劇団新感線 修羅天魔極

極

劇団新感線、修羅天魔・極を見ました。

回るの、面白いよと聞かされていましたが、正直、回らなくていいと感じました。むりやり視界を決められ、シートが動く前にぐいっと腰を掴まれるような、圧がかかってよろしくないです 。かなり、疲れます。

一幕は40分で飽きまして(時計見ちゃいました)、実は、もう一枚持っているため、どうやって捌くか、そればっか考えてました。

休憩20分は、トイレに並ぶだけで終わります。客さばきは完璧ですが、お茶は飲めません。95%女性客だから、もう少しなんとかなりませんかね?

二幕は、まあ、丁寧にいろいろ拾うこと。そして、くるくる回りのラストは、世界の演出家の夢がここにあるんだなと思いました。

今回は、びっくりするほど良席でしたので、ステージ上に水溜まりがあることに気づきました。また、間口が広すぎるため、出演者さんの苦労を思います。通常の二倍くらい、気楽に走らないといけない。足元が動く中、逆らって歩いたり、転換の度に舞台裏を走ることもあるでしょう。

舞台が回るため、奥行きがありません。装置のハケがない分、転換の時間勝負はないでしょうが、代わりに、パズルのような仕掛けを理解しなければならないでしょう。

転換中は映像も必要、今回は、装置は、使い回しなんでしょうか?  それとも、極のために作ったりしたんでしょうか? 劇団のファンではないため、知りたいことがよくわからないのですが。

とりあえず、すごいですよ。みなさま、本当にお疲れ様です。豊洲市場移転が宙に浮き、あんなに何もないところで、本当に偉いです。豊洲もなんか考えたほうがいいですよね。1300人動員しても、みんな、素通りじゃ、本当に無駄だわ!

これ、これからどうするんですかね? これを維持する一翼を担う劇団新感線、すごすぎですよ。

生理的には、回らない舞台が楽です。いや、楽しいけどさ、なんか3Dゲームを無理やりやらされてるようなつらさがあるんですよ。席が前過ぎたせい?

大昔、ミス・サイゴンやるために、帝劇を改装したころに、これ、あればよかったのに!

で、天海さん見ながら、思いました。宝塚トップ時代と何も変わらない、すごい。さらに、大女優ですよね、もはや。格で言ったら、すでに東宝現代劇や明治座の看板張るレベルですが、いかんせん、んな、昔ながらの芝居は、合わないし、それ以前に、お客様がついてきません。演劇の定義も変わってしまいましたね。

なんだかいろいろ考えてしまいました。「行こう」は、オスカルセリフだけど、アンドレだったなあとか懐かしいことも考えました。

いや、すごいです。回るシアター。めっちゃお金かかってるし、知恵も技術も使われています。

が、あとちょい、「じゃ、次回りますから」がわからないとよいですね。あの圧、ちょい響きます。

で、豊洲でも食べました。まるで別物。うむ、目黒店、優秀。同じチェーンですが、あまりにも差がありますね。

『星ノ数ホド』反芻中

わずか1時間半のお芝居です。

この短さは、今の時代のテンポに合っている気がします。
そもそも、演劇は凝縮であって欲しいですし。
見ていて体がラク、単純に、それが嬉しいのです。

で、見終わって、帰宅して、仕事をして、少し寝て。
時間差で余韻が来ました。

コレ、脚本がいいです。
最初の数分は、「この話、どこへ行くのだろう?」と思いますが、
切り取られ、積み重ねられたシーンがすべて、キレイにひとつに
まとまっていきます。

『ご臨終』も、うまいなーって思う仕掛けがあるのですが、
すべてのシーンが絶対必要かと言われるとそうでもないので、
やはり、『星ノ数ホド』のほうが、心に残ります。

そして、非常に繊細で、凝っているから難しい。
この難しさをよくクリアして、成立していると感心します。
ここ、感動ではなく、感心なのは、さっきも書いたのですが、
2人のつながりが不明確に感じるからです。
それぞれの人物としては、くっきり立ち上がっているのですが、
関係性がまだ、育ってないように見えます。

