『朝日のような夕日をつれて2014』

ひょんなご縁で、見に行きました。

1981年初演なんですね。一大ブームが起こっていましたが、
今回、初めて観劇しました。

時代に合わせて改稿していて、どこまでが原型でどこからが

2014年版アレンジなのか、初見の私にはわかりかねるのですが、
つくづく、「なるほど、第三舞台の亜流作品は、あちこちで見たんだな」という
印象を受けました。本家を知らなくても、エッセンスが拡散されていて、
知らないのに知っている感じがして、とっても不思議な体験となりました。

感想を聞かれると、ちょっと困っちゃうかなー。
発信者がもういい年になっていて、初演の時の問題意識は
すでに解決、あるいは妥協しているのに、そこに集約、帰巣していくっていうのは、
少々無理があると思うのです。だって、もう作り手が体制派ですもんね。

若さゆえのキラメキ、憤り、焦燥感みたいなものは、もう遠く、でも、
そこから出発している作品だから、ベースにするしかなく、
2014年版しか見ていない人間は、非常に混乱いたします。

過去のバージョンも見ている人には、ノスタルジーがあり、
よい作品、時間になるのではないでしょうか。

これでわかった気になってはいけないというのは、つらいですよー。
過去には、戻れないわけですし。

現代への警告としては、タコツボとか、スマホ論とかでしょうか。
確かに大事な側面なのですが、情報が多すぎて簡単に埋もれていきます。

初演のときは、すべてのセリフが観客に突き刺さったでしょう。
そりゃ、センセーショナルですよね。
再演、再々演あたりは、おそらく、洗練の時期でしょうか。一大ブームでしたね。
17年前はどうだったのかなー???
おそらく、初演当時から変わらないのは、夕日が朝日のような理由くらい?
そこは、きっと、ずっと鴻上さんが持っていらっしゃる部分なのでしょう。

初見の人間には、かゆいところに手が届かない世界でした。
というか、かゆいかどうかも、すでによくわからないんだけど。
まあ、今回、私はメインターゲットではないので、ピントがズレた感想でも、
お許しください。あ、ありの〜は、もう一回見たいデス。ハイ。

ことちゃん お土産

友人からのいただきもの
梅 かき氷

終演後のかき氷。梅味+白玉、おいしかったです。

 

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