなたにしか治せない。私は飲んで欲しくない」って言い続けています。

これ、家族もだけど、それ以上に医療の現場にいる人は、キツいと思います。
必死で看護しても、指導しても、砂漠に水を撒くような気分になることが多いんじゃないかなあ?と。
でも、医療があるから、希望が持てます。つらい思いをして乗り切ろうとしている方々がいるから、頑張れる気がします。

アルコールなら、飲まなきゃいい。
ドラックなら、やらなきゃいい。

そんな簡単な理屈が吹き飛ぶのが、依存症なわけで。
まあ、でも、自分のすぐそばに迫らないと、知らないまま終わってしまうわけで。

実際、「オレ、アルコール依存症だから」って言う人が「大丈夫大丈夫」って言うので、ついビールを飲ませてしまった覚えがあります。
それ、大丈夫じゃなかったんですよ。
そんなこと、しちゃいけなかったんです。

あとから、「あの人倒れて、入院したよ」って聞かされて。

あのとき、知識があればなって思います。
飲酒は、まわりには止められないのですが、でも、今の私なら、お酒は出さないし、勧めなかったでしょう。胸が痛みます。

アルコール依存症、結構怖いです。

 

 

家族会というもの。

きょう、初めて参加してみました。
母のつきそいとして。

よそさまのプライバシーに関係してくるので、細かい話は避けますが、
母の言葉を引用させてください。

「みんな、大変な思いをしているんだね」

うちは、まだまだ。
それだって、簡単には片付かない問題ですが。
でも、母が自分だけじゃないと感じてくれただけでも、大収穫です。

参加された方々は、みなさん、素晴らしい愛情の持ち主で。
ネットでかき集めた情報からはわからないもの。
リアルで体験して、乗り越えるためにたくさんの犠牲を払って、
その上でやっと出てくる言葉。
そんな貴重なものをたくさんいただいてきました。

私も正しい理解者になりたいと願います。

知識は力。

おはようございます。

昨日、ホメられました。
「お姉さん、勉強していますね!」

相手は、地域の精神保健福祉センターの電話相談の係の方です。
いやー、ホメられると、嬉しいものですねー。
なぜ、そんなところに電話をかけたかといえば、弟のアルコール依存症が
あるからです。

本人が「自分でコントロールする」って言うから、「じゃあ、君につきあうよ」で
夏に100日禁酒をスタートさせまして。
もう間もなく、こっちは満期明けだっていうのに、弟は悪化の一途をたどっています。
ここ数か月で、精神病院の代理診察、メンタルクリニックでの相談つきそい、
アラノンのミーティング(開催変更で空振りましたが)と、いろいろ頑張ってみたわけですが。

アルコール依存症は、まず、本人が「生きたい」、「治りたい」という『底つき』という状態になるのが
回復の第一歩と言われています。
もう飲めない、このままじゃダメだと思わせるまで飲ませる……。

非情なようですが、早くドン底まで行かせるのが問題解決の早道らしいです。

だからもう、医療機関、冷たいですよ(笑)。
基本は、「本人が治す気にならないとダメ」。

弟は母と同居しているのですが、完全にそこが共依存になっていて、これを突き崩すのも
大変でした。まだ、ダメだけど。それでも、やっと、母の意識が変わってきました。
アルコールで息子はダメになっていく、医療機関は冷たい、娘には叱られる、と
大変かわいそうな未亡人なのですが、まあ、仕方ない。

突き放す、アルコール問題に関してはノータッチで行く、共依存のダンスを踊らない、
「言っても言ってもダメ」という状況でもがいて、イージーな解決法を求めて、
やっと少し変わってきたかなーってところです。

アルコールの家族会、ホラ、アメリカ映画でたまに出てくるアレですよ。
アレ、相当抵抗があるみたいですね。
でも、家族の意識が変わらないと、依存症患者は悪化するだけです。
その手掛かりをくれる場所なのだと思います(空振っているから、まだわかんないけど)。

正しい知識は、人を救います。
だって、その知識、先人たちが苦しみの中で積み上げてきてくれたものですから。

弟はね、わかんない。
立ち直れるかどうかの勝算は、五分五分だと思います。
立ち直るって決めるまでも長いけれど、そこから人生を再起動させるのは、
とてつもない覚悟とエネルギーと忍耐がいります。
アルコールから派生する問題で、死んだ方がラクかもしれない。
でも、それでも、生きようと思ったときに、やっと道は開けるのだと思います。
どっちに転ぶかわからないです。