まだ、恋をしていない。
まだ、愛していない。

なんかうまくいえないのですが、そんな感じ。

でも、だから、逆に見やすいっていうのもありますね。
ベッタリしちゃうから。

これは、もし、再演があったら、見たいです。
ただ、まあ、寝ちゃう人がいるのもわかります。
昨日は、後ろのほうで、ずっといびきが聞こえてきていて、
あららって思っていたのですが、それも無理のないところがあって。
途中で目覚めたら、何が起こっているのかわからないでしょうし、
あとから、「よかったよ」って聞かされたり、読んだりして、
「え? そうなの? 寝ちゃったよ……」が想像がつくので、
ちょっと面白いです。

鈴木杏さんが履いていたくつがかわいいんですよねえ。
アレ、どこのだろう???
衣装のかろやかさが、脚本に合っていて。ただ、ちょっと
大学で教えている人には見えないなあって思っていました。
もっと、簡単に替えのきく仕事をしている人に見えちゃうなーと。

脚本、手に入るみたいですから、読んでみようかなーって思っています。
再演したら、きっと見に行きます。

まもなく、深夜2時

本日の営業がやっと終わります。
もっとも、日中フラフラと劇場に行ったりしているから、夜中まで働くハメになるわけですが。

きょうは、母が泊まりに来ています。
あれやこれやで疲れたらしく、沈没するように眠りました。
お疲れ様。

昨日、きょうと2日続けて、劇場に行きまして、やはりきょう見た『くるみ割り人形』のほうが好みだなと思います。
やっぱり、過剰なんだと思います。『ご臨終』の暗転演出。
アレ、二幕みたいに、光でつなげばいいのにって思うのです。
一幕は、一言二言セリフを言うと、バシッと電気が落ちて転換。この繰り返しが拷問のようでした。
二幕は、ちょっとだけ、光が残るんですね。主に小道具の受け渡しのための演出部の手元明かりなのですが。
でも、光がちょっと残るだけで、目がラクなんですよ。
目を閉じて温水さんの声だけ聴いていようかと思ったくらいですもん。あまりにつらくて。
ほんのちょっとの配慮で、全然印象が変わるのですが。

もしも、あの暗転攻撃がなくて、やわらかな光でつながれた物語になったら、
どっちが好きかなあ?

うーん。

温水さんは、ひとつの完成形だと思うのですが、発達障害っぽい印象も与える役作りですよね。
そっちかなあ?って思ったりもするのです。単に不器用な性格でトレースし直しても、成立するような気がして。
でも、コミュニケーション不全くらいじゃ、あの機械は作らないかしら?
いや、それも、ブラックユーモア的な処理で、収めようとすれば納まりますよね。
クソまじめで、どこまで本気かわからない系の人物ならば、アリかもしれません。変人系というか。
でも、そのバージョンも、温水さんで見たいです。私はきっと、そっちの方が好き。

観劇後にあれこれ考えられるのは、幸せなことかもしれません。

『くるみ割り人形』は、本当に上質でした。
違うモチーフで、2つの世界が交差するようなのが見たい気もしますね。
石丸さんパートと首藤さんパート。
石丸さんが語り部としてではなく、役者として存在して。
踊りがセリフの添え物、挿絵にならない形で。
美しく、華やかなピアノが、両方をつなぎ、まとめていく。
なんかそんなやつ、すごく見たいです。

さて、贅沢な時間を持てたので、明日も頑張れそうです。みなさまも、よい夜を、そして、よい一日を。

 

 

SWITCH 30th Anniversary 文学への新しい冒険 チャイコフスキー『くるみ割り人形』

SWITCH 30th Anniversary 文学への新しい冒険 チャイコフスキー『くるみ割り人形』を見てきました。

客席の95%が女性。
よくある光景だけど、改めて気づいてぞくっとしました。かくいう私も、割合をあげているわけですが。

昨日は初台の新国立劇場で、きょうは、世田谷パブリックシアターへ。地味に芸術の秋です。昨日は、ワンピースで、きょうはデニム。きょうは、二階席というのが一番の理由ですが、もうひとつは、クロークの有無かもしれません。

