『ブレス・オブ・ライフ~女の肖像~』、本編。

なんだろう? 本編って。
まあ、舞台美術だけであれだけ語りましたので。

さて、肝心な内容なのですけれど。これはねー、なんかね、よくわかんなかったです。
出演者はお二人共キレイだったけど、ロンドンでヒットするほど面白かったかしら?

役割として、久世星佳さん演じる寝取られ奥様フランシスのほうは、わかります。
しかし、若村真由美さん演じる愛人マデリンのほうがいまひとつ、理解が及びません。

ひとつは、翻訳の限界があるかなー?
特に導入部、寝取られ妻が愛人の家を訪ねてきちゃったあたりのやりとりがが不自然で。
おそらく、本国ではスムーズに聞けるのでしょうが、
日本語に置き換えたときに「はい?」ってなっちゃう。
中盤の「ケリをつける」も、アメリカ人がよく言うアレよ!みたいなこと言われても、
「えっとー」みたいになっちゃいますからねえ。

言葉は文化で、異国の文化を日本語に置き換える作業は難しいのでしょう。
でも、フレーズがパズルみたいになって、見えなかったものが見えてくる仕掛けですから、
ここのチョイスを間違うと、全体のクオリティが下がってしまいます。

が、日本語としての自然さを選ぶと、それは、創作とか、意訳になっちゃうから、
セリフ劇だと判断に迷うところですね。でも、ここはもっと踏み込んで、聞いていて
自然な仕上げにしたほうが女優さんたちもやりやすいし、観客もイチイチ現実に引き戻されなくて
よかったんじゃないでしょうかね? アメリカ人がよく言う「ケリをつける」を日本語でどう
表現すればいいのか私には、ようわからんけれど。

観終わって、非常に不可解で。座りの悪い日本語で頭が?になるせいもありますが。
私の感想は、「本当はもっと毒があるんじゃないの?」です。
マデリンはもう一段掘り下げられる気がします。
そして、マデリンが変われば、当然、フランシスも変化しますから。
そこまでやって、やっとカタルシスじゃないのかなー???

たとえば、押しかけてきた愛人の妻が自分ちに泊まるなんて非常事態になったとき、
もっと意地悪でイヤミな態度で、でも、その奥が温かいって仕掛けのほうが
「ああ、だから彼はこの人を選んだのね」的な奥行きが出ると思うんですよね。
細かい丁々発止も同様で、「聞いていたわ」、「知っていたわ」系が全部軽く
自然に流れちゃうから、「生きることに淡泊な人だなあ」って感想に終わっちゃう。
そこは、もっと女の底意地の悪さ、相手を傷つけたくなる衝動を出さなきゃ!
妻も、愛人も、どちらも「いい女」風で、そのポーズを崩さないまま、芝居が終わるから、
「え、なんのための二時間半?」となります。

これ、女性の演出家がやったほうがよくなかったですか?
よっぽどの修羅場を経験しないと男性にはわかんないんじゃないかなー???
やれって言われなければ、女優サイドは出来ないんじゃないかなー?

男に見せない意地の悪さ、張り合う気持ち、プライド、その辺を出し切ってやっとの
和解であり、戦友としての共感が生まれるわけでしょう?
途中の汚い部分、ご都合よくすっとばして、「新しい出発」になんかならないから!

あー、そっか、ここまで書いて不完全燃焼だった理由がわかりました。
もっと「怖い話」にならないとダメなんですよ。
妻、怖えええ!
愛人、もっと怖えええ!
そんな女たちを相手にして、適当に生きている男、おそろしー!みたいな
ところまで持って行かなきゃ、伝わってこないです。

今のままだと聡明ないい女が二人、不誠実な男にだまされました。
二人は話し合って、それぞれの道へ分かれたのでした。で終わっちゃうもの。

男を巡る女の戦いって、もっとエグいですよ。
そこ、こぎれいにまとめてどうしますか。もったいなーい!!!
でも、装置は必見。出演者は、美しいです。眼福です。

新国立劇場、10月26日まで。

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