でも、この一連の流れの中で、いろいろな気づきがありました。
まず、現代の主流は、アルコールではなく、ドラッグなんですね。
以前はアルコール依存を扱っていたところが、ドラッグ専門になっています。
簡単に言えば、「アルコール? それどころじゃねえよ」ってことなんでしょう。
それくらいドラッグ依存の問題は、深刻なはずです。

依存症の陰には、依存症者を支えるイネーブラーと呼ばれる支援者がいます。
うちの場合は、母親ですね。よかれと思ってしたことが裏目に出てしまう。
世間体を考えて、日常を壊さずになんとかしようとして、どんどん深みにハマッてしまう。

「どうしたらいいのかわからない」
ならば、正しい知識を持ちましょうよ!
動けばいい。知識を持っている人に助けを求めに行けばいい。

私が書くのは、これは非常にありふれた問題だと感じるからです。
どこにでもあり、誰にでも降りかかる問題だと思うのです。
中年の引きこもり、依存症、共依存、そんなに珍しいことではありません。

今ね、アルコール依存症についての通信教育もあるんですよ!
すごーい! 見つけて、びっくりしました。
昨日、申込みました。また、手元に来たら、報告しますね!

「感じるな」

アマゾンさんは仕事が早いので、昨日、届いていました。
私は親のようにはならない

これ、初版は相当読みにくかったみたいですね。
想像するに、まだ専門用語が日本で定着してなかったんじゃないでしょうか?
うちに来たのは、改訂版なので、すらすら読めそうです。

さて、過日の「信じるな、しゃべるな、感じるな」ですが、自分に当てはまるのは、
「信じるな」だけだったと思っていたら、大きな間違いでした。
「感じるな」、これ、地味に呪縛にかかっていますねー。

そんなこと、たいしたことじゃないの。もう慣れっこよ。
私は平気、それより、あなたが心配。
大丈夫、傷ついてなんかいない。

この手の発言、非常にすらっと出てきます。
へたしたら、呼吸をするよりも楽かも。

いつから大人を信じられるようになったか、ひとつだけ思い出しました。
かつて社会部にいた新聞社の人が、「いろいろ見てきて、いろいろなケースがあると知っているけれど、
お前、かわいそうだな」と言ってくれたのです。

言葉だけでは伝わらないかもしれません。
そのときの空気、光、言い方、そこまでのプロセス、まあ、いろいろあって。
そっか、自分のこと、かわいそうって思っていいんだあって、素朴に思えて。

記憶がふっと蘇ってきた感じですが、うん、あれはひとつ、救われた瞬間だったかもしれません。
20代後半でした。具体的な年齢は忘れちゃったけれど。

まあね、だからといって、自己憐憫に浸るほど、ヤワじゃないつーか。
んなことで、止まるなら、動けっていうか。

まだ、社会は未完全だけど、ここ数十年でだいぶ、進んだ気がします。
もう少ししたら、もっとよくなるかもしれません。
人のベースは、生まれ育った環境にあって、そこは選べないからどうにもならないわけだけど、
どんなにサイバイバルな出発点でも、生き延びて、今があるなら、あとはこっちのものじゃないかと
思うんですよね。過去に支配されない。だって、今を生きているんですもの。

過去世なんかも、私の中では似た扱いです。
過去世、前世はあると考えたほうが、つじつまが合います。
だから、「ある」派なのですが。
でも、それは、あくまでも、「過去」なんですよね。