石丸幹二さんの語り、首藤康之さんの踊り、若林顕さんののピアノで紡がれる物語。なんとも上質です。
これは、一階席で見たかったですね。見下げる構成ではない気がします。

前半は、ワクワク。クライマックスで、失速かなあ? 最後まで三人だけでなんとかならなかったのかと。せっかくあれだけ作ったのに、とってつけに見えちゃいますからね。もったいないというか、肩透かしというか。わかりやすいけどさ。このキャストなら、お客様もこなれているから、別処理でも全然イケちゃうのに。
でも、まあ、うまいですよね。大人な舞台です。

惜しむらくは、石丸さんで、うわん、これじゃ足らない! もっとちゃんと見たいよ!になりました(笑)。
ピアノとの共演とはいえ、物思いに耽る仕草だけで数分持たせちゃうのは、凄すぎるでしょ!

細かいくすぐり台詞もかわいくて、本当に上質、大人のステージ。いいねえ、年を重ねるのも悪くないねという印象です。三人が三人、それぞれ世界をお持ちだから均衡が取れ、美しいのだと思います。

クロークがあって、300人くらいのキャパで見やすくて、緞帳があって、客席まではアプローチは赤い絨毯に金の手すりで。椅子もふかふか。ネームプレートがあったりして。お客様もみんな、おめかしで。
なんかそんな幻の劇場で見たい感じの作品でした。きょう一日だけ、あとはソワレがあるみたいです。

『ご臨終』

という芝居を見ました。

江波杏子さんは、本当に美しい。温水洋一さんは、本当に優しい。脚本もいい。

しかし、なんですか、あの暗転地獄!

ストロボ的効果、映像的な手腕、いろいろあると思うけど、観客には、生理があるんです。暗転って、本当に疲れるの!

1幕で帰ろうかと思いました。キャストが捨てがたく、がんばって最後まで見ました。

舞台装置は意欲的で、最後にアレをやりたかったからから、変則使いだったんですね。キレイでしたよ。しかし、私、センターブロックだったからいいけど、サイドじゃ、相当見にくいんじゃないかなあと思いながら、見てました。

まだ、演出家さん、若いからわからないのかな。観客は、生きているんです。人間には、生理があるんですよ。暗転の乱用、本当に疲れるの。視界に無理が生じるのは、ストレスなの。

バカ暗転がなきゃ、かなりいい芝居です。素敵なストーリーだし、熱演、当たりです。しかし、タダ券あるよと言われても、私は行かない。腹が立つほど疲れますから。

暗転乱用のバカ演出を変えてくれたら、ぜひ、また、見たい作品です。

カンパニー・フィリップ・ジャンティ「忘れな草」

カンパニー・フィリップ・ジャンティの『忘れな草』を見てきました。
「幻惑」という言葉しか浮かびません。

クラクラします。どれが人間? どこから人形?

布の扱いが見事で、見惚れました。あるいは、あの渦巻きがクライマックスでしょうか?
世紀末パリ、ロイ・フラーに魅せられた人たちの気持ちがちょっとわかりました。

羽根も美しかったのですが、人間の身体は、羽根を得たら腕を失うのかと連想が広がり切なくなりました。

全編が一人の女性の記憶のコラージュとのこと。その視点では、感想をつづれませんが、美しかったです。
パルコ劇場では、26日まで。全国巡回、2015年、東京公演あり。

『ブレス・オブ・ライフ~女の肖像~』、本編。

なんだろう? 本編って。
まあ、舞台美術だけであれだけ語りましたので。

さて、肝心な内容なのですけれど。これはねー、なんかね、よくわかんなかったです。
出演者はお二人共キレイだったけど、ロンドンでヒットするほど面白かったかしら?

役割として、久世星佳さん演じる寝取られ奥様フランシスのほうは、わかります。
しかし、若村真由美さん演じる愛人マデリンのほうがいまひとつ、理解が及びません。

ひとつは、翻訳の限界があるかなー?
特に導入部、寝取られ妻が愛人の家を訪ねてきちゃったあたりのやりとりがが不自然で。
おそらく、本国ではスムーズに聞けるのでしょうが、
日本語に置き換えたときに「はい?」ってなっちゃう。
中盤の「ケリをつける」も、アメリカ人がよく言うアレよ!みたいなこと言われても、
「えっとー」みたいになっちゃいますからねえ。

言葉は文化で、異国の文化を日本語に置き換える作業は難しいのでしょう。
でも、フレーズがパズルみたいになって、見えなかったものが見えてくる仕掛けですから、
ここのチョイスを間違うと、全体のクオリティが下がってしまいます。

が、日本語としての自然さを選ぶと、それは、創作とか、意訳になっちゃうから、
セリフ劇だと判断に迷うところですね。でも、ここはもっと踏み込んで、聞いていて
自然な仕上げにしたほうが女優さんたちもやりやすいし、観客もイチイチ現実に引き戻されなくて
よかったんじゃないでしょうかね? アメリカ人がよく言う「ケリをつける」を日本語でどう
表現すればいいのか私には、ようわからんけれど。

観終わって、非常に不可解で。座りの悪い日本語で頭が?になるせいもありますが。
私の感想は、「本当はもっと毒があるんじゃないの?」です。
マデリンはもう一段掘り下げられる気がします。
そして、マデリンが変われば、当然、フランシスも変化しますから。
そこまでやって、やっとカタルシスじゃないのかなー???

たとえば、押しかけてきた愛人の妻が自分ちに泊まるなんて非常事態になったとき、
もっと意地悪でイヤミな態度で、でも、その奥が温かいって仕掛けのほうが
「ああ、だから彼はこの人を選んだのね」的な奥行きが出ると思うんですよね。
細かい丁々発止も同様で、「聞いていたわ」、「知っていたわ」系が全部軽く
自然に流れちゃうから、「生きることに淡泊な人だなあ」って感想に終わっちゃう。
そこは、もっと女の底意地の悪さ、相手を傷つけたくなる衝動を出さなきゃ!
妻も、愛人も、どちらも「いい女」風で、そのポーズを崩さないまま、芝居が終わるから、
「え、なんのための二時間半?」となります。

これ、女性の演出家がやったほうがよくなかったですか?
よっぽどの修羅場を経験しないと男性にはわかんないんじゃないかなー???
やれって言われなければ、女優サイドは出来ないんじゃないかなー?

男に見せない意地の悪さ、張り合う気持ち、プライド、その辺を出し切ってやっとの
和解であり、戦友としての共感が生まれるわけでしょう?
途中の汚い部分、ご都合よくすっとばして、「新しい出発」になんかならないから!

あー、そっか、ここまで書いて不完全燃焼だった理由がわかりました。
もっと「怖い話」にならないとダメなんですよ。
妻、怖えええ!
愛人、もっと怖えええ!
そんな女たちを相手にして、適当に生きている男、おそろしー!みたいな
ところまで持って行かなきゃ、伝わってこないです。

今のままだと聡明ないい女が二人、不誠実な男にだまされました。
二人は話し合って、それぞれの道へ分かれたのでした。で終わっちゃうもの。

男を巡る女の戦いって、もっとエグいですよ。
そこ、こぎれいにまとめてどうしますか。もったいなーい!!!
でも、装置は必見。出演者は、美しいです。眼福です。

新国立劇場、10月26日まで。

『ブレス・オブ・ライフ~女の肖像』、理想の部屋。

演劇を観たいという気持ちと新国立劇場の「4作品買ってくれたら、安くしまっせ」という
企画がタイミングよくハマりまして、この秋は、4本観劇する予定でおります。

一弾目は『三文オペラ』。
で、二弾目がコレ、『ブレス・オブ・ライフ~女の肖像』です。
ロンドンで話題だったというディビット・ヘアの脚本、作演出は蓬莱竜太、
若村真由美、久世星佳さんの2人芝居です。

特筆すべきは、セットです。
あれは、私の理想の部屋かも!

中央に天井まで届く出窓、窓のところにクッションがあって、座ることも出来ます。
二幕で久世さんが座るのですが、とにかくキレイ! 絵になっていました。
その左右に、やはり天井まで届くハシゴつきの本棚。止まった大時計に、電気スタンド。
左奥に出入りのドア、その手前に胸くらいまでの高さの本棚、
本棚の前に大きな作業テーブル、肘掛つきの椅子。
テーブルのまわりには、入りきらない本、本、本! そして、床に直置き燭台。

テーブルと対になるように、デイベッドとテーブル。
デイベットの下に敷物があり、そこにティーセットが置かれたり、インド料理が置かれたり……。
右側の壁には、暖炉。暖炉の奥に、スツール。天井には、小ぶりのシャンデリア。

英国趣味が生きていて、全体に散らかっていて、そこかしこに箱があり、本が溢れています。
今、気づいたのですが、箱の中からストールやカーディガンが出てくるのは、ちょっと不思議かも。
ご都合主義っぽいなー。
せっかくの完成された美術だし、生きることに適当な家主の性格をよく表していますから、
さりげなく、混沌の中にまぎれこませちゃえばいいのに。そのあたりにおきっぱのほうが、
箱から取り出すよりもいいでしょう。と、細かい重箱のスミつつきをしたくなるほど、
めちゃくちゃ好きです。素晴らしいです!

たくさんの本、読むこと、学ぶことが大事で、あとは適当。
高い理想に生きていて、生活や現実感覚はない。お金は不自由しないだけある。
そういう家主のキャラを端的に表す美術で、秀逸です。

あら、語り過ぎました。まずは、ベタ褒め舞台美術の巻です。
あれを見るだけに、もう一回行っていいくらい。本当にステキです。私の理想の部屋であり、
登場人物のキャラを反映した素晴らしい出来栄えです。

『朝日のような夕日をつれて2014』

ひょんなご縁で、見に行きました。

1981年初演なんですね。一大ブームが起こっていましたが、
今回、初めて観劇しました。

時代に合わせて改稿していて、どこまでが原型でどこからが

2014年版アレンジなのか、初見の私にはわかりかねるのですが、
つくづく、「なるほど、第三舞台の亜流作品は、あちこちで見たんだな」という
印象を受けました。本家を知らなくても、エッセンスが拡散されていて、
知らないのに知っている感じがして、とっても不思議な体験となりました。

感想を聞かれると、ちょっと困っちゃうかなー。
発信者がもういい年になっていて、初演の時の問題意識は
すでに解決、あるいは妥協しているのに、そこに集約、帰巣していくっていうのは、
少々無理があると思うのです。だって、もう作り手が体制派ですもんね。

若さゆえのキラメキ、憤り、焦燥感みたいなものは、もう遠く、でも、
そこから出発している作品だから、ベースにするしかなく、
2014年版しか見ていない人間は、非常に混乱いたします。

過去のバージョンも見ている人には、ノスタルジーがあり、
よい作品、時間になるのではないでしょうか。

これでわかった気になってはいけないというのは、つらいですよー。
過去には、戻れないわけですし。

現代への警告としては、タコツボとか、スマホ論とかでしょうか。
確かに大事な側面なのですが、情報が多すぎて簡単に埋もれていきます。

初演のときは、すべてのセリフが観客に突き刺さったでしょう。
そりゃ、センセーショナルですよね。
再演、再々演あたりは、おそらく、洗練の時期でしょうか。一大ブームでしたね。
17年前はどうだったのかなー???
おそらく、初演当時から変わらないのは、夕日が朝日のような理由くらい?
そこは、きっと、ずっと鴻上さんが持っていらっしゃる部分なのでしょう。

初見の人間には、かゆいところに手が届かない世界でした。
というか、かゆいかどうかも、すでによくわからないんだけど。
まあ、今回、私はメインターゲットではないので、ピントがズレた感想でも、
お許しください。あ、ありの〜は、もう一回見たいデス。ハイ。

ことちゃん お土産

友人からのいただきもの
梅 かき氷

終演後のかき氷。梅味+白玉、おいしかったです。