どんな因縁があったとしても、振り切る、切り捨てるという選択肢もあるわけですよ。
だって、今を生きているんですもん。

まあ、でも、代々続いた家系、伝統を守るとか、そういうルールの下に生まれちゃったら、
振り切るのは難しいですよね。役目があるかもしれないし。

その辺も含めて、自分で考えて、選ぶことが大事じゃないのかなあ?とぼんやり思います。

『私は親のようにはならない』の中にある壊れた家族のルールには、「考えるな」もあるようです。
さしずめ、私はルール違反の子供ですね。「考えて、しゃべり」ますから。

「しゃべるな」
「信じるな」
「感じるな」
「考えるな」
「疑問をもつな」
「要求するな」
「遊んではいけない」
「間違えてはいけない」

気になるものは、さっさと取り寄せる。
気になることは、本質を見極める。
そして、ケリをつけて、次へ進む。

あとまわしになんかしない。

これ、運動星座の特徴のような気がします。
運動星座は、牡羊座、蟹座、天秤座、山羊座です。

不動星座の人は、ホントに呆れるくらい動きません。
「まあ、様子を見て」「うん、ぼちぼち」「わかっている。そのうちにやる」
牡牛座、獅子座、蠍座、水瓶座。

きっと、生きている時間感覚が違うんでしょうね。あと、不動星座の人は、感情の処理の仕方がうまいのかも。
やらないと、喉にひっかかった骨みたいで、落ち着かないですもん。
私の時間感覚は、たぶん、相当早いと思います。待つのはいいんだけど、自分が止めるのは我慢が出来ないわけ。
先に投げて、人にも動いてもらおうとしますね。そこで、時間がかかるのは別にかまわなくて。
でも、自分で流れが止まるのはイヤなんですよねえ。
とりあえず、失敗してもいいし、やり直しになってもいいから動くタチですね。
これは生まれつきの性分というよりも、後天的な学びのような気がしますよ。

こういう生き急ぎタイプもいれば、完成度で勝負したい人もいるし、失敗を恐れて動けない人もいます。
社会はいろいろで、だから、面白いわけですが。

12星座はエレメンツでくくられ、語られることが多いのですが、案外、クオリティで考えると腑に落ちる部分もあります。
エレメンツは、火地風水。クオリティは、運動、不動、柔軟。まあ、聞いたことがあるような、ないような?の世界でしょう。

うらないは、ひとつの手掛かりになるので、面白いですよ。
あれ、何の話だっけ? そうそう、「感じるな」でした。

封じられた思いは、どこに行くのでしょうね? ぼんやり答えのないことを考えながら、きょうは、おしまい。

「信じるな」

きょうは、不覚にも涙がこぼれました。

世良守行さんの『通院でケアする! アルコール依存症の早期発見とケアの仕方』という本を読んでいたのですが、突然、心に刺さる言葉が出てきたのです。ちょっと引用しますね。

“クラウディア・ブラックの著書『私は親のようにはならない』(斎藤 学訳/誠信書房)の中で、「信じるな」「しゃべるな」「感じるな」がアルコール依存症の過程の子どもたちのルールであると述べています。
子どもは(酒を)飲んでいない親からも、飲んでいる親からも「信じるな」のメッセージを受け取り、いつの間にか親の言葉を「信じてはいけない」というルールを心の中に作るのです。親はあてにならない。何も期待できない。大人のいうことは信じないほうが傷つかない、などと考えるようになっていくのです。”

うわー、ホント、このまんまの幼少期でした!

“例えば、母親は父親のことを「だらしのないお父さん」といって愚痴ばかりこぼす日もあり、「飲まなければお父さんはいい人」といったり、「離婚をしたい」、「お父さんのことは心配しなくていい」などと、口を開くたびに言うことが違う。次の場面では、「あなたがしっかりしないからお父さんがお酒を飲む」と子ども自身の問題にされています。このような一貫性の乏しい、相反する言動が交わる中で子どもは育つのです。”

これは、いかにもありそうです。あちこちに転がっていそうなお話です。
うちもそうだったし、きっと、「うちも」「うちも」なんじゃないでしょうか?

ちょっと、「信じるな」に話を戻しましょう。

そう、私は、大人を信じられない子供でした。
大人、もっと言えば、人間を?

17のとき、バイト先の店長に言われました。
「お前、この人をボスにするって決めたら、その人にはちゃんと従えよ」
つまり、全然従ってなかったのでしょう(笑)。逆らったつもりはないのですが、ね。
この段階では、大人を信じていませんね。

そこから、記憶が少し飛びまして。
気づいたら、人を信じる人間になっていました! あれ? どこで、どうなったのでしょう?

きょう、わかったのは、「信じるな」は、明確なメッセージとして受け取ったのですが、どうも「しゃべるな」「感じるな」は、ヤダったみたいですね。
我が家は壊れている、親はおかしい。私はつらい、怒っている的なことは、わりとストレートに出してきました。
そこかなー? 機能不全の家庭に飲みこまれなかった勝因は。

ただ、飲み込まれなかったけれど、きょうは、涙が出ましたよ。
胸が詰まります。

きっと、人に見せないように、あちこちで似た痛みを隠し持っている子供たちがたくさんいるのでしょう。
そして、過去に受けたダメージを癒しきれないまま、大人になった元子供たちもたくさんいるのでしょう。
親も誰かの子供だから、仕方ないんですけれどね。

しかし、どうやって、私は「信じるな」を「信じよう」に変えたのでしょうね? 相当強力な呪縛のはずですが。
うーん、ちょっと思い出せないのですが、ゆっくり記憶を辿っていこうと思